『切りとれ、あの祈る手を』

高村 和久2011年01月25日 印刷向け表示
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切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話 『切りとれ、あの祈る手を --- 〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話 佐々木 中 河出書房新社 (2010/10/21)

シュノーケリングするように読む人もいれば、深海ダイバーのように読む人もいる。私はシュノーケラーだが、著者は、断然後者である。読むという事は命を懸ける事だ。

思想系の本で感動するとは思わなかった。最後の10ページくらいまでは普通だった。なので、今更ながら、本書である。本書はきっと、市井に暮らす人も勇気づける。

以前、仕事が異様に暇だった頃、図書館で小林秀雄全集に手をだした。そこで読んだ「常識について」という文章が、『方法の話』についての話であった。

それによれば、デカルトはこう言う。

「学問に励んでみたが、無駄だった、何の利益もなかった、「たった一つの利益は、学問すればするほど、いよいよ自分の無知を発見したことであった。」

「お陰で、私は、他の全ての人々を、自分自身で判断する自由を得た。これはと思うような学説は、今の世間には一つもない、と考える自由を得た。」

そして、書物を捨て、従軍し、旅行し、9年の後にコギトに到達する。しかし、それは容易には人に伝えられない。「と言うのは、人が20年もかけて考えたところを、二言三言聞いただけで、一日でわかったと思い込むような人がいる」が、それでは「いよいよ誤り、真理から遠ざかる」。「自分の方法を模して、諸君にめいめい自分でやってみてもらう他は無い」。

著者も、いろいろなものを辞めた。無知を選び、愚かに見えることを選び、自分が正しいかどうか不安な状態を選んだ。「堕落した情報があるのではなく、情報それ自体が堕落なのだ。」

一つについて全てを知っている専門家にも、全てについて脊髄反射的に言える批評家にもならない。無知で愚かで不安で、専門家や評論家に嘲笑されても。なぜなら「読んでしまったから」。

本を読むという事は、絶対的な外部性に出会う事である。他人の考えを、完全になど理解できる筈がないのだ。めいめい自分でやってもらう他はない。それは旅人同士の会話に似ている。彼が海がきれいだったと言っても、自分が一度も行っていないなら想像すらできない。

著者は究極の例としてムハンマドを挙げる。彼は、読めと言われても絶対に読めなかった。文盲なのだから。それでも読んだ。絶対的な断絶を超えたいという希望がイスラム教の始まりにある。

読んで書くことは革命だ。読んで書くことは、新しい視点を与えられ、自分の中に何かを孕み、世界と隔絶して孤独になることだ。「本を読んでいる自分が狂っているのか、それとも、この世界が狂っているのか。」

そこまでして、なぜ読むのか。それは、「読まなかったら、何をして生きていたらいいのかすらわからなかった」からだ。そして、次に読む人に微かな光が届くように書くのだ。

「その人間にも迷いの夜があろう。その夜に、ふと開いた本の一行の微かな助けによって、変革が可能になるかもしれない。」

「あなたがたの出来上がりが不十分、ないし半分だったとしても、なんの不思議があろう。あなたがた、なかば砕けた人たちよ。あなたがたの内部でひしめきあい、押しあっているではないか-人間の未来が?」

言葉は「千の闇を抜けてきた」。そして我々の存在自身が「未来の文献学」の一部である。

本書が、善良で、内気で、嘲笑され、暗闇の中にいる、創造する人たちに届きますように。

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