『スプートニクの落とし子たち』

成毛 眞2010年07月31日 印刷向け表示
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スプートニクの落とし子たち
作者:今野 浩
出版社:毎日新聞社
発売日:2010-06-19
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1958年の東大工学部出身者の悲喜交々を赤裸々に書いている本である。登場人物は実在していたどころか、ほとんどすべてが実名で登場する。この物語には一遍のファンタジーもなければ、夢想もない。しかし、筆の運びは滑らかであり、上手な小説仕立てである。つまりこれは「私小説」なのだ。その意味において村上春樹の対称たる小説といえるのかもしれない。

「プロローグ」と「エピローグ」では高校生の「理工系離れ」や理工系大学生の「金融・商社志向」を憂いて本書を上梓した旨が書かれているのだが、本文はそうなっていない。後藤公彦という人物の栄光と挫折についてがテーマである。当時の東大工学部のベスト10に入っていた秀才の後藤は、富士製鉄に入社し、その後アメリカにわたりMBAを取得する。当時めずらしい米系銀行に再就職して凱旋、ついで日本において学位をとり、大学教授になるべく走り回る。そして、最後には2DKの借家で死ぬのだ。

純粋な小説ではない理由があるとすると、日本の大学の閉鎖性や前近代的管理体制などの記述が目立つからである。しかし、それもけっして批判的でもなく、建設的な提案があるわけでもなく、単に後藤の物語の舞台を説明しているだけなのだ。

著者は自分たち550人の東大理科1類入学生が全国の「ベストアンドブライテスト」だと繰り返す。実際のところたしかにそうなのだが、本来デイヴィッド・ハルバースタムが使った「ベストアンドブライテスト」はケネディ政権においての秀才たちが、アメリカをベトナム戦争の泥沼に引きこんだという意味で否定的に使っているはずだ。この著者がそれを知らぬはずはない。

本書から離れるが、ボクは部下には地頭の良い人物が好きだ。彼らは単なる「ブライテスト」である。地頭が良く、さらに普通ではない努力ができる才能があるものは「ベストアンドブライテスト」であり別の人種なのだ。ビジネスにおいて個人学力のトップ争いはほとんど意味がない。それよりもはるかに効率の名のもとに、手を抜く方策を練ることができる人物のほうが営業やマーケティング、ひいては経営において良い結果を生むことが多い。

いっぽうで、新技術開発競争などでは「ベストアンドブライテスト」が必要だ。一朝一夕で作れない技術や製品などは、努力ができる才能こそが重要なのである。その意味においていつの時代も工学系、技術者は相対的に不遇なのかもしれない。学生時代に「手を抜く」という才能にも値段がついていることを教えるべきなのかもしれないのだろう。

ともあれ、本書は悲しい小説である。常人の想像に絶する努力をしても、それが金銭的に報われた人はごく僅かである。東大教授になっても定年後は私立大に職を求めねば生きていけない。好きな研究をしていたのだから、良き人生であったろうと慰めるには、唇が渇く思いがする。

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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
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出版社:中央公論新社
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