『こんな夜更けにバナナかよ』文庫解説 by 山田 太一

本の話 WEB2013年07月26日 印刷向け表示
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ひとりの進行性重度身体障害の男がいた。

渡辺一史さんがこの本を書いている大半の日々では、まだいきいきと生きていた人だった。

その鹿野靖明さんと、亡くなるまでに関わった多くのボランティアの人たちとの物語である。

と書くと、ああよくあるやつね、と内容の見当がついてしまうような気がする人もいるかもしれない。それは間違いです。これはまったく、よくある本ではない。凄い本です。めったにない本。多くの通念をゆさぶり、人が人と生きることの可能性に、思いがけない切り口で深入りして行く見事な本です。

もう八年ほど前のことになるけれど、私はこの本をはじめて読んで敬服して対談の相手をして貰ったことがある。本が出て二年ほどたっていたけれど、まだ渡辺さんは三十代だった。その時の話題に、「尊厳死」ということが出て来た。それは私がすでに七十代だったせいもある。

「尊厳死」を選ぶということは主として老人の覚悟として語られる生き方で、もはやベッドから動けず、人の手を借りなければ一日も生きていられない状態になった時には延命をのぞまないという意志である。しかし、その時にはそれを伝える体力や判断力を失っているかもしれないから、あらかじめその意志を書き残しておくということでもある。

私は自分もそうするだろうと思っていた。

書き残してはいないが、家族との日々の雑談で「あそこまでして生きていたくないなあ」というようなことをいったりして、それとなく思いは伝わっているような気持でいた。そして今でも高齢者については、他の選択はないような考えでいるのだけれど、この本を読むと、私はまだまだ人が生きているということについて浅薄なのかもしれないと立止ってしまうのだ。

私との対談で渡辺さんはこういっている。

「尊厳死を認める社会的な背景には『自分のことが自分でできないような生き方には、尊厳がない』とか『家族に迷惑をかけたくない』とか『ウンチやオシッコを人にとってもらうなんて情けない』とか、そういう些細な価値観に支配されている部分がとても大きいと思うんです。でも『人に迷惑をかけない生き方』が、じゃあ尊厳のある生き方なのかというと、ぼくは鹿野さんを見ていたからでしょうけど、とてもそうは言い切れないという気がするんです」(「MOKU」2005年6月号)

この本を読む前なら、私はすぐ反論しただろう。ベッドで動けない人間にとって、家族や周囲の人々に迷惑をかけたくないという思いやウンチやオシッコを人にとってもらうことの情けなさが、どうして些細なことといえるのか、と。それを気にしないで他になにがあるのか、と。

渡辺さんも、すぐこういっている。

「たぶん鹿野さんと出会う以前であれば、ぼくも『尊厳死を望む』とすぐ考えてしまったんでしょうけど」(同前)と。

そうなのである。たぶん多くの人が、あとは尊厳死を望む以外になにをすることがあるだろうと追いつめられたような地点にいて、いやいやまだいくらでも先があるぞと鹿野さんは生き続けたのである。

筋ジストロフィーという病気が進んで、動くのは両手の指がほんの少しだけという状態である。人の手を借りなくては、ほとんどすべてのことができない。人に迷惑をかけることが尊厳を損うことだとしたら、すぐ死んだ方がいいということになってしまう。

高齢者の尊厳死と四十歳の鹿野さんとは事情がちがうといえるかもしれない。しかし、身体の不自由さは同じか、あるいは鹿野さんの方がキツイかもしれない。死が寸前にあるということでも両者に大きな差はないのではないだろうか。

ただ、鹿野さんは少しも絶望しない。それでもなんとか生き続けたいと思っている。病院や施設ではなく、独り住いの自分の家で生きぬきたいのだ。しかし、それには二十四時間いつも介護する人がいなければならない。何よりいつたまってしまうかも知れない痰を吸引して貰わないと、すぐ窒息死である。

たった一日生きのびるためだけでも三人のボランティアが必要だ。いや、四人でも足りないかもしれない。

その人たちを毎日毎日手配して、つなぎ止めておくリアリズムに感傷や甘えの入る余地はない。ボランティアは仕事ではないし義務でもない。気分や都合でいつやめられてしまうかもしれない。彼らの中には無神経に食器を扱って割ってしまう者もいるし、鹿野さんが楽しみにしていた菓子を平然と食べてしまう人もいるし、世話を忘れてマンガを読んでいる者もいる。

それでも鹿野さんには他人の助けが絶対に必要で、その他人にウンチやオシッコをとってもらわなくてはならない。一人でいることができない。いつも他人がいてプライバシーもない。一人で泣くことも他人の目を避けることもできない。

渡辺さんは、フリーのライターで、福祉や医療はまるで未知の分野だったという。友人から、その鹿野さんの家に多くの若者がボランティアに来ていると聞いて、どうしてそんなにボランティアが集まるのだろうと疑問と好奇心が湧いたそうである。「偉いもんだよなー。その人んちの玄関にさ、厚底グツが並んでるんだよ」と友人がいったという。厚底グツとは、若い男たちの頑丈な、汚れた靴のことではない。九〇年代後半から二〇〇〇年あたりに若い女性たちの間で大流行したトレンドの靴なのである。

若い女性が集っている? 偉いもんだ?

「いずれにしろ、日々を切実に、ギリギリのところで生きている人に会ってみたくなっていた」

はじめて渡辺さんは、鹿野さんの福祉住宅の一室を訪ねる。予感通り鹿野さんは普通の人ではなかった。人工呼吸器をつけている。これは普通「死に瀕(ひん)した患者に施す」最後の延命措置で、そうなったら会話などできるものではない。しかし鹿野さんはその発声法を半年でマスターして、しゃべれないという定説をくつがえした。不可欠な「痰の吸引」も医療行為とされて医師や看護師以外には禁じられている。しかし一日数十回にも及ぶそれを入院せずに在宅で有資格者だけに頼ることは事実上不可能である。といって、ある日来たはじめてのボランティアに出来ることではない。教育しなければならない。「痰の吸引」だけではない。わずかに指を動かせるだけの鹿野さんの介助は、なにからなにまでどうすべきかを学んで貰うしかない。その指示が出来るのは、結局のところ鹿野さんしかいない。頼んだことをボランティアがやってくれなければ、すぐ死につながることもいくらでもある。だったら「悪いけど」とか「すみませんが」といちいち遠慮をしてはいられない。叱りつけてもやって貰うしかない。その代り、ボランティアも「やさしさ」や「思いやり」を演じないでいい。困っている人を助けることは、その人の日々も豊かにするはずだ。「人に迷惑をかけない。かけられたくもない」という生き方はそれぞれの孤独を深めるだけだ。みんなもオレの介助をすることで世界を広げているはずだ。対等だ。

真夜中にボランティアを起こす。バナナを食べたい、という。ボランティアは半分眠りながら皮をむいてバナナを口へ運んでくる。ひと口ひと口ゆっくり食べる。食べ終る。呼び止める。「もう一本」という。

この独特の「あつかましさ」が、介助する人たちの偽善をはぎとってしまう。鹿野さんの「どんなことをしてでも生きたい」という欲求には、なまじっかの善意では向き合えない凄みがある。

それで人々は離れて行くかというと、反対なのだ。ひきつけられて行く。

若い人たちだってお互い本音では生きていないから、鹿野さんのむき出しの、いつわりのない生に触れて、ここに来たい、背を向けたくないという思いが湧く。ここでは、嘘のない自分でいられる。

渡辺さんは、自分もボランティアの一人となって鹿野さんを介助するようになる。めったにない鹿野さんの魅力にも、ひとりひとりのボランティアのそれぞれの心の事情にも触れるようになる。ボランティアに関わって来る人には、人と関わることで埋めたい飢えがあるらしいのだ。それを鹿野さんが受け止める。次第にどっちが「障害者」でどっちが「健常者」か分らなくなって来る。そのようにしてボランティアの人数を減らさない鹿野さんのいわば必死の人間通にも胸を打たれるし、その強さが個の欲求だけではなく、いかに世の中が障害者の現実に鈍感かということへの怒りにも支えられていることを知って行く。

生きるためには、なんでもありなのだという鹿野さんの生き方が「フツウ」に生きようとする私たちの「フツウ」を、なんとみすぼらしくさせてしまうことだろう。

二〇〇二年八月、鹿野さんは、亡くなった。

通夜、告別式には、会場からあふれるほどのボランティアの人たちが集った。それがなにを語るかは、とても一口ではいえない。

どうかこの「解説」を読んで、この本を読んだ気にならないで下さい。546頁のどの頁をひらいても、読む人の心に届くなにかがきっとある本です。

これは渡辺一史さんの第一作です。

講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞しました。

その後の八年余りを第二作に集中し、二〇一一年に大冊「北の無人駅から」が出版されました。これも、とてもいい本です。

(山田 太一・脚本家)

  

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