『重金属のはなし』 生命誕生からハイテクまで

2012年9月28日 印刷向け表示
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重金属のはなし - 鉄、水銀、レアメタル (中公新書)

作者:渡邉 泉
出版社:中央公論新社
発売日:2012-08-24
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てっきり書名からレアメタルの産業利用や資源開発がメインテーマかと思っていたが、本書で主に扱うのは生命科学の分野である。身内の第一人者を出し抜くようなテーマで僭越ではあるが、これは神秘的かつ深刻な内容に富んだ相当な力作。新刊本ウォッチャーの端くれとして、この一冊を見逃すわけにはいかない。

意外と知られていない事実ではあるが、重金属は人類の生活や科学技術に必須であるだけでなく、人類の生命維持にも不可欠な存在である。必須元素(必須微量元素)とされるには、以下の3つの条件が満たされていなければならない。

1. その元素の不足で欠乏症が生じること

2. 欠乏症は他の物質の摂取では改善されず、その元素の摂取でのみ回復すること

3. その元素を含むタンパク質や酵素といった化合物が体内から取り出されること

これら3つの条件を満たす元素は、生物によって差があることも動物実験の結果で確認されている。動物ではニッケルやバナジウム、スズなど約20種類の微量元素が必須元素として確認されているが、ヒトでは鉄、亜鉛、マンガン、銅、セレン、ヨウ素、モリブデン、クロムそしてコバルトの9元素のみが必須元素とされている。ヨウ素を除き、これらは、すべてが重金属である。

では、そもそもなぜ、重金属類が体の中に存在するのだろうか?

生命誕生のメカニズムには多くの謎が残るものの、物質に関しては科学のメスが深く切り込んでいる。1953年に行われた「ユーリーとミラーの実験」により、原始大気の成分に放電などのエネルギーを与えたところアミノ酸が生成され、その後より複雑な生物有機化合物の合成にも成功している。

これら生命の材料から実際の生体成分を合成する実験は、有機化合物の生成に多大なエネルギーが必要であることを裏付けるとともに、化学反応を触媒するには金属イオンが重要であることを指摘している。

つまり、生命の誕生には原料となる炭素や酸素などの元素の存在と多大なエネルギーに加え、生命に害を与える高いエネルギーをもつ紫外線の届かない環境(水は紫外線を吸収するため、陸上よりも安全となる)と、化学反応を触媒する金属元素が必須であった。

こうした条件を満たす環境としては、高圧高温で紫外線が届かず、金属元素の豊富な深海の熱水噴出孔が挙げられ、現在ではこの熱水噴出孔が生命発生の場と考えられている。この生命誕生のときに使用されたと考えられている元素が、もともと存在量の多かったアルミニウムやケイ素である。

今日、我々は当然のように空気を呼吸して生存している。しかし酸素はきわめて「毒性」の高い物質である。酸素分子は非常に反応性が強く、すぐに様々な物質と結合(=酸化)する。そのため、生命活動のない地球以外の惑星では気体の酸素は存在しない。

地球に酸素が登場するのは、その誕生から21億年後。生命体が光合成を獲得することにより、海は酸素という猛毒で満たされ、さらに海に溶け切れなくなった酸素は大気まで汚染した。その結果、海では大量に溶けていた鉄が酸化し、不溶性の酸化物、つまり錆となって沈み、取り除かれた。この酸化に伴い、その当時生息していたほとんどの嫌気性生物は、体を酸化され死に絶えたと考えられている。

光合成の獲得に伴って地球上を覆った酸素汚染を生き延びた生物は、いくつかの機能を獲得した。そのひとつが、激しい酸素の反応性、つまり高いエネルギーを、逆に生存に利用するという戦略である。これが酸素呼吸である。もうひとつは、本質的に厄介な酸素、特に生体内で発生する活性酸素主やフリーラジカルと呼ばれる強毒性物質を消去するメカニズムの獲得である。このとき用いられたのがやはり重金属であった。

現在、動物体内で働く高酸化酵素には、スーパーオキシドジスムターゼ(SOD)と称される酵素群やカタラーゼ、グルタチオンペルオキシターゼ(GPx)がある。それらは銅や亜鉛、マンガン、鉄、そしてセレンを中心としている。活性酸素を消去する必要から、使用するエネルギー効率が良い重金属を積極的に取り入れ、身を守ったと考えられている。

とくに海中では、すでに酸素汚染によって鉄は取り除かれ、その存在が劇的に少なくなってしまっていたため鉄は利用できず、銅に代表される前記の重金属が使用されたと考えられている。

このように、まさに今われわれを形作る生命のメカニズムは、地球環境の変化とともに、生命体の置かれた状況、また周りにある重金属の機能を巧みに組み合わせによる「奇跡の賜物」であると言えよう。

他方、生命体の重金属利用の巧妙さが逆に仇ともなりうる。人類による重金属利用が増えるにつれ、重金属が多量に生物圏に持ち込まれる事態が生じ、それら”汚染”重金属が、生命と金属の関係を攪乱しはじめている。

重金属が発現させる毒性メカニズムであるが、生物は生存のため重金属を体に取り込む必要があり、そのための経路をもっている。このとき、類似した性質を持つその他の重金属もまた、その経路を伝って体内に侵入し、必須元素の機能を阻害してしまうのである。

金属汚染と公害病の実態、本書の後半はその凄惨なルポタージュである。生命誕生の神秘や巧妙なメカニズムの機能美に引き込まれて読み進んだ本書の前半とは打って変わり、われわれ読者は酷い現実を突きつけられることとなる。

ハエが群がる農家の納戸に、1人放置されるように寝ていた高齢の女性患者は、やせ衰え身動きが取れない。度重なる骨折によって全身が変形し、さらに、その体は”子どものよう”に小さかった。いつものように診察しようとして、脈を見るために手をとると、持ったところで骨が折れた。激痛のため、老婦は「痛い、痛い」と叫び声をあげた。萩野は驚き、呆然とする。第二次世界大戦終戦の翌年、1946年の春のことであった。

「私は、あの日の出来事を忘れることができない」、のちに”奇病”の発見者、萩野医師がそう語るイタイイタイ病との対面は、この病気の悲惨さを代表したケースでもあった。

水銀汚染と水俣病、”竜の歯”カドミウムとイタイイタイ病、ヒ素による土呂久公害など、公害事件を巡る対応の悪弊は繰り返される。原因を認めようとしない企業、それを支えるかのような行政、企業と行政の癒着である。さらに、被害民、つまり国民そのものを置き去りにしたかのような誠意の感じられない対応、その場しのぎの対策である。

これらはいわば、国家や企業という巨大な権力や資本に、被害民がなかなか抵抗できないという現実そのものであった。残念ながら、この構図は今日の福島原発事故でも繰り返されていると言わざるをえない。

重金属は数々の悲劇を引き起こした。しかし、重金属が科学の最新ツールとしてわれわれにもたらしてくれる成果はいまだに大きい。汚染の浄化や、食糧の増産、エネルギー問題の解決、そして医療分野での人命救助など、重金属の活躍の場はまだある。

レアメタルは二酸化炭素を放出しない自動車を創出し、次世代エネルギーとして期待される太陽光パネルにも重金属を組み合わせる技術が模索されている。命を奪うがんや肥満、さらには心の病からの回復にまで、金属の意外な効果が続々と明らかになっている。

これらを考慮すれば、科学技術における重金属の未来も明るいと断言したい。先ほども述べたように、27億年前、巨大なエネルギーを持ち、それゆえに強烈な毒である酸素を利用することで生命は飛躍的な進化を遂げたが、その結果、体内に猛毒を導き入れることになった。このとき、解毒のために利用されたのも銅などの重金属だ。われわれ人類もぜひ、こうした生命の英知にあやかりたいものである。

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