予習のつもりがどっぷりと。 - 『八重と会津落城』

深津 晋一郎2013年01月05日 印刷向け表示
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八重と会津落城 (PHP新書)
作者:星 亮一
出版社:PHP研究所
発売日:2012-12-16
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正月三が日も終わり、昨日が仕事始めだった方も多いだろう。いよいよ本格的に幕を開けた2013年だが、そのイントロを飾りそうなのが1月6日(日)スタートの大河ドラマ「八重の桜」だ。HONZを読まれている方は書店を訪れる頻度も多いと思うが、書店の棚は昨年の暮れから見事なまでの「八重ブーム」だ。日本史のコーナーは勿論のこと、新書にも「八重の桜」に関連した新刊書が数点並んでいる。そんな訳で、予習も兼ねてと思いながら手に取ったのが本書なのだが、これが想定していたものとは多少異なる面白さだった。(ただ、とても面白かったのは間違いない。)

というのは、表題から想像するほど(山本)八重の人生が主題になっていないのだ。あくまで「会津落城」が本書のメインテーマになっている。もちろん八重は登場するのだが、あくまで若松城(鶴ヶ城)での籠城戦における獅子奮迅の活躍と、そこに至るまでの八重および山本家の境遇が多少添えられている程度だ。本書の表題からすると当然かもしれないが、戊辰戦争の後、新島襄と結婚した「新島八重」としてのエピソードは皆無であり、「八重の桜」の事前テキストとしてはやや王道から逸れている。でも、それで構わない。本書において著者が描き出そうとしたのは、あくまで幕末期における会津藩の歴史であり、そしてそれは激動の連続でとても興味深く、ドラマチックであり、そして現代を生きる私たちにとっても気づきと学びに満ちているからだ。

文久2(1862)年、会津藩の第9代藩主である松平容保が京都守護職に就任するところから物語は始まる。当時の京都は薩長の藩士らによる尊王攘夷運動が巻き起こっていた動乱の地。幕府の威信が大きく低下していた状況で、荒れる京都の治安を守り抜き、幕府に忠義を尽くす困難な責務を負ったのが、京都守護職だ。あまりにもリスキーであり、誰もが就任を躊躇せざるをえない火中の栗のようなポジション。八重の兄であり、会津藩の砲術師範だった山本覚馬は、松平容保に対して幕府から就任の依頼があったと知り、絶句したという。しかし、藩士たちの反対を押し切って、容保は京都への赴任を決意する。ここが、会津藩の悲劇の始まりとなった。

慶応2(1866)年には薩長同盟が結ばれ、いよいよ倒幕の動きが加速する。第2次長州征討に敗れた幕府の権力は弱体化の一途を辿り、その後、倒幕を好まず公武合体論を取っていた孝明天皇が急死すると、いよいよ幕府は窮地に立たされる。15代将軍の徳川慶喜は大政奉還によって事態の打開を図ろうとしたが、同じ頃、薩長は岩倉具視の側近だった玉松操が起草した「討幕の密勅」をもってクーデターを決行し、王政復古の大号令を発し、新政府を樹立する。その後、鳥羽・伏見の戦いでの旧幕府軍の惨敗を経て、1年半あまりにわたる戊辰戦争の末に、明治維新へと展開していくのは、誰もが知るところだ。

こうした幕府崩壊の流れにあって、会津藩は常に幕府側だった。実は松平容保は、慶応3(1867)年2月に京都守護職の辞任を申し出ている。藩財政の窮乏、そして肝心の幕府の衰退。このままでは会津藩が滅亡してしまうとの危機感があった。しかしながら、幕府の説得もあり辞任は叶わず、容保と会津藩士は京都に残留。その後、討幕の密勅を手に官軍を名乗った薩長の前に、会津は賊軍とされてしまうのだから、歴史の悲劇としか言いようがない。それでも会津藩は、最後まで幕府への忠義を貫き、絶望的な状況の中、自らの信じるもののために薩長連合軍との死闘を繰り広げた。八重が大車輪の活躍をみせた若松城での1ヶ月に及ぶ籠城戦では、会津の女性達が凄まじいばかりの団結力と行動力で、戦況を支えている。誰よりも巧みにスペンサー銃を操り、百発百中の命中率で敵軍を狙撃し続けたという八重も凄いが、他の女性も炊事や食糧調達、怪我人の看護、そして銃を持っての戦闘に至るまで、男共を越える強さと逞しさだったという。こうした会津藩のドラマには、やはり心を打つものがあるだろう。

ただ、こうしたドラマの裏側こそが、本書が明らかにしている最も重要なポイントだ。こうした会津藩の悲劇の歴史には、実は幾つかのターニングポイントがあったのだが、後世の目から見ると、会津藩はその時々における重要な判断を悉く誤っているのだ。また、形勢不利の戦いを強いられた戊辰戦争でも、決定的な戦略ミスを幾つも犯している。これは奥州他藩との交渉戦略のミスもあれば、合戦における戦術的判断のミスもあるが、これらがなければ、会津藩はもっと戦えたのかもしれない。結局のところ、悲劇のドラマを演出してしまった決定的要因には、戦略の不在があったのだ。

そして興味深いのは、そうしたミスの多くが「人事」と「旧弊」に起因しているように感じられることだ。例えば、「奥羽の咽喉」といわれた白河での戦いで、会津藩が総督に選んだのは戦闘経験が皆無の西郷頼母だった。情報収集も戦略もなく臨んだ戦いは、無残なまでの即日陥落。挙句の果てに、惨敗を喫した西郷へのお咎めは一切なかったそうだ。また、会津藩の軍備は薩長に大きく出遅れていたのだが、先見の明をもった逸材、山本覚馬は早くから西洋の新式銃を購入するように進言していた。しかし、旧弊に縛られた家老達はなかなか納得せず、ようやく外国から納入の目処がついた頃には幕府が崩壊していたため、注文した1,300挺は薩長に押さえられてしまった。こうしたミスは、もう枚挙に暇がないほどだが、ドライに評価してしまえば、藩主たる松平容保が、大胆かつ戦略的な人事で、旧弊を打開できなかったということなのかもしれない。

本書の醍醐味は、まさにこうした敗因の分析にある。時間軸に沿って具体的なエピソードを幾つも織り交ぜながら、会津落城の背景を丹念に追っていく展開は、非常に刺激的で、読む側を全く飽きさせない。心揺さぶるドラマから学べる歴史も勿論大切だが、「歴史に学ぶ」ということの重要性は、こうした「史実の背景部分」にこそ隠れているのかなという気がする。戦略や戦術が求められるのは、現代でも同じなのだから。

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失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇
作者:野中 郁次郎
出版社:ダイヤモンド社
発売日:2012-07-27
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本書を読み終えて、最初に思い出したのが名著『失敗の本質』だ。会津藩の敗戦は、太平洋戦争における日本軍の敗戦とどこか重複する。人事のミス。旧弊に縛られた意思決定。そして、長期的なビジョンを見据えた戦略の不在。やはり歴史に学ぶことの意義は大きいと、つくづく思う。

「朝敵」から見た戊辰戦争 桑名藩・会津藩の選択 (歴史新書y)
作者:水谷 憲二
出版社:洋泉社
発売日:2012-12-06
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会津藩の悲劇はなぜ起こったのか。鳥羽・伏見の戦いにおいて、会津藩と共に幕府軍の先鋒を務めた桑名藩と比較しながら読み解いていく。

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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
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