『古典夜話』解説 by 坂東 玉三郎

新潮文庫2013年12月11日 印刷向け表示
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古典夜話: けり子とかも子の対談集 (新潮文庫)
作者:円地 文子
出版社:新潮社
発売日:2013-11-28
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この『古典夜話』は1975年に円地文子先生と白洲正子先生の対談を1冊にまとめたものです。改めて読んでおりますとお2人ともに素晴らしい時代に生きておられたと強く感じます。

私はこの職にありながら白洲先生とは全くご縁が無く、ご挨拶をさせて頂いたことも、またお仕事ですれ違ったこともありませんでした。白洲先生は幼少時からお能を習われて、女性としては初めて能舞台に立たれた方です。晩年には「お能はやっぱり男が演じるものだ」とはっきりと言い切っておられたそうです。多くの能舞台に立ち、良き時代の殆どのことを経験して来られた方でなければそうは言い切れないものです。特に私が大切にしている世阿弥のことも実に生き生きと語っておられます。古典として現在に至っていますが、昔は身分の低い人達の中から出た人材であったことも飾らない言葉で語っておられます。実にはっとさせられる内容でもありますが、頭脳明晰で芸能に精通した観阿弥、世阿弥を通して、日本唯一の舞台芸術として、幽玄という深い表現が創りあげられました。また様々な能に対する先生の解釈を読んでおりますと、自分が白洲先生にお会いしていれば沢山のことを教えて頂けましたのに、生前にお目に掛かれなかったのが本当に残念でなりません。

しかし円地先生とは特別なお付き合いをさせて頂きましたのを、今懐かしく思い出しています。この本の中で歌舞伎のことを語っておられますが、実は私は、1966年9月に先生が歌舞伎座での上演の為にお書きになった『なまみこ物語』に出演させて頂いているのです。嫉妬の怨念に呪われる藤壺の女御の役に抜擢して頂きました。思い返せば40年以上も前のことで、真に面はゆい思いが致します。その後1977年6月に新橋演舞場で上演しました『千姫春秋記』は私の為に戯曲として書いて下さったのです。また歌舞伎座で『源氏物語・葵の巻』の戯曲を上演なさった時は舞台創りを間近に見ておりまして、牛車争いの場面では、演出家や舞台裏の皆が大変苦労しておりましたのをつい昨日のことのように覚えております。

古典の世界を探求して行くのは、古代遺跡の発掘のようなものなのかも知れないと思う時があります。昔の世界を知ってしまうと、現在の現実の中に居るよりも遥かに素晴らしいであろうと思えてきて、その時代のことを知ろうとする強い力が働き、奇想天外な発想も湧いてきます。しかしそれは現実とは遠く離れた夢の世界でもあるのです。夢に描いた世界がどんなものであったかと、1つの小さな欠片から膨大な過去を想像し、それが事実であったことを確かめようと少しずつ研究して行く。すると突然、朦朧とした何かが立体となって姿を現します。時間の経過の大きさこそ違いますが、それが私の中で古典芸能のありようと重なってくるのです。舞台芸術の分野では、そのような手の届かない、見ることも出来ない、些か不確かさを伴った、遥かに遠い時代から伝わって来たものを「古典」と言ったり「その昔」と言ったりしているのだと私は思うのです。

いつでも人間は現在に満足することは無く、昔は良かったと思い、未来は良く成るだろうと期待し、考えあぐねて、藻掻きながら生きているのではないでしょうか。しかし今の世の中を見渡せば必ずしも未来が良く成るとは思えない気もします。それこそ昔の方がずっと良かったに違いありません。現実から逃れて過去に自分の身を置き、夢を見ながら我を忘れて生きて行くことが出来るならばこのうえない幸せです。想像力を持たない動物には過去も未来も無いことでしょうが、良くも悪くも人間はその力を持ってしまいました。そのことによって地球を開発するという発想を持ち、更に住みにくい世の中を創ってしまったのは確かです。電力やテクノロジーを多く持たなかった昔の人達も、現在の人達も、過去を懐かしく思う気持ちに変わりはありません。そこで芸術や文学が生まれ、魂のよりどころとして「昔」という世界を大切にしてきたのです。現在に満足出来なければ、昔へ、それなりの昔に満足出来なければ、古代へ、古代に満足出来なければ、地球創世記へ。それでも満足出来なければ、宇宙へ、それにも満足出来ないのであれば己へと回帰するしかないのです。

皆さんは想像もなさらないと思いますが、私は俳優にならなかったとしたら、数学の仕事に関わったり、宇宙に大変興味を持っておりましたので、美しい星を眺めながら宇宙科学の研究者になりたい、などと考えたこともありました。今現在文学的な要素を重要とする古典の世界に居ながら、実は私は学生時代、文学や歴史の勉強が大変苦手で、古典の世界に居なかったら殆ど本を読むことさえしなかったのではないかという大変お恥ずかしいありさまでした。子供の時から現実の中に居ることに馴染めず、自分なりに創った夢の中を彷徨っていることが一番楽な生き方でした。幸いなことに、運命が私を古典の世界に引き連れて行ってくれたので、なんとか今の生活を迎えているわけです。

専門家になるには長い修行をしなければなりませんでしたし、様々な脚本に対する解釈や、動きや形の裏付けを身に付ける為に多くのことを学ばなければなりませんでしたが、歌舞伎には教科書のような形態になっている書物が大変に少なく、その殆どが一対一で先生に直接教わる直伝、口伝という教育方法でした。昔のものを習うということは、見た事もない夢の世界の勉強でもあるのですから、いつまで経っても尽きることのない憧れの世界への探究心に満ちていました。しかし実際は数百年も前から伝わって来たものですから、少しずつ変化はしている筈です。その頃の歌舞伎は蝋燭の灯りや自然光で演じていたのでしょうし、コンピューターで全てが制御されていたわけでもありませんから、現在では想像もつかないほど違った見え方の芸能だったに違いありません。そして将来も必ず変化をし続けて行くでしょう。

当然のことながら芸術家はどのくらい「夢想家」であるかということに大きな意味が有るような気がします。今までに巡り会った多くの科学や数学の研究者から話をお聞きしておりますと、夢と憧れの気持ちから全てが始まると言っています。それは殆ど芸術の世界と共通する出発点です。2011年第27回目の「京都賞」の授賞式典の折りに、偉大な科学者や数学者から沢山の話を聞かせて頂きましたが、その方達も本当に大きな夢を持っておられました。卓越した研究が、夢からの発想を大事にされてこられた結果であったということが、私の心に強く残っています。無限の時空や数字の世界を解明する前に、まだ見ぬ世界への憧れから始まる絶え間ない研究の結果、鮮やかに事実を証明出来た人達が偉大な研究者として素晴らしい成果を出しているのです。そしてまた、時が経つにつれて新しい理論が生みだされ、新しい事実が突き止められ、次の時代へと続いて行きます。ここでは詳しいことは述べられませんが、私が特に印象に深かったことがあります。宇宙科学の世界で、Aから計算して、Bに行く間に、殆どが規則的に進行している中で、規則的な計算では解明出来ない狭間があり、そこを発見したことが重大な研究の結果として発表されて受賞の対象になっていました。科学博士がその部分を「ゆらぎ」と称していたのです。常に予想の付かない不規則な動きをしている領域、芸術はまさにその「ゆらぎ」の中に有ると私は思いました。

ここに女性作家の円地先生と女性随筆家の白洲先生が古典に対して自由奔放に解釈しながら楽しく対談された文章が満載されています。中には

「民俗学というのも、考古学と同じに、いわゆる学問になってしまうとややこしいけど、その一歩手前のところは、私たちには面白いですね」……「だいたいの学者さんというのが、自由な見方というか、一度つき離して見るということができない人が多いようですね」

という言葉が出てきます。また

「じゃあなにがほんとうなんだと聞きたくなる。長い歴史から見れば100年くらいどうってことはない……」

とも言っておられます。その言葉の中には古典を深く理解するには、事実よりも想像力やひらめきの方が大切だという意味が含まれているのではないでしょうか。古典に触れながら、自分のひらめきを重んじ、昔の人の魂と自分の魂が結ばれることこそ、事実よりもはるかに素晴らしいことだと言っておられるのです。

二月堂のお水取りの儀式のお話を読んでいると別世界に連れて行かれてしまいます。不思議とお2人の女性作家の話の中に、煩悩を払いのけようとする修行僧の周りに彷徨う「青衣の女」が見えてきます。二月堂に於ける現在の行事に対しても様々な解釈で話し合っておられますが

「お祭りみたいなものは、長年の間に、いろいろなものが互いに影響したり、まじり合って発展して行くのですからね」

と言っておられます。お2人とも、いつの時代でも「これで変わらない」ということは無い、と言っているのです。

古典文学の代表となっている源氏物語自体が、いつまで経っても語り尽くせない、また完全に読み解くことの不可能な迷宮の世界だということも分かってきます。男と女の迷宮の世界。語っても、語っても、語り尽くせない素晴らしい愛の物語だからこそ、煩悩を抱く人間が探求して行くとすれば、その道のりを永遠に楽しめるのです。あの六条御息所の嫉妬心。その周りを取り囲む男も女も、時が経てば愛による嫉妬の思いから逃れられない、ということを2人の女性が実に楽しそうに語っておられるのも不思議です。

この1冊を読みながら1900年代には、このような豊かな時を過ごした人達が多く存在していたことを切実に感じます。激動の時代を乗り越え、しかも他国の思想に左右されずに日本をこよなく愛した博学の女性達が、自由奔放に語り合いながら生きて行けた素晴らしい時代。今は昔と言いながら、古典は過去から現代へ、そして未来へと語り継がれて行くのです。

(2013年9月、歌舞伎役者)

 
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