子ども靴業界のプロジェクトX。『開発チームは、なぜ最強ブランド「瞬足」を生み出せたのか?』

深津 晋一郎2013年08月15日 印刷向け表示
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イノベーションの必要性が叫ばれて久しい昨今の産業界だが、この言葉を耳にすると、ITのように最先端のテクノロジーを駆使した業界ばかりを思い浮かべてしまうものだ。でも実際には、思いもよらないほど身近なところにも、その種は眠っているらしい。なにせ、テクノロジーの匂いもしなければ、新たな潜在ニーズが喚起されることも一見なさそうな「子ども靴」というプロダクトに、業界地図を大きく塗り替えるような見事なイノベーションがあったのだから。

本書は、幼い子どもを持つ親御さんには言わずと知れた子ども靴の人気ブランド「瞬足」が生まれ、そして大きく育っていく軌跡を綴ったビジネス書だ。製造したのは、株式会社アキレス。社名を聞いてもピンと来ないかもしれないが、スポーツ靴ブランド「SPALDING」を展開している企業だと聞けば、身近に感じるのではないだろうか。実際にはシューズ専門メーカーという訳ではなくて、創業以来のプラスチック加工技術をコアとして、車輌内装用資材や建築資材といった産業資材を幅広く取り扱っている。シューズ事業においても、インジェクション(射出成型法)と呼ばれる世界トップレベルの技術力を武器として成長してきた企業だ。

そのアキレスが、2003年に発売を開始した子ども靴ブランドが「瞬足」だ。これがジリ貧状態の続いていた子ども靴業界において、異例の大ヒットとなった。その凄さは、この10年間で瞬足ブランドが達成した数字をみれば一目瞭然。これまでの販売累計はなんと4,000万足、発売後10年を経た今でも年間販売数600万足を誇っている。2012年時点で、瞬足のメインターゲットである子ども(3~12歳)の数は、日本全国でおよそ1,000万人強なので、およそ2人に1人の子どもが瞬足を履いていることになる。「通学履きでは年間150万足が限界」という業界の常識を大きく越えて、今なお子供たちから絶大な支持を集めているのだ。

「瞬足」の特徴といえば、なんといっても「左右非対称ソール」だろう。実際のソールを見ていただきたいのだが、左右どちらの靴も、履いた時の左側部分(ソール画像でみると向かって右側)にスパイクが埋め込まれているのが分かるはずだ。運動会のかけっこで子供たちが走るトラックは、ほぼ全て左回りだということに着目した開発チームが、コーナーリングの際に体重がかかるソールの左側にグリップを効かせてはどうかと発案した。運動会という年に一度の晴れ舞台で、子供たちがコーナーをスムーズに転ばず走れるように。そんな想いから生まれた常識破りの構造が、業界を大きく変革するイノベーションになった。

ただし、「瞬足」はあくまで「通学履き」だ。特別な日だけ履くようなモノじゃない。毎日履いて、学校に通ってもらうための靴として開発されている。それなのに、左右非対称。ビジネスという観点でみれば、ここが面白いポイントだと思う。日常的にはごく普通のソールとして機能しながら、運動会の日だけは特別なグリップが助けてくれる魔法のシューズ。その柔軟な発想力には驚かされる。

それにしても、「瞬足」の誕生秘話は味わい深い。

少子化の波や製造工程のオフショア化に揺れる業界。苦境に立ち向かうために組織横断的に選ばれた「七人の侍」と、起死回生のアイデア。しかし、製造工程はコストとの戦い。作ってくれる工場探しに苦戦する中で、侍の想いに応えてくれた1人の中国人社長。そして、成長へ。

こうして書いてみると、まさに子ども靴業界の「プロジェクトX」だ。中島みゆきの歌声が、そして田口トモロヲの特徴的なナレーションが今にも聴こえてきそうな感じがする。非常に読みやすい本なのに、心の中で思わず田口トモロヲ風に読んでしまい、読書のペースが上がらないことだけが難点だ。

ビジネスパーソンにとって、本書には様々な示唆があるはずだ。売上の低迷は、マーケットのせいではないかもしれない。モノを本当の意味でコモディティに貶めてしまうのは、「所詮は差別化できる類のモノじゃない」という先入観そのものかもしれない。高度なマーケティング理論を駆使する専門部隊がいなくても、革新的なテクノロジーに積極投資できるような会社でなかったとしても、身近な世界を変えるイノベーションは可能であり、本当はそれこそが、ビジネスの醍醐味なのかもしれない。

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