『首都感染』解説 by 成毛眞

成毛 眞2013年11月26日 印刷向け表示
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首都感染 (講談社文庫)
作者:高嶋 哲夫
出版社:講談社
発売日:2013-11-15
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高嶋哲夫ファンのみなさん、こんにちは。

わたくしは書評サイトHONZの代表をしている成毛眞(なるけまこと)と申します。HONZはサイエンスや歴史はもちろん、ビジネスからアートまで広い意味でのノンフィクション作品を紹介するサイトです。しかし、たとえ村上春樹であろうが尾田栄一郎であろうが小説やマンガなどの創作物は取り上げることはありません。頑なにノンフィクションの新刊だけに固執している狂信的な書評集団であり、わたくしはその創始者にして頭領ということになります。

子供のころから運動が苦手で、読書が唯一の趣味。当時流行のSFはもちろん、時代小説やこむずかしい純文学ですら読んでいたのですが、三〇代あたりからビジネスが忙しくなってくるにつれ、結局絵空事を描いているだけの小説が疎ましく感じられ、すっかり読まなくなってしまいました。マイクロソフトという外資肉食系IT企業の中で、日々過酷な現実に向きあうことを強要されてきた結果かもしれません。これからもノンフィクションだけを読みながら、人生を全うしようと思っていたところでした。

にもかかわらず、一面識もない講談社文庫編集部から文芸の解説執筆依頼いただいたことには心底驚きました。ノンフィクションこそが読むべき本だと主張している妄信的な団体の首謀者をひきずりだし、いまさら小説を読めというのはどれだけ無謀なことでありましょう。ニベもなくお断りするための冷酷無比なメールを返信しようとした瞬間、目に飛び込んできたのは高嶋哲夫さんの名前でした。

特に聞かれてもいないので簡単に白状いたしますが、じつは高嶋哲夫さんの小説だけはほとんど読んでいるのです。問題はなぜそれが編集部にバレていたかです。どんな本を読んでいるのかを知るために居間に盗聴器を仕掛けても意味はないでしょうから、書庫に秘密の監視装置がついているのかもしれません。出版界というのは恐ろしいところです。ともあれ、高嶋さんの小説は『イントゥルーダー』から『首都感染』まで、そのほとんどを読んでいるのです。

高嶋さんの、とりわけ自然災害をテーマとした小説はクライシス小説と呼ばれています。危機に対して人々がどう立ち向かうべきなのかを描いた小説であり、それは数字ではなく言葉で綴られたシミュレーションそのものです。スーパーコンピューターは台風の進路や威力をシミュレーションし、通過する可能性のある地域の人々に警告を与えることができます。しかし、その台風が前代未聞の大きさと強さになったとき、どのような災害がどこで発生するかについてはコンピューターでは計算できません。

二〇一三年八月気象庁は特別警報という制度を新設しました。警報以上の想像を絶する被害が想定される場合「ただちに命を守る行動をとってください」という言葉とともに発せられるのが特別警報です。正直申し上げて「命を守る行動」が何を意味するかは、それぞれの個人に任せたという、ある意味で無責任にも聞こえる警報でもあります。しかし、上流が長時間雨になっている川沿い、記録的集中豪雨下の山村など、同じ水害であっても住んでいる場所や時間などによってリスクの大きさと質は異なるわけで、たとえ基礎自治体であってもすべてを把握できていないことが多いのです。

しかし、これでは自然災害が予測されるたびに、1億3千万人分のシミュレーションが必要になってきてしまいます。それはもちろん不可能で、それゆえに数字によるシミュレーションではなく、言葉で綴られたシミュレーションが有効なのです。もし、前代未聞の自然災害が発生したら、どのような異変が起こり、どれほどのダメージを何に与え、どのように対処するべきなのか、または対処できないのかを頭の中で想像しておけば落ち着いて行動することができるようになるはずです。その意味で高嶋哲夫さんの小説はサバイバルマニュアルであり、ノンフィクションといっても良いのかもしれません。

そうなのです。わたくしは高嶋哲夫作品をこれから起こる未来の記録、いわば未来のノンフィクションとして読んでいるのです。未来のノンフィクションですから、実際に被害者が発生するわけではありません。小説に登場する政治家や企業人もベストに近い人材です。気楽に読めるノンフィクションなのです。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶという言葉があります。まさに高嶋さんの作品は未来の歴史であり、そこから多くのことを学ぶことができると思うのです。

さて、実際に発生した自然災害と高嶋哲夫さんの作品を年表にしてまとめてみることにしましょう。

一九九四年 小説『メルトダウン』で第一回小説現代推理新人賞受賞
一九九五年 阪神淡路大震災発生
一九九九年 小説『イントゥルーダー』で第十六回サントリーミステリー大賞受賞
二〇〇二年 中国でSARS(重症急性呼吸器症候群)発生・翌年終結。
二〇〇四年 小説『M8』発表
二〇〇五年 小説『TSUNAMI』発表
二〇〇六年 新書『巨大地震の日 命を守るための本当のこと』
二〇〇八年 小説『ジェミニの方舟—東京大洪水』発表
二〇一〇年 小説『首都感染』発表
二〇一一年 東日本大震災発生
二〇一三年 新書『東海・東南海・南海 巨大連動地震』

高嶋哲夫さんはじつは小説家などではなく、予言者なのではないかと思っているファンも少なくないのではないでしょうか。たしかに東日本大震災の六年前に『TSUNAMI』を発表したことは驚くべき先見性のあらわれです。この小説は東海大地震によって発生した津波をテーマにしているのですが、その津波の高さは二〇メートルに達し、小説のなかの架空の原発では冷却ポンプが停止、メルトダウンの直前まで事態は悪化するのです。小説を読んだときにはそんなバカなことが起こるわけがないと思ったのですが、いまはそれ以上のことが現実に起こってしまったことを知っています。これだけを見ると高嶋さんが予言者に見えておかしくはありません。

しかし、『TSUNAMI』は『M8』の翌年に書かれています。『M8』は東京直下型地震をシミュレーションした小説です。つまり阪神淡路大震災の九年後に書かれた首都圏版です。大震災といえども「十年一昔」となって人々が天災を忘れ始めたころに警告を発した小説なのです。つまり高嶋哲夫さんの作品は繰り返し日本を襲う天災を忘れさせないための警告の書であり、それ以上の災害が起こるかもしれないという未来のノンフィクションでもあるのです。

ところで、本書『首都感染』は中国で流行しはじめたSARSから八年目に書かれた小説です。そろそろ人々が感染症の怖さを忘れたころに出版されました。SARSは全世界で八〇〇〇人ほどが発症し、七〇〇人を超える人が死亡した新型肺炎でした。肺炎とはいえ死亡率は一〇%近いのですから、非常に恐ろしい病気でした。

いっぽう本書の病原体は新型インフルエンザです。しかももっとも恐れられている強毒性H5N1なのです。適切な治療を行わなかったときのH5N1による致死率は六〇%と見積もられているのですが、この小説のなかのウイルスは強毒性であり、真性の殺人ウイルスなのです。じっさいにそんなことが起こるわけがないと思われる方も多いことでしょう。しかし、『TSUNAMI』と東日本大震災の関係をみれば、そのようなことは言ってられないことはもうおわかりだと思います。

小説のなかで中国は、メンツを重んじるあまり、H5N1の国内での流行を隠し続けます。じっさい中国はSARSでもそのような対応を取ったのです。その結果、災厄は簡単に世界規模にまで膨れ上がり、やがて日本にもウイルスは到着し始めます。致死率六〇%のウイルスを確実に阻止するためには、患者すなわちウイルスを隔離するしか方法はありません。この小説のなかの日本政府は賢明にも、世界に開かれた首都東京を日本全体から隔離するという方法を検討しはじめるのです。

もちろん、このような方法は非常に優れた医師と、それ以上に優れた政治家がいなければ決断できないことでしょう。小説のなかでは瀬戸崎という父子がその役割を担います。高嶋さんの未来のノンフィクションを安心して読むことができるのは、毎回このようなスーパーヒーローたちが日本を救うからなのだと思います。現実に絶望することなく、きちんと前を向いて災厄に立ち向かう人々が現れるのです。しかし、それはけっして絵空事ではありません。明治維新のころにはたくさんの英雄たちが活躍しましたし、終戦直後にあっても立派な学者たちがノーベル賞を受賞しています。

しかしながら高嶋さんは国難にあたって、かならずスーパーヒーローが登場するという神風を期待しているわけではないようです。そのような神国日本などという構想は絵空事であり、事前のシミュレーションこそが台風の被害を軽減するように、神風は意図的に作り出すことが可能なことを高嶋哲夫さんは証明してみたかったのかもしれません。

小説のなかでは首都封鎖を突破しようとする市民があらわれます。それを阻止するために若い警官がす発砲る場面がでてききます。ウイルスを封じ込める場合、一箇所でも破られれば封鎖の意味はまったくなくなります。しかし、その封鎖を守り切ったのは名も無き現場の警察官であり、じっさいは彼こそがスーパーヒーローなのかもしれないのです。それは神風などではなく、政府がきちんと説明責任をはたし、国民がしっかり理解した証でもあるのです。

現実においては、説明責任をはたす政府の存在と、それを理解できる国民の存在こそが、稀有なこと、すなわち神風かもしれません。そうならないためにも未来のノンフィクションでもある高嶋哲夫作品を多くのひとに読んでもらいたいと思うのです。

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