『ハウス・オブ・ヤマナカ』

栗下 直也2011年05月09日 印刷向け表示
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ハウス・オブ・ヤマナカ―東洋の至宝を欧米に売った美術商
作者:朽木 ゆり子
出版社:新潮社
発売日:2011-03
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明治の揺藍期に日本の美術品が海外に流出したのは広く知られる。海外の美術商が直接買い付けた物もあるが、日本人の手によって広まった物も少なくない。中でも明治期から第二次世界大戦が始まる前まで、欧米で存在感を放ったのが山中商会だ。ニューヨーク、ボストン、イギリスなどに支店を構え、ロックフェラーなどの欧米の富豪に日本や中国の美術品を供給し続けた。本書は、山中商会の事業の拡大と衰退を時系列で描いている。

戦前、それも明治期の美術商は個人での活動が多かった。山中商会も隆盛期に経営を担った山中定次郎の活動が山中商会の評価と重なる部分がこれまでは大きかった。実際、山中商会について詳しい 『山中定次郎扇伝』などの文献では、その書名からもわかるように、定次郎を中心に山中商会の歴史は描かれている。こうした中、本書が新たに提示した視点とは、山中定次郎=山中商会の構図をぬりかえたことだろう。著者は明確に記していないが、山中商会の強みは、家族的経営に支えられた企業体にあるとみている。

定次郎が海外での事業拡大の先兵となったのは間違いない。だが、大きく変わる時代の変化に対応して道をつくったのは、義理の叔父で「大阪道具界の三傑」と言われた吉郎兵衛を始めとする一族だろう。それは定次郎を婿養子として迎え入れたことや、茶道具屋からの転身、海外進出の必要性を感じ、定次郎を初め一族の若者をいち早く送り込んだことからもわかる。

家としての企業体の強さは、江戸以降、形を変えながらもバブル以前までは広くみられた形態であったため、果たして競争力の源泉と言えるかは疑問符が付く。だが、個人に依存するところが大きい美術商の世界では一定の強みをもっていたのだろう。それは山中商会の衰退の過程にもみられる。

山中商会は日本が第二次世界大戦に突入する中、米国国内の日本資産が凍結されたことで、急速に勢いを失う。戦後に復興も目指したがかつての勢いを取り戻せず、2003年に山中商会としての美術品の販売業務を停止した。著者は、再建が実現しなかった理由については多くを記さないが、これまで盤石であった一族のつながりがなくなったことを理由に挙げている。

山中商会は戦争により、歴史の闇に葬り去られた存在との見方が支配的だ。だが、吉郎兵衛、定次郎という求心力を失った山中商会が世界恐慌や戦争がなかったとしてもその輝きを保てたのだろうか。本書を読むと、むしろ、その輝きを失う日はいずれにせよ遠くなかったのではと感じてしまう。

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