『百年の孤独を歩く』

高村 和久2011年07月19日 印刷向け表示
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かなりさみしい題名だが、ヒロシの新作ではない。孤独じゃないし歩いてもない、伝説の小説の舞台を巡り、コロンビアを疾走するエッセイである。

『百年の孤独』 は、コロンビアのノーベル賞作家 ガルシア=マルケス の代表作だ。1967年に刊行され、世界のベストセラーとなり、「魔術的リアリズム」と言われ、遠く日本では麦焼酎の名前になった。というか、私にとっては焼酎が先だ。恵比寿のお店で、百年の孤独、お湯割り梅干しでぇーと注文したら、えらい勢いで、いいお酒なので出来ません!と言われた。『百年の孤独』を読んだ今は、確かに、氷が入っていないと風情がないかなあと思う。ロックで飲んだら、黄色い蛾が飛んで来そうだ。

それでもって本書は、その『百年の孤独』をベースにしたコロンビア紀行の本だ。ものすごくテイストが違うけれど、敢えて喩えれば「伊豆の踊り子を歩く」という風だろうか。ガルシア=マルケスにまつわる街を訪れ、架空都市マコンドで起きる出来事の多くが、事実に由来していた、という事が判明していく。

著者の田村さんは、“ガボ” ことガルシア=マルケスとは25年来の友人だ。最初は、小学校来の友人の中上健次さんに、なんとか会えないかと相談されたのがきっかけらしい。熊野と南米は似たものがあるのだろうか?南方熊楠もサーカス団に混じって南米を旅している。

中上さんから相談が来たのは、田村さんが南米に長かったからだ。アジェンデ政権下のチリにもいた。その後、軍事クーデターが起きた際には、亡命者や人権活動家の活動に加わった。それは、クーデターに反対で、抗議の断筆宣言までしたガルシア=マルケスにとって好印象だった。友人の詩人パブロ・ネルーダはクーデターの際に亡くなっている。『イル・ポスティーノ』に出てくる人だ。

そんなわけで、田村さんは“ガボ” に会って、そして友人になった。それから何十年も経ち、今回、親戚ぐるみのサポートを受けて、遂に、念願のコロンビアを旅する。

旅するが、そこは伊豆ではなくてコロンビアである。屈強な運転手つき、詩人で弁護士の友人は「ここで売られているのは、密輸されたものか盗品だから、コピー商品ではないのよ。だから安心して買って」と言う。そして、「日本人を連れてくるのはもってのほか」と怒られたゲリラ地帯の暗闇を、時速90kmで疾走するのだ。でも、ある日は2人乗りのオートバイタクシーでデコボコ道を8時間移動して、またある日はコンタクトをつけたままカヌーから落ちて、実に楽しそうである。自分もまだまだこれからだという気がしてくる。「サトコは常軌を逸したところがある」と言われた、という記述が若干気にかかる。

コロンビアの文化は実に混沌としている。スペイン・ポルトガルの文化に、ワユー族などの先住民族の文化、バンツー族などの奴隷船で来たアフリカ系の文化、イデオロギー、暴力、セックス、それと熱帯が入り乱れている印象だ。ガルシア=マルケスの表現によれば、「一見、何をやっているかわからない、祭りと破壊と神秘の文化。その<遅れ>こそが私たちの力なのだ」。たしかに、本書を読むと南米の生命力のようなものを感じるし、また、日本の社会や常識がおそろしく狭苦しい気がしてくる。一方で、日本は、なんというかいい国だなあ~、とも思う。南米の開放的な生命力を日本に持って来れないものかなあ、とちょっと考えたが、もしかしたら『逝きし世の面影』の江戸のような感じかなと思った。かなり勝手な妄想だ。でも、本書には日本の文化に似た記述もある。アニーメという架空の生き物が畑や草むらにいると信じられているのは妖怪みたいだし、夜に死者と話すストーリーはちょっとだけ能みたいだ。まあ、でも、世界中どこにでもあるような話か。いずれにしても、夏の暑い夜、熱帯を通じて日本に触れてみるのもいいんじゃないかと思ったりします。では、最後はワユー族の挨拶で。よい夢を見ますように…

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