『闘うプログラマー 新装版』 解説

成毛 眞2009年07月21日 印刷向け表示
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闘うプログラマー[新装版]
作者:G・パスカル・ザカリー
出版社:日経BP社
発売日:2009-07-23
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《この原稿は書評ではありません。本書に付属している解説です。》

マイクロソフトはベルビューなどシアトル近郊で賃貸ビルを転々としたあと、1986年、レッドモンドに現在の本拠地を構えた。当初のキャンパスは2階建ての建物を4棟建てただけのこじんまりとしたものだった。ビルディング2はそのうちの1棟である。内部は銃の撃ち合いに備え、短くて何重にも折れ曲がった廊下を作った古いリッツカールトンホテルのように複雑な構造になっていた。本書はそのビルディング2のなかで1988年から1994年まで行われたプログラマーたちの闘いを記録したものだ。

とはいっても、本書は海の向こうの遠い昔の話ではない。本書に登場する主要人物たちのほとんどは仕事で何度も来日している。ビル・ゲイツやスティーブ・バルマーはもちろん、ミアボルド、ショート、ウッド、ルビン、マリッツ、モーシュ、マグリアは、Windows-NTやOS/2などシステム製品の日本でのセールスやプレゼンテーションに駆り出された。ルコフスキーとダイヤモンドは長期にわたり日本で仕事をしていたこともある。

不思議なことにWindows-NTの最初のバージョンは1.0ではなく3.1だった。これは当時のWindowsの最新版が3.1だったことに由来する。マーケティング的には主流だったWindowsとの互換性を訴えたかったのだ。Windows9Xシリーズ、Windows-XP、Windows-VistaもWindows-NT系である。つまり、Windows-NTは世界でもっとも多く使われているOSの1つなのだ。

ところで当時、Windows-NTより一歩早くマイクロソフトが開発を進めていたOSがあった。IBMと共同開発していたOS/2である。1987年にバージョン1.0が出荷されたあと、2006年末をもってサポートを含む全てのOS/2の活動が終了した。悲しい結末を迎えたOS/2だが、その開発の裏側にも多くのプログラマーの苦闘があったに違いない。本書は製品の生存競争という意味においては勝者の記録なのだが、企業内における多くのOS開発事例の記録の1つでもある。

本書の第5章に詳しいが、最後までOS/2からの撤退を躊躇していたビル・ゲイツが翻意したのは1990年7月のことだ。もちろん彼はIBMと対立するどころか、宣戦布告になることを懸念していた。間違いなくIBMは報復してくるはずなのだ。ビル・ゲイツは同時に、日本の盟友たる日本電気を窮地に立たせることも心配していた。

このころ日本では日本電気が1990年1月の新本社ビルの完成にあわせ、情報系のシステムを一新しようとしていた。世界で始めてOS/2で統一したシステムになる予定だった。全フロアの出入り口にOS/2ベースの情報端末も設置されたほどだった。

それほどの代償を払ってまでもマイクロソフトはWindows-NTを選択した。しかし、この決断こそがマイクロソフトをいわば自立した企業へと大きく変身させるきっかけになったのだ。もはや事前契約のもと必ず製品を買ってくれる、頼れるハードメーカーはいなくなった。自力でソフトウェアを開発・マーケティングし、結果的にハードメーカーに採用してもらうという傾向が強くなりはじめたのだ。Windows-95、Windows-98の華々しい店頭デビューはWindows-NTの予期せぬ果実といっても良いかもしれない。

ところで、本書の主人公であるデーブ・カトラーがキャリアを積んだのはDECである。DECはハードウェアもソフトウェアも自前で作るミニコン・メーカーであった。その中でカトラーは頭角をあらわしたのだが、当然ソフトウェアは社内からの事前発注だったはずだ。売れないかもしれないという製品を作るという感覚からはほど遠かったであろう。自分が開発しているWindows-NTが引き起こす業界構造の変化を予測できなかった可能性がある。

しかしだからこそ、Windows-NTは現在も使われる長寿命なOSになりえたのかもしれない。Windows-NTの初期バージョンに対し、市場に迎合しない技術者の心意気のようなものが感じる人は多かったのではなかろうか。

本書にもあるように、カトラーの仕事ぶりは猛烈の一言だ。ワーカホリックが多いマイクロソフトの中においても神話化されていた。海兵隊の指揮官のような精悍そのもののカトラーは、一部の技術者の憧れでもあったことは間違いない。著者は序章の最後で「(この物語の人々は)最後には、優れた作品は愛情と暴力によって創造されるのだと知った」と断言する。

当時のマイクロソフトは本社をキャンパスと呼んでいるように、学生気分が残っていたように思う。そこへプロの開発管理者であるカトラーが現れたのだ。新兵のような若いプログラマーたちは、困惑し、混乱し、振り回された。そのプログラマーたちもWindsows-NTの開発中にベテランになった。そのベテランたちですら発売予定日が近づくにつれ、動揺し、逃亡し、閉所恐怖症になる。そこはまさに戦場そのものだったのだ。

本書に登場した主要人物の2009年6月現在について少し触れてみよう。ビル・ゲイツとスティーブ・バルマーはチェアマンとCEOとしてマイクロソフトを経営している。デーブ・カトラーとダリル・ルービンはマイクロソフトのテクニカル・フェローになった。リック・ラシッドは研究部門をリードしている。ポール・マリッツとネイサン・ミアボルドは2000年に退職し、それぞれベンチャービジネスを立ち上げ、いまでも戦友たちと付き合いがある。例外はマーク・ルコフスキーで、ライバル企業のグーグルに転職した。

本書の原題は「ショーストッパー」である。一般的にこの言葉は「あまりの名演技に、観客の拍手がなりやまず、舞台が先に進まない状態」をあらわす。いっぽうソフトウェアの世界では「出荷というショーを中止させるほどの致命的なバグ」である。著者はその二つの意味を掛け合わせて使っているようだ。企業内チームが全くのゼロから仕事をするという意味で、Windows-NTの開発は最後のショーだったのかもしれない。

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