『東大のディープな日本史』入試問題に見る、アカデミズムへの誘い。

2012年7月18日 印刷向け表示
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歴史が面白くなる 東大のディープな日本史

作者:相澤 理
出版社:中経出版
発売日:2012-05-15
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暗記科目の歴史が苦手というアナタに朗報。とにかく、東京大学の日本史の入試問題がたまらなく面白いのだ。

そこで問われるのは詰め込みで得られた知識でも、通り一遍の模範解答でもなく、ズバリ”考える力”。「選りに選りすぐったこの問題に、真っ向からかかってこい。」 「自分の頭で考え、自分の言葉で見事論破してみろ。」 どの設問からも、そんな出題者の声が聞こえてきそうな良問ぞろいだ。

例えば、過去問題の一節はこんな感じだ。

次の文章は、数年前の東京大学入学試験における、日本史の設問の一部と、その際、受験生が書いた答案の一例である。当時、日本史を受験した多くのものが、これと同じような答案を提出したが、採点にあたっては、低い評点しか与えられなかった。なぜ低い評点しか与えられなかったかを考え、(その理由は書く必要がない)、設問に対する新しい解答を5行【筆者注:150字】以内で記せ。(以下略)

(83年度第1問)

なんと、過去の受験生の答案にダメ出しをした上での再出題である。またあるときは、「日本の歴史学がいまだ完全な回答をみいだしていない」という、答えのない問いを出題。破壊力満点。なんとも偏屈、もといインパクトのある設問ではあるが、これが東大日本史の醍醐味でもある。

東大日本史問題の特徴としては、まず歴史上の出来事についての記述・年表・図表といった資料を与えた上で、「なぜXXXなのか」といった問いを立て、150~200字で論述させるといった形式が一般的。これでは、単なる知識の詰め込みだけでは対応がおぼつかない。

その問いの切り口も冴え渡っている。歴史的に日本の置かれた状況の解釈、良きにつけ悪しきにつけ現在まで受け継がれてきた伝統・国民性の源泉を炙り出すような視座が示され、そこに出題者の碩学ぶりがうかがえる。

私自身は、たとえば元寇(蒙古襲来)の様子を描いた絵画史料として有名な『蒙古襲来絵詞(絵巻)』についての出題で意外な発見があった。

この絵にお目にかかったのは中学校の歴史教科書で、「一騎打ちを旨とする日本の武士は、火薬等の最新武器を駆使し集団戦法で迫り来る蒙古軍になすすべなく打ち負かされ」といった説明が添えられていた(ような気がする)。そこには、「名乗りを上げての正々堂々の真っ向勝負、日本武士の潔さ!」といった道徳的メッセージも込められていた記憶がある。

しかし「東大日本史」に言わせれば、これは恩賞を受けるために必要な作法だったようだ。「自分が戦功をあげたことを、戦のあとで証拠立てるには、名乗りの声を周囲に聞かせておかなければ」ならず、「名乗りは敵に対してではなく、味方に対して行ったものだった」のだ。

たしかに言われてみれば、「そもそも日本語の名乗りが蒙古人に通じるのか?」と思わず先生に突っ込みを入れそうになった当時の記憶もよみがえってくる。

さらに、「元寇のあった鎌倉後期のころ(13世紀後半)、多くの武士は困窮にあえ」ぐ中の九州への出兵令でもあり、「恩賞がほしい」との思いは切実だった。すると例の一騎打ちは、武士の美徳どころか、集団を無視したスタンドプレーの塊だったとも言える。

件の絵巻を描かせた竹崎季長も、所領の肥後で待てど暮らせど恩賞の沙汰は来ず、鎌倉まで出向いて恩賞奉行に直訴するという執念まで見せたという。その甲斐あって無事恩賞も授与、絵巻にもその様子がバッチリ描かれているというから、お侍さんもシッカリ・チャッカリしたものだ。

歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。

E.H.カー 『歴史とは何か』

東大日本史が問うているのは紛れもなく「今」であるが、実はこれまで太平洋戦争や戦後について直接問われたことはないという。(唯一の例外は2012年度、戦後日ソ関係に関する問題が出題された。) そこには「”今”を知りたくばもっと”歴史”に学べ」という出題者の意図が込められている。

そう、歴史は繰り返す。反原発を契機としたデモ活動もにわかに盛り上がりを見せているようだが、「一揆」の伝統はすでに中世から存在していた。百姓一揆のような非合法の抵抗運動のみならず、「一揆とは本来、人々が自発的に形成した共同体や、そうした共同体による自由な運動」を指す。

消費税引き上げの議論に関して言えば、江戸時代・徳川吉宗の治世の折、幕府は財政逼迫のため、全国の大名に対して石高1万石あたり100石の上げ米令に踏み切っている。不祥事を起こした経営者、不信任に追い込まれた内閣の首の挿げ替えが繰り返され、リセットボタンの一押しで不都合を帳消しにしようとする我々のメンタリティーは、江戸幕府の滅亡から明治政府の成立にいたる過程を、当時の人々が新しい時代への期待を込め「御一新」と呼んだ頃からさして変わっていないのではないか。

他方、百家争鳴の感のある外交・内政に対し、我らのご先祖様・古の日本人は機転を利かせ、外患内憂の危機を幾度となく切り抜けてきた。唐にならって律令を完成させた日本の朝廷は、実際は唐から朝貢国の扱いを受けつつも、建前上は唐の皇帝の冊封を受けずに隣国として対等な立場を主張。「ホンネ」と「タテマエ」を軽やかに使い分けることで要らぬ国家間の緊張を避け、対外関係を安定化しうるバランス感覚を持っていた。

律令制への移行期、中央集権化を進めるにあたっては、地方豪族の郡司は中央から赴任した国司の監督下に入るものの、国司は主に末端実務を担当し、実質的な在地支配力を有していた郡司の求心力を利用して地方支配の実現を図った。地方自治・中央集権のパワーバランスに対する鋭敏な感覚をも古代の日本人は持ち合わせていたのだ。

これらの論点はすべて過去に東大日本史の入試問題で出題され、かつ本書にも収められている。「歴史イコール暗記科目」のトラウマから脱却のときは”今”。温故知新よろしく、歴史から今を生きる知恵を授からんとする読者にとって、敷居が高いと思われる東大日本史の良質の入試問題こそ、むしろ最良の手引きとなりうるだろう。

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