『代替医療のトリック』訳者あとがき by 青木薫

新潮文庫2013年08月27日 印刷向け表示
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代替医療のトリック
作者:サイモン シン
出版社:新潮社
発売日:2010-01
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今日、代替医療――すなわち、現代の科学によっては理解できないメカニズムで効果を現すと考えられる治療法で、科学者や多くの医師が受け入れていないもの――は、全世界で数兆円規模の市場に成長しているといわれる。しかし、はたして代替医療には、宣伝されているような効果があるのだろうか? お金を費やし、かけがえのない健康を託すに値するものなのだろうか? 本書は、さまざまな代替療法の有効性と安全性を、今日手に入るかぎりもっとも信頼性の高いデータにもとづいて判定しようという試みである。

著者のひとりであるサイモン・シンは、綿密な取材と優れた構成力で、科学的知識を一般の読者にもわかりやすく伝えることに力を尽くしている科学ジャーナリストであり、これまでに発表した3つの著作、『フェルマーの最終定理』、『暗号解読』、『ビッグバン宇宙論』(文庫収録時に『宇宙創成』に改題)はいずれも世界中で高い評価を得ている。もう1人の著者であるエツァート・エルンストは、長年にわたり、本書でも取り上げるホメオパシーなどの代替医療によって実際に治療に従事してきた経験をもち、代替医療の分野では世界初の大学教授となって、さまざまな治療法の有効性と安全性を精力的に調べている医療研究者である。第一級の科学ジャーナリストと最先端の医療研究者との協力によって生まれた本書は、わかりやすさと信頼性の高さとを兼ね備えた意欲作であり、健康への関心が高まり、医療費の問題がかつてないほど重くのしかかっている現代社会の要求に応える内容となっている。

今日、実に多くの人たちが、なんらかの形で代替医療を利用しているといわれる。国によって状況はさまざまだが、施設・医療制度といったインフラ整備が十分でなかったり、歴史的経緯や経済上の理由などから、人口の大半が代替医療以外の治療を受けるのが難しいというケースもある。インドなどはその典型だろう。しかし、代替医療が浸透しているのは、新興国や途上国だけではない。近代的な医療が十分普及しているはずの先進国であっても、たとえばイギリスでは、王族が率先して代替医療の振興に力を尽くしているし、ベルギーのように、人口の約半数がごく普通にホメオパシーを利用しているところもある。かく言う日本でも、鍼灸やカイロプラクティックはごく一般的に利用されている。 

2人の著者の目標は、これだけ普及している代替医療を、メカニズムが科学的に理解できないからといって頭から否定することにあるのではない。なんといっても、医療にとってなにより大切なのは、実質的な効果があるかどうかだからである。代替医療の基礎となっている思想や理論は、科学的には理解できないし、なかには荒唐無稽といってよいものもあるけれども、そのこと自体は医療にとってそれほど重要ではない。現代の科学的知識で理解ができないのなら、メカニズムの解明は未来に託せばよいのだから、というのが著者たちの考えである。しかしその一方で、もしもありもしない効果があると主張されているのなら、人びとはかぎりあるお金を価値のない治療に費やしていることになる。そればかりか、そもそも病気でもないのに害となるものを受け入れて健康を損なったり、受けるべき有効な医療の妨げとなって命にかかわることさえある。2人の著者が取り組んだのはその問題、すなわち、理屈はどうであれ実質的な効果があるのかないのか、隠れた危険性があったりはしないのかを明らかにすることである。

近年ようやくデータも出そろい、個々の代替医療の有効性と安全性について、かなり確かなことが言えるようになってきた。たとえば、医療にまつわる重要なテーマのひとつに、プラセボ効果の問題がある。プラセボ効果は、ありとあらゆる医療行為に伴うものだが、とくに鍼については、二重盲検法の実施が難しいという事情があったため、プラセボ効果を適切に考慮に入れて信頼性の高い結論を引き出せるようになったのは、21世紀に入ってからのことだった。本書の第Ⅱ章には、紆余曲折の歴史を経て、最新の結果がもたらされるまでの経緯がドラマチックに描き出されている。鍼は日本人にとって親しみ深い治療法なので、日本の読者にはとくに興味深く読んでいただけるものと思う。また、鍼を扱った第Ⅱ章には、こと代替医療に関するかぎり、WHOの取り組みには大きな難点があるという注目すべき問題が指摘されている。 

さて、個々の代替医療の有効性と安全性について下された判定は、おおむね否定的である。しかし2人の著者は、代替医療など効くわけがないと決めてかかっていたのでは決してなく、それぞれの治療法の実質を見極めたいという動機に駆り立てられていたであろうことを疑うわけにはいかない。なぜなら、もしも代替医療の有効性と安全性が示されれば、それはまぎれもなく素晴らしいことだし、頭から代替医療は役に立たないと決めてかかるのは科学的な態度ではない。なによりも、医療の歴史上には、なぜ効くのかわからないまま、たしかに有効であることが示された治療法がいくらでもあるからだ――その典型例として紹介されているのが、壊血病の治療法としての「レモン療法」である。 

とはいえ、ホメオパシーのように、プラセボを上回る効果はないことがすでにはっきりと示されているにもかかわらず、人気が衰えないどころかますます利用者が増えている代替医療も多い。人びとはなぜ、中身のない治療法であることが示されている代替医療を利用するのだろうか。最大の理由は、治療法の効果に関する事実を知らないことなのかもしれない。しかし、第Ⅴ章の最後で論じられているように、多くの人が代替医療に心惹ひかれるのには、それ以外にも理由がありそうだ。 

ひとつには、主流の医療に対する不満があることだろう。「冷たい主流の医療」に対して、「暖かい代替医療」といったイメージを抱く人は少なくないように思われる。医療崩壊が指摘される日本の現状を見れば明らかなように、医者が1人ひとりの患者に対して十分な精神的なケアを行うことは、現状ではきわめて難しいと言わなければならない。一方、かかった時間に応じて費用を請求することも可能な代替医療ならば、施術者と患者とが満足度の高い人間関係を結ぶ余裕もある。代替医療の繁栄は、著者たちが指摘するように、通常医療の側に問題があることを指し示してもいるのだろう。

暖かいと同時に、実質的に有効な医療を目指すというテーマでは、第Ⅵ章でプラセボ効果をめぐる重要な論点が取り上げられている。プラセボ効果はときに非常に大きなものになるため、たとえ医療そのものに実質的な効き目がなくても、プラセボ効果だけでも十分に意味があるとは言えないだろうか? 患者に効果が現れるのなら、それでよいではないか? これは十分考慮に値する意見ではあるが、プラセボ効果のみに頼った医療を容認することは、医療全体を暗黒時代に引き戻すことだという点が丹念に論じられている。

もうひとつ、主流の医療に対する不満とともに、科学に対する反感もまた、多くの人が代替医療に心惹かれる理由になっているようにみえる。科学的な医療と言えば、「人工的」「西洋の」「分析的」といったキーワードで、何かを理解したつもりになってしまうことが多いのではないだろうか。こうしたステレオタイプの裏返しを、人びとは代替医療に求めているのかもしれない。本書では、とくに注意を要するキーワードとして、「ナチュラル」、「トラディショナル」、「ホーリスティック」の3つを挙げているが、これらはまさしく、先に挙げた科学的医療のイメージの裏返しである。たとえば、日本でもあらゆるメディアを通じて、「天然植物成分100%」といった言葉が「安全」の同義語であるかのように使われているけれど、少し考えてみれば、そんなはずはないことが容易に理解できるだろう。自然はそれほど人間に都合よくはできていないし、植物には有毒なものも多いのである。どうやら代替医療にまつわるこれら3つのキーワードには、私たちの思考を停止させる強力な魅力があるようにみえる。そうだとすれば、医療との関連でこれら3つのキーワードが出てきたら、むしろ実質を伴わないイメージ戦略ではないかと疑ってみたほうがよいのかもしれない。 

第Ⅵ章の最後には(475~478ページ)、代替医療を受ける前に知っておきたいことが、代替治療薬に添えられるべき「注意書き」の案としていくつか挙げられているが、それらは決して冗談でも皮肉でもないという点に注意を促したい。それらの注意書きは、今日得られているもっともたしかな根拠にもとづいた信頼性の高い内容であり、かけがえのない健康を守るために、私たちみんなが知っておくべき基本的な情報なのである。

本書には、誰にとっても大切なことであるにもかかわらず、たいていの人にとっては学ぶ機会のなかった、医療に関する基本的な考え方や最新の情報が盛り込まれている。ジェイムズ・リンドと臨床試験、ナイチンゲールと統計学など、医療の歴史を彩るさまざまなエピソードを楽しみつつ、現代人に必要な医療リテラシーを身に付けるための一助としていただけるなら、訳者としてこれにまさる喜びはない。 

最後になるが、新潮社出版部の北本壮氏と、同じく校閲部の田島弘氏にはひとかたならぬお世話になった。お二人のご尽力に対し、心より感謝申しあげる。

(2009年12月 青木 薫) 

代替医療解剖 (新潮文庫)
作者:サイモン シン
出版社:新潮社
発売日:2013-08-28
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『代替医療のトリック』は『代替医療解剖』と改題し、2013年8月に文庫化されました。その後の動向は、こちらの文庫版訳者あとがきで。

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