『乾燥標本収蔵1号室』

土屋 敦2011年05月09日 印刷向け表示
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先日、飲んでいる最中に電話が鳴り、某誌編集者から、いきなり翌日締切りで書評原稿を書いてくれ、と言われてしまった。うっかりして、依頼を忘れていたらしい。そのとき読んでいたのがちょうどこの本。

乾燥標本収蔵1号室―大英自然史博物館 迷宮への招待
作者:リチャード・フォーティ
出版社:NHK出版
発売日:2011-04-22
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というわけで、この本は、そもそもこのブログ書評のために読んでいたのだが、急遽雑誌にも書くこととなった。同じ本を二度取り上げることになったが、ご容赦を。

著者は、

Trilobite!: Eyewitness to Evolution』(邦題『三葉虫の謎―「進化の目撃者」の驚くべき生態』)や『Life: An Unauthorised Biography』(邦題『生命40億年全史』)、『The Earth: An Intimate History』(邦題『地球46億年全史』)などの科学ノンフィクションの著者として知られる。『A Short History of Nearly Everything』(『人類が知っていることすべての短い歴史』)ビル ブライソン著にも登場している古生物学者だ。

そんな予備知識のせいで、科学的、あるいは考古学的、生物学的なアプローチを持った本だと思って読み始めたのだが、予想は裏切られた。本書は、著者自身が長きにわたって勤めあげた、大英自然史博物館そのものについての本だったのだ。

第一章が、自然史博物館に就職するときからの、若き日の著者の思い出から始まったときは、正直「あれっ、買う本を間違えたかな」と思った。率直に言って、退官して余生を持て余す学者の自伝など読みたくもない。

しかし、そう思ったのは一瞬で、あっという間に話に引き込まれていった。一つには、著者の語り口のうまさのせいだが、それ以上に、いかにもイギリスらしい、大英自然史博物館とそれを取り巻く人々そのものの持つ雰囲気のせいだ。

大聖堂を思わせる建造物の中は、どこに何があるのか見当もつかない迷宮のような構造で、陽の光も入らぬ室内で、名も知らぬ無数の研究者たちが、膨大な数の骨や化石、ホルマリン漬けや標本の間で静かに蠢く。そんな描写から漂ってくる雰囲気が、イギリス小説そのものなのだ。実際著者も、博物館で働く人々を、ディケンズやウッドハウスの小説の登場人物になぞらえているが、まさにあの感じ。著者自身も指摘しているが、集められた標本は、むしろ黒魔術の材料ではないか、と思わせるほどだ。ミステリー、幻想小説、猟奇小説、ゴシック・ロマンス、現代ホラーまで、この博物館を舞台にすれば、次々に小説が描けそうである。

英国の古典小説やミステリーなどをよく読んでいた私としては、このいかにもイギリス的な雰囲気を体感できただけで、本書は絶賛に値する。

そうやって、博物館の迷宮案内が終わると、歴代の館長や、そこで働く超個性的な研究者や、博物館内で起きたさまざまなエピソードの紹介が続く。とはいっても、本書は、単に、イギリスならではの雰囲気や著者の洗練された語り口、ぶっ飛んだ研究者の話や研究にまつわる興味深いエピソードを楽しむ「科学読み物」ではない(たとえそれだけであったも、定価2500円の価値は十分にあるが)。

本書には、人の「知性」そのものが描かれているのだ。

冒頭に紹介した『人類が知っていることすべての短い歴史』』で著者のブライソンに、フォーティは「長い間たった一つの生物を研究し続けて、特に成果を挙げなくても、その事自体、敬意に値する」といったことを述べていたのだが(手元に本がなく引用が不正確ですみません)、本書を読むとフォーティが何を言いたかったのか、本当によくわかる。

人は、研究し、分類し、そして死んでゆく。研究は受け継がれるかも知れないし、受け継がれないかも知れない。長い間博物館の迷宮の奥にしまい込まれ、数百年後に突如発見され、脚光を浴びるのかも知れないし、人類滅亡の日を迎えても、埃を被ったままなのかも知れない。しかし、そうであってもまったくかまわない。延々と続く収集、調査、分類、同定、そして整理と保存。あまりにマニアックすぎるこれらの行為と研究者のほとんど常軌を逸した意志、時代を越えたその継続とそれが積み重なった軌跡こそが、人類という種全体の知性なのだ、と本書を読んで思い至るのだ。

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