『天然ゴムの歴史』をつくった異常冒険者ウィッカム

村上 浩2013年05月22日 印刷向け表示
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天然ゴムの歴史: ヘベア樹の世界一周オデッセイから「交通化社会」へ (学術選書)
作者:こうじや 信三
出版社:京都大学学術出版会
発売日:2013-05-13
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存在するかどうかも分からないお宝を求めて、未開のジャングルを突き進む。失敗に次ぐ失敗にも諦めることなく、新たな仲間と新たな航海へと旅立つ。本書で追い求められるお宝はゴムの樹であり、お宝の在り処はブラジルのジャングル奥深くである。携帯やGPSはもとより、正確な地図すらない19世紀の冒険が容易なはずがない。地球のあらゆる土地を調べつくし、宇宙や深海にまで行けるようになった現代の人類には、これほどの冒険は残されていないのではないかと思わされるほど、本書の物語にはわくわくさせられる。

著者は、ゴムを研究対象として京都大学名誉教授などを歴任してきた科学者なので、ゴムの樹を巡る冒険譚だけでなく、ゴムに対する科学的解説も豊富にある。本書を読み終わる頃には、なぜゴムが自由自在に伸縮できるのか、なぜこれほどタイヤに適した材料なのかがよく分かる。さらに、ゴムがこれまで産業界に与えた影響、これから与えるであろう影響についても言及されており、ビジネス視点から読み解くこともできる。詳細な脚注や参考文献に対する解説までもが読み物として楽しめるように作られており、すみずみまで見逃せない。

そもそも、ゴムなしでは我々の生活は成り立たない。風船や卓球ラケットのラバーのような娯楽用具から、外科手術用の手袋やマンションの免震装置のように人命を守るための器具まで、至る所にゴムは存在している。なにより、ゴム製のタイヤがなければ、そのタイヤを用いた自動車や飛行機がなければ、この便利な交通化社会は実現できない。ゴムのない世界とは、今とは全く異なる世界なのである。

ゴムには、熱帯植物であるヘベア樹から採れる天然ゴムと、化学合成によって人工的につくられる合成ゴムの2種類がある。現代の技術でも天然ゴムと同じ成分を完全に化学合成することはできず、天然ゴムは今でも40%を超えるマーケット・シェアを保持し続けている。我々の社会を支え、人間には作り出せないこのゴム成分が、実はゴムの樹にとっては何の役にも立っていない(と考えられる)のだから面白い。

天然ゴムが採取できるヘベア樹は、アマゾン河流域が原産地である。それにも関わらず、天然ゴムの生産のほとんどは東南アジアで行われており、ブラジルでの生産量はごくわずかである。ヘベア樹はどのようにブラジルから東南アジアまで運ばれたのか、なぜブラジルは天然ゴムの巨大生産地となれなかったのか。この問いに答えるには、1846年のイギリスに生まれたヘンリー・ウィッカムの人生を知る必要がある。このウィッカムこそが、ブラジルの地からヘベアの種子を持ち出すことに人類で初めて成功した男であり、本書の主人公である。

ゴムの科学的性質や社会に与えた影響なんかに興味はない、という人もウィッカムという男には興味を抱くはずだ。とにかく、失敗にまみれたウィッカムの冒険が描かれる第Ⅱ章から第Ⅳ章だけでも読んで欲しい。このウィッカムの失敗ぶりと比べると、本書の後半で主役を務める自動車王ヘンリー・フォードの巨額をつぎ込んだアマゾンでの一大事業の失敗すら大したことではないと思えてくる。無計画に突き進み、期待通りに失敗し、予想の斜め上を行く新たな冒険の旅に出るウィッカムに、すっかり魅了されることを約束しよう。著者は彼を「失敗に魅入られたプランター」と呼んでいる。

ウィッカムが初めて踏んだ中南米の地は、ニカラグアである。20歳の彼がなぜニカラグアに向かったのかはよく分からない。そもそも、目的などなかったのかもしれない。いや、なかったに違いない。綿密な事前の計画や、目的など彼には必要ない。わくわくするような冒険が待っているのなら、栄養失調による幻覚も、マラリアによる高熱も、彼を止めることなどできはしない。

何しろ、初めてのジャングルでコレラとマラリアで生死の境を彷徨ったにも関わらず、2度目の旅に抗マラリア薬であるキニーネを敢えて持参しなかったという。何も考えていなかったのか、生き抜く自信があったのかは分からない。しかし、奇跡的にマラリアに罹らなかったと思ったら、エイに刺されてまたしても三途の川を渡りそうになるのだから、期待を裏切らない。そして、エイの毒から復活したと思ったら、案の定マラリアに罹って半死半生の状態に陥ってしまうのだから、もはや言葉もない。

中南米とイギリスを行き来するなかで、ゴム採取の経験を積んだウィッカムは、「熱帯でプランターとして成功してみせる!」と決意する。こんな野心を持った同時代人は他にもいたかもしれないが、彼ほどユニークな仲間を集めた者はいないはずだ。ウィッカムは先ず、自分の妻、母、弟・妹を仲間に引き込んだ。まぁここまでは分かる。凄いのはここからだ。ウィッカムは弟の婚約者の母親まで南米に連れて行こうと画策したのだ。もちろん、なぜそんなことを思いついたのかなど分かるはずがない。「弟の婚約者の母親」を誘うくらいなら、全くの他人を誘った方が良いような気もするが、凡人の物差しで彼を測っても仕方がない。

なんだかんだあって、結局ウィッカムは一族郎党連れ立って、アマゾン河中流の街サンタレンへ移住した(ついて行った方もスゴイ)。そして、誰もウィッカムの冒険には付き合いきれなくなり、予想通りに一家は散り散りになる。それでも彼は立ち止まることなく、次の旅へ、次の失敗へと突き進む。どの冒険も先行きが不安過ぎて、目が離せない。

ここで紹介した失敗など、ほんの一部に過ぎない。期待を裏切らないウィッカムは、これでもかと失敗を重ねる。数え切れない失敗の末、彼はたった一度だけ成功する。そう、7万粒のヘベアの種子をイギリスに無事送り届けたのだ。その種子が、19世紀末からの自動車の爆発的普及とともに、右肩上がりで増え続けるゴムへの需要を満たすだけの天然ゴム栽培を可能にした。ウィッカムが発見した種以上にゴム生産性がよい種は現在でも見つかっていない。もし彼がいなければと考えると、その破格の人生がより輝いて見えてくる。彼のような男が、無鉄砲に歩き続ける男がいなければ、世界は今とは大きく違っていた。この男の熱気にやられて、つい自分もどこかに出かけたくなる。

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スパイス、爆薬、医薬品 - 世界史を変えた17の化学物質
作者:ジェイ・バーレサン
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世界を変えた化学物質について、その発見者たちのドラマを交えながら語っていく。化学を苦手としている人でも楽しく読めること請け合い。レビューはこちら

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