『チャーチル』有事といえる日本に送るリーダー論

鰐部 祥平2013年05月24日 印刷向け表示
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チャーチル 不屈のリーダーシップ
作者:ポール・ジョンソン
出版社:日経BP社
発売日:2013-04-25
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ずんぐりとした体型に山高帽を目深にかぶり、葉巻をくわえながら鋭い眼光を投げかけている彼の写真を眺めていると、まるでピットブルのような闘争心旺盛な性格を連想させる。あるいは、往年のギャングを連想する人もいるかもしれない。そうかと思えば、Vサインを高らかに掲げ、満面の笑顔を見せている写真を見ると、キラキラと輝く瞳に自然と目が行く。それは大物政治家というより、どこまでも広がる草原で、幻の蝶を追い求める好奇心旺盛な少年のようである。相容れない二つの顔をごく平然とのぞかせるウィンストン・チャーチル。深みがあり、華やぎと茶目っ気をふんだんに持ち、不屈の闘志と均衡のとれた精神を持つ政治家の一生には実に魅力的な世界が広がっている。

往年の名政治家も少年の頃はあまり優秀な学生ではなかったようだ。彼がおもちゃの兵隊で遊んでいたのを見た父は「陸軍に入る気はないか」と告げる。学業で見切りをつけられたとも知らず、チャーチルは一族の名誉を担わされると勘違いし「イエス」と答えた。これで軍人としての進路が決まる。名政治家もかつては落ちこぼれだったとは、かつて落ちこぼれ少年だった私としては、なにやら希望と勇気がわいてくるようなエピソードだ。

とはいえ、彼はただの落ちこぼれではない。現状のあらゆる機会を生かす聡明さを彼は持ち合わせていた。チャーチルは軍隊生活という特殊な環境と持って生まれた文章力を活かし、戦地での経験を記事にして成功する。彼は士官として、従軍記者として名をあげるために、あらゆるコネを最大限に生かす抜け目のなさも持ち合わせている。

従軍記者として頭角を現すだけでなく、生涯を通じて多くの著作を残している。著書だけでも40点にのぼる。そのうち、『第二次世界大戦』は非常に長く、二百万語を超える大作だ。名著である、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』ですら百十万語である。本の出来を単純に文字数では比べられないが、その労力の注ぎ方は半端ではない。本書の著者の計算では、さらに演説集なども合わせれば八百万語から一千万語を超える文章を書いたというから、もはやプロの作家も顔負けだ。しかも政治家として多忙な生活を送りながら、これだけの作品を世に送り出しているのである。

さらに、趣味で始めた油絵もプロのような腕前になる。その作品の点数も五百点にのぼり、並みのプロよりもたくさん絵を描いているのである。打ち込むことの大切さとそれを支える精根の重要性を感じる。

本書の著者がチャーチルに質問をする機会に恵まれたとき、どのようにすればあなたのように成功できますか?と聞いたところ「精力の節約だ。座っていられるなら決して立たない。寝ていられるなら決して、座らない」と答えたという。冗談とも本気とも取れる言葉なのだが、実際に状況が許せば、午前中はベッドの中で執務や随筆活動をしていたようだ。私など、この言葉をさっそく実践して隙さえあれば、職場の至る所で寝転んでいる。かなり変な目で見られている気もするのだが…

第二次世界大戦で戦時内閣を率い、困難な状況に果敢に挑み、国民を鼓舞し、官僚を叱咤し、軍を明確な戦略のもとに動かしたチャーチルだが、その政治家人生が必ずしも順風満帆であったわけではない。1904年に下院で行われた演説では、演説が最高潮に達したとき言葉に詰るという大失態をやらかし、第一次世界大戦では、海軍大臣として主張した「ガリポリの戦い」で大きな犠牲を出しながら得るものは何もなかった。このミスで海相を罷免させられ、一時は政治家生命すら危ぶまれた。また、第二次世界大戦では日本の脅威を低く見積もり、戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈されるという失敗も犯す。だが、どんな困難な状況に置かれても、常に持ち前の闘魂と本質を鋭く洞察する明晰な頭脳で、失敗から多くを学びとり、より強い政治家として政治の最前線に舞い戻ってくるのだ。

本文の素晴らしさもさることながら、野中郁次郎の解説も素晴らしい。チャーチルが示す「有事のリーダーシップ」のあり方として六項目を挙げている。

① 善悪の判断基準を持ち、「善い」目的を作る能力

② 「場」をタイムリーに作る能力

③ ありのままの現実を直視する能力

④ 直観した本質を概念化する能力

⑤ あらゆる能力をいかし概念を実現化する政治力

⑥ 実践知を組織化する能力

この六つの能力をピーター・ドラッカーやヒトラーなどを例にしながら哲学的に考察する解説は圧巻である。是非、本屋で見かけたときには手にとり、解説だけでも読んでもらいたい。おのずと、本書を手にレジまで行ってしまうことうけあいだ。

歴史に多くを学んだチャーチルは、いち早くヒトラーの危険性を直観し、彼に妥協することを決して認めなかった。第二次世界大戦末期には、戦後の冷戦を予想し、そのための手を打つことを主張した。著者のポール・ジョンソンは、チャーチル以外の人物で、第二次世界大戦の初戦を乗り切り、最終的な勝利に英国を導くことができたかと自問し「ノー」という結論に達する。チャーチルだったからこそ、バトル・オブ・ブリテンを乗り切ることができたのだ。

チャーチルの生きた時代は戦争と破壊の時代であり、また大英帝国が崩壊へと向かう時代でもある。そんな困難な状況にあって、巧みな政治能力と不屈の闘志を持つ彼がイギリスにいたことは、英国人にとってこの上ない救いだったに違いない。彼がいたからこそ大英帝国は混乱の中でも、ある程度の名誉を保ちつつ衰退していくことができたように思える。現在、黄昏時を予感させる私たちの国にも、このようなリーダーが必要ではないだろうか。しかし、偉大な人物とはなかなか輩出されないものだ。野中郁次郎の解説でもその点が指摘されている。輩出が難しいのであれば、個人に頼るのではなく、実践知を組織の文化として育む必要性があると説かれている。本書が各界のリーダーや未来を担う優秀な若手の、よき導きになることを切に願う。

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