『液晶の歴史』

村上 浩2011年08月22日 印刷向け表示
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液晶の歴史 (朝日選書)
作者:D・ダンマー
出版社:朝日新聞出版
発売日:2011-08-10
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アップルがシャープの亀山工場に10億ドル投資する可能性があるそうだ。iPad3へ向けた投資ではないかと噂されており、今後の動向が気になるところだ。シャープの亀山工場といえば世界初の液晶テレビ一貫生産工場として知らており、「工場のブランド化」に成功した数少ない例の一つではないだろうか。シャープの液晶開発ストーリーはプロジェクトXでも取り上げられておりご存知の方も多いだろう。電卓戦争後に液晶の用途は大きく広がり、今ではテレビやPC、携帯電話にも使われており、機械と我々の接点として欠かすことのできない存在となっている。

本書の原題は『Soap, Science, and Flat-Screen Tvs: A History of Liquid Crystals 』であり、液晶科学の幅広さが伺える。著書の一人であるデイヴィッド・ダンマーは分子物理学、もう一人の著書であるティム・スラッキンは理論物理学が専門のようだが、本書には本当に色々な分野の科学者達が登場する。何しろ液晶科学の基礎を築いたのは、一見液晶とは縁が無さそうな植物学者であり、その発展の過程では数学者や鉱物学者の役割が欠かせなかったのだ。植物学者(現代でいうところの生化学者)フリードリヒ・ライニツァーがニンジンから抽出したコレステロールと安息香酸の合成物、コレステリル・ベンゾエートの奇妙な性質を発見した1888年から『液晶の歴史』はスタートする。

2つの融点を持つコレステリル・ベンゾエートに手を焼いていたライニツァーは結晶学に高い専門性を持つオットー・レーマンに助けを求めた。試料の加熱・冷却ができるホットステージを備えた顕微鏡を用いて、精緻な観察を行ったレーマンは1889年、「物理化学会報」へ「流れる結晶(crystals that flow)」についての論文を投稿するに至ったのだが、その内容は多くの批判を呼ぶこととなる。「液体」であり「結晶」であることは、それぞれの定義から考えても、当時の常識を大きく超えていたのだ。これらの批判に対して執拗に反撃を繰り返し、論争に勝利したレーマンに、偉大な発見にはつきものの、「誰がほんとうの液晶発見者か?」という問いが突きつけられることになる。その先取権をめぐってレーマンは、研究のきっかけをもたらしたライニツァーとも争うことになるのだが、本当に画期的な発見には、その後も様々な困難が伴うようだ。

当時の科学者が乗り越えなければならなかった困難は科学者相手との論争だけではない。液晶研究発祥の地はドイツであるが、そのドイツで1933年1月アドルフ・ヒトラーが首相に指名されたことで、彼の地の科学者達の運命は大きく動き出す。プラハのドイツ工科大学で非正規教授として液晶の研究をしていたハンス・ツォッヒェルにはユダヤ人女性の妻がおり、日毎に増す不穏な空気を敏感に感じ取っていた。ツォッヒェルに限らず、多くの科学者がナチスからの亡命を試みるのだが、その動きをサポートする組織があのジョン・メイナード・ケインズらによって設立されていたとは知らなかった。この組織のHPを見てみると、この組織によって亡命を助けられた多くのノーベル賞受賞者の名前を見ることができる。ちなみにツォッヒェルは戦時下での亡命が叶わず、1946年にようやく家族を連れてリオ・デ・ジャネイロで職を得たが、液晶研究には戻ることはなかった。科学という側面だけから見ても、あの戦争でどれほどのモノが失われたかは想像もつかない。

各章に付された解説では本文中に登場する現象や物質の科学的な解説がしっかり行われており、理系的好奇心もしっかり満たしてくれる(小難しい数式は出てこないのでご安心を)。とはいえ、やや専門的な内容も含まれるので苦手な人は解説の部分は読み飛ばしてもよいかもしれない。それでも本書は十分に楽しめるはずだ。新たな物質の発見から新たな学問領域が確立され、さらには消費者向け商品へと展開されていく様子は実にダイナミックだし、何より『液晶の歴史』をつくっていった科学者達の実に人間臭いやり取りが非常に詳細に描き出されており、その人間性にぐいぐいと引き込まれる。

本書の巻末には訳者であり、元日立製作所の技術者である鳥山氏による「日本の液晶技術の開発」が日本語版のみの特典としてつけられている。用語集と参考文献、索引の部分を除いても500ページ以上ある大著であり、2300円(税抜き)という価格でもお買い得だ。

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DNAの歴史も面白い。こちらも先取権争いはいろいろありますね。

DNA (上)―二重らせんの発見からヒトゲノム計画まで (ブルーバックス)
作者:ジェームス・D.ワトソン
出版社:講談社
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