『イルカ』

成毛 眞2009年09月17日 印刷向け表示
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イルカ―生態、六感、人との関わり (中公新書)
作者:村山 司
出版社:中央公論新社
発売日:2009-08
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15年ほど前の出来事以来、ボクは鯨やイルカを絶対に食べない。スキューバダイビングをしようと乗り合い船で伊豆下田沖にある神子元島に向かっているとき、イルカの大群に遭遇したのだ。ダイバー全員で海に飛び込んだ。タンクをつけている余裕はないので、素潜りスタイルだ。他のメンバーは大群のバンドウイルカがいるサイドから海に入ったのだが、ボクはあわてていて反対の舷から飛び込んでしまった。

反対側に行こうと泳いでいるところに大型イルカ、オキゴンドウが6頭あらわれたのだ。3頭の大人と3頭の子供がそれぞれ交互に横一列にならんで10メートルほど下をゆっくりと泳いできた。いまでも鮮明に記憶してるのだが、まず右端の大人がボクに気づいた。じっと見ている。見つめられたボクは敵ではないというつもりで広げていた手足を丸めて小さくなった。

それを確認してその大人が「ピー」と鳴いた。もう1頭の大人が「ピー」とうなずいた。そして3頭目の大人が「ピー」と合図して6頭はそろってボクの目の前で浮上して呼吸したのだ。去っていくときに、最初の1頭が振り向いてボクを見ている。そしてまちがいなく首を振って何かを合図したのだ。イルカたちの会話は「あの人、だいじょぶそうよ」「よかった」「じゃ、呼吸しに浮上しましょ」以外に考えられない。あの首振りは「ありがとう」ではなかったのか。ともかくそれ以来、クジラ・イルカ類は人間と価値感が違うだけの知性体だと確信している。

本書は海洋学部でイルカ類の感覚と行動、認知を専門としている研究者による本だ。最新のイルカについての科学的な知識がびっしり詰まっているのかと思ったらそうではなかった。たしかに「はじめに」で著者は「本書はイルカという動物が(中略)太古から現代にいたる人間との関係の変遷、人間のイルカ感に目を向ける」と書いていた。第2章「神話のなかのイルカとクジラ」ではなんと旧約聖書から北方民族の信仰にまで目を向ける。ボクにとっては、つまらないことおびただしい。神話などから特定の対象を抜き書きする「博物学」にあまり興味がないからだ。

しかし、イルカの知性についての第4章は40ページしかないのだが面白かった。著者はイルカの知性を認めていて、本書の結語は「いつか、ジョン・リリーが夢見たような『イルカと話す日』が本当に来るかもしれない」だ。著者が水産庁を辞めて大学の教員になった理由が良くわかる。イルカ・クジラに知性を認めてしまうと、捕鯨に反対せざるを得なくなるはずだ。

ところで著者は船に弱いらしく何百頭にもなる群れをまだ見たことないのだともいう。それは悲しすぎる。10年ほど前、カナダのサンファン諸島にオルカを見に行ったことがある。このときはJ-POD、K-POD、L-PODという3つの群れが集合していた。100頭以上のオルカが目の前で悠々と泳いでいる。さらに驚いたことに数百頭のネズミイルカたちもその回りを取り巻くようにしていたのだ。唖然とした。感動して涙を流す人もいたほどだ。

そのオルカの知性についての具体例を本書はさらっとふれている。オルカが狩りをするときに囮を使うことがあるというのだ。まず一頭のオルカが砂浜に乗りあがり、岸辺で遊んでいるオタリアの子供に襲いかかる。オタリアたちは慌てて陸側に逃げるのだが、なかにはオルカの背後に回ろうと海側に飛び込むのがいるのだという。海で待っている別のオルカがそれを捕まえるというのだ。そこまでであれば、ライオンやハイエナとあまり違いはないかもしれない。しかし。オルカは誰もいない海岸で砂浜に乗り上げては自力で戻るという「練習」をするというのだ。クジラ・イルカと共存の道をなんとか探せないものなのだろうか。

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