『アグルーカの行方』交錯する生死の狭間で

鰐部 祥平2012年11月22日 印刷向け表示
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アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極

アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極

  • 作者: 角幡 唯介
  • 出版社: 集英社
  • 発売日: 2012/9/26

1845年、ジョン・フランクリン率いる北西航路探検隊は129人の隊員と3年分の食料を二隻の軍艦に乗せ、悠然とイギリスから出発する。フランクリンは以前の北極圏探検のときに食料不足におちいり、苔やブーツの皮を食べて飢えを凌ぎながら生還した経歴がある。そのため「ブーツを食べた男」と呼ばれ、当時のイギリスでは英雄的な探検家として人気のある男だった。北西海路の調査は19世紀当時、北極沿岸の未踏部分500キロメートル足らずを残すのみになっていた。この遠征が成功すれば北極圏からアジアに抜ける、人類未踏の航路が完成する。現代の感覚では月や火星に行くような、国民の期待と好奇心をかきたてる一大事業だった。しかし、フランクリン隊は同年にメルヴィル湾沿岸で捕鯨船に目撃されたのを最後に、消息を絶つ。いったい彼らに何が起こったのか?

興味をひかれる物語だ。フランクリンの北西航路探検の話を聞くと、つい関連本が読みたくなる。しかし世間にはとんでもない男たちがいる。読み調べるだけでは気が済まず、実際に同じルートを歩いてみようと考える、とんでもない男たちだ。著者もそんなひとり。

著者の角幡は探検家だが北極、南極ともに極地探検の経験は無い。そんな著者が相棒に選んだのは、同じ探検家で「北極バカ」の荻田秦永。氷点下40℃にもなる極寒の地を生き残るために、橇に100キロ近い荷物を詰め込み、徒歩で旅に出る。彼らの旅が想像を超える過酷な旅になることは冒頭部分を読んだだけでもひしひしと伝わってくる。

フランクリン隊は夏の海を航海し、キングウイリアム島沿岸で船が氷に閉ざされ身動きが取れなくなってしまう。生存者は橇にボートを乗せ、そこに食料やテントを積み、生存を賭けて南へと進路をとり、凍結した海を歩いた。よって著者たちの旅の多くの部分は、凍結した海の上を歩くことになる。

しかし、凍結した海の上を歩くといっても、アイススケート場のように悠々と滑ることが出来るわけではないようだ。氷はでこぼこしているし、凸部分に雪が吹き溜まり、氷のように固まり橇を引くのにも、大きなエネルギーが要る。また、近年の温暖化の影響であろうか、乱氷という現象が多く見られ、二人の行く手を遮っている。乱氷とは、海流や風で流氷が集められ、積み上げられている現象だ。数メートルの氷の壁をよじ登り、重い橇を引き上げ、反対側に落とす。進むごとに体力と時間が奪われる。二人には疲労と焦りが蓄積していく、読んでいるこちらも骨が折れる思いがする。

氷点下数十度の中での肉体労働。それを想定して、ひとり1日5000キロカロリーの食料を準備した著者たちだが、旅の日数を経るごとに、空腹感にさいなまれるようになる。荻田が夕食を食べ終わって放つ第一声が「腹減ったー」だというエピソードには思わず噴出してしまった。だが、空腹感は次第に満たされることの無い飢餓感に変わり始める。

ちなみにフランクリン隊129人の三年分の食料計画は、固形物が151トン。スープや酒類といった液体などが5万リットルほどだ。更に細かな内訳が記されているので興味のある方は本書で確かめてもらいたい。これらのリストをもとに計算すると、フランクリン隊の一人当たりのカロリー摂量は一日3000カロリーになるそうだ。船旅の間は問題なかったかも知れないが、座礁後の徒歩行ではかなりの飢餓状態だったことが伺える。ちなみに著者たちのように橇を引き徒歩行で南極点を目指し、その帰路に全滅したロバート・ファルコン・スコット隊の一日あたりの摂取カロリーは4890カロリーほどであったようだ。

絶えず感じ続ける飢餓感は、ふたりを「なま」の人間へと変えていく。彼らの内に眠る生物としての本能が限りなく前面に押し出される。食料を手に入れるため、本来は白熊よけに持参したはずの銃を使って狩をするようになる。生きた動物が食料に見えることなど、現代の文明社会に生きている私達には想像も出来ない感覚ではないだろうか。結局は生きるということの本質。すべての無駄をそぎ落とした生の姿とは「食う」ということなのだろう。

そんな彼らの目の前に現れた麝香牛の群れを狩ったときの話は、残酷でありながら心をうつ。狩りのさい、ふたりは意図せず母牛を殺してしまう。母牛の亡骸にすがりつく子牛を押しのけ、獲物を解体するふたり。子牛はその周りをメーメと鳴きながら不安そうに歩き回る。ふたりが解体を終えその場を離れようとすると事態は一変する。

“背後からビエーッ、ビエーッという物凄い絶叫が聞こえてきた。

何事かと振り向くと、残された子牛が全力で突進してきていたのだ。(中略)そして荻田の足にぶつかる直前で急ブレーキをかけたかのように立ち止まった。そして抗議をするかのごとく、顔を上げて絶叫を上げ続けた。

ビエーッ、ビエーッ!“

頼りなく弱々しかった子牛の突然の豹変。この子牛も過酷な環境の中で、食を保障してくれる母を殺され、最後の生命のエネルギーを捕食者に向けて解き放ったのだろう。設営したテントにまでついてきて、絶叫を続ける子牛に罪の意識を呼び覚まされ動揺するふたり。この子牛は生き残ることはできない。餓死か肉食動物に捕食されるしか道は残されていない。そう分かっていても、幼い命を自ら手にかけることを嫌がっていた2人だが、彼らはついに子牛の額を銃で射抜くことになる。

生への執着と残酷な飢餓感はフランクリン隊をも蝕んだ。彼らは空腹に耐えかね、死んだ仲間の肉を食するようになる。どんなに文明で飾ろうとも生きることとは、他者の命を食らうことなのだ。このふたつのエピソードが、我々に突きつける「生」の現実。生と死の境界が常に曖昧な極地という厳しい環境に魅せられた男たちの行き着く先は、残酷なまでに命を削り合う世界だ。しかしなぜだろう、本書を読んでいると私も見たくなってしまった。白一色に覆われた最果ての地を。

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  • 作者: 角幡 唯介
  • 出版社: 集英社
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