サイエンスで魔法の種明かし 『鉄は魔法つかい』

村上 浩2011年11月22日 印刷向け表示
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鉄は魔法つかい
作者:畠山 重篤
出版社:小学館
発売日:2011-06-01
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書店は猟場であり、本探しはハンティングである
今月読む本の紹介は闘いだ。そう、これは大人たちのポケモンバトルだ

どちらもHONZ随一の武闘派、鈴木葉月の言葉である。HONZメンバーは常にもっと面白い本はないかと日々新刊情報に目を光らせている。毎月第一水曜日に行われる朝会の前日に都内の大型書店に出かければ、“ハンターの目“をしたメンバーを見つけることはそれ程難しいことではないだろう。朝会の前日でなくたって本屋には出かけるのだが、どんな本を見落としているかも分からない。妥協した無難な本を紹介したときにメンバーから向けられる、「あー、その本ね。知ってる、知ってる」という視線の冷たさはシロクマも逃げ出すほど。ギリギリまで良いポケモン、ではなく新刊本を探し続ける必要があるのだ。

そんな調子でリアル書店だけではなく、ハマザキカクが紹介した凶悪ツールも使いながら新刊本情報をチェックしているのだが、それでも見逃している本がある。朝会の度に「何だその本は!?いったいどうやって見つけたんだ??」と驚かされるのだが、それが自分の好きな分野の新刊本ともなれば、見逃していた自分が情けないやら悔しいやら逃げ出したいやら、とは言えそんな本を教えて貰って嬉しいやらという複雑な感情に襲われる。

本日紹介する本もそんなついつい見逃してしまっていた一冊。しかも大好きなサイエンス本であり、長沼毅先生が監修されているではないか。なぜ見逃したのか、悔やんでも悔やみきれない。本書の奥付を見ると、初版第一刷発行日が2011年6月6日となっており、私が購入したものはすでに三刷(2011年10月23日発行)である。HONZで紹介するには少々遅きに失した感もあるが、本日二本目の投稿ということでどうかご容赦を。何よりこの本メチャクチャ面白いのだ。

1943年生まれの著者は気仙沼水産高校を卒業後、家業のカキ養殖を継ぎ、宮城県で初めてホタテ貝の養殖に成功するなど、順調に漁師としての実績を積んでいく。ここまでは著者と鉄を繋ぐ糸口は見えてこない。1970年ころから大量発生が問題視されていた赤潮プランクトンと気仙沼港に流れ込んでいる大川河口上流でのダム建設計画が著者と鉄を引き寄せる。

1989年、著者は気仙沼港を救うために「牡蠣の森を慕う会」を立ち上げ、“森は海の恋人”をキャッチフレーズにしながら、上流の室根山にブナやナラの植林運動を始めた。海を救うための活動がなぜ植林活動なのか。「川の頂点を押さえることが流域全体の改善に繋がる」という考えがあったことは確かだが、この時点でその行動がどのような科学的意味を持っているかは著者にも不明瞭であった。それでも著者をこの活動に駆り立てたのは、中学生の時に聞いた世界的カキ博士である東北大学農学部の今井丈夫教授の言葉である。

「プランクトンがうまくふえないときには、森にいって腐葉土をとってきなさい。森には魔法使いがいる」

森とプランクトンを繋ぐ、その魔法使いこそが鉄である。鉄は魔法のように大事な役割を果たしているのだ。例えば、植物が光合成して成長するにはチッ素やリンなどの養分が必要となる。海中にいる植物プランクトンや海藻なども同様にこれらの養分が必要なのだが、海の中ではチッ素は硝酸塩、リンはリン酸塩として水に溶解しており、このままでは植物は養分を吸収することができない。ここで鉄の出番である。鉄が植物体内で硝酸塩、リン酸塩をそれぞれチッ素、リンへと還元することで、植物は養分を吸収できるのだ。

しかし、皆さんご存知のように鉄は非常に錆びやすい性質を持っている。そのため、海水中では通常、鉄は酸素と結びついた酸化鉄として存在する。しかし、困ったことに酸化鉄はそのサイズの大きさのため、植物の細胞膜を通ることができない。では、海中の植物はどのように鉄を取り入れ、養分を吸収しているのか。ここで森の出番である。森の中の腐葉土にはフルボ酸があり、このフルボ酸は酸素よりも早く鉄と反応し、キレート状のフルボ酸鉄となる。このフルボ酸鉄の形状であれば、細胞膜を通過することができるのだ。ここで森と海が繋がった。しっかりと腐葉土のある森から運ばれた鉄が無ければ、海の生態系は貧弱なものになってしまう。著者の海を救うための植林活動は実に合理的なものだったのだ。

鉄にまつわる科学者の生き様に触れることも本書の楽しみ方の1つだ。監修者の長沼先生をはじめ、様々な分野の科学者が登場する。中でもジョン・マーチンの偉業には感嘆しきり。海洋科学者の中で長年謎とされていたことの1つに、HNLC海域という、栄養が豊富でありながら植物プランクトンが存在しない海域が存在する現象があった。鉄がその鍵を握ると考えられてはいたのだが、それを実験で確かめる者はなかなか現れなかった。謎の解明に立ちはだかった壁は分析技術である。鉄の有無でプランクトン繁殖に差が出るかを確かめるのが一番シンプルだが、鉄は極微量存在するだけでもその効果を発揮してしまい、従来の分析器具ではこの実験は実現不可能。例えば、小学校の理科の実験で使ったような通常のガラス製フラスコでは容器から鉄が溶出してしまい、ナノレベルの分析は行えない。

科学者たちを悩ませ続けた謎を解明するため、1989年(奇しくも著者が活動を始めた年と同年)マーチンはポリオで自由に動かない足を引きずりながら、南極海までやって来た。もちろん手ぶらではない。当時世界一と謳われた微量金属測定技術とテフロン加工されたプラスチック製の分析器具を引っ提げての船出である。そこで回収したHNLC海域の海水を2つの容器に分け、一方はそのまま、もう一方には鉄を入れて放置した。すると、鉄を入れた容器のみ大量のプランクトンが発生したのである。実験は大成功に終った。しかし、話はここで終わりではない。

この次の実験がマーチンの真骨頂である。「アイアンEX」と名づけられたこの実験の前にマーチンはガンを診断されていたが、病も彼を止めることはできない。今度はHNLC海域に鉄を直接、トラック一台分まいたのだ。うーん、スケールがでかい!鉄のまき方に試行錯誤はあったものの、果たして海水中の植物プランクトンは30倍にまで増え、「鉄理論」は強固なものとなった。著者は今後このジョン・マーチンの自伝を書くそうなので、HONZで紹介できる日が楽しみだ。

著者の興味は海にとどまるものではない。鉄に関係があると思えば、日本全国どこでも専門家に直接聞きに行ってしまう。また、珍しい鉄鉱山に入山できると聞けば嬉々としてオーストラリアまで飛んでいく。年齢からは考えられないフットワークの軽さに驚かされる。ある大学から“森は海の恋人”関連の講演を依頼されたときには医学部におしかけ、血液の専門家を紹介してもらい、体内での鉄の役割についてしっかりと知識を深める貪欲さである。どんな機会でも、誰からでも新たな知識を仕入れてやろうという著者の姿勢には本当に頭が下がる。

著者の身軽さを見ていると、好奇心はこれほどまでに人を駆り立てるのかと感動すら覚える。本書を読んでいると本当にワクワクしてくる。立派な学位は持っていなくとも、事実を見つめ、仮説を立て、好奇心を燃料に縦横無尽に動き回る著者のような人間こそ本当の科学者だ。「科学者の目」を通して見れば、世界はまだまだ心地よい驚きに満ちている。

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ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)
作者:リチャード P. ファインマン
出版社:岩波書店
発売日:2000-01-14
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いわずと知れた名作中の名作。サイエンスって面白い。「成毛眞(今のところ)オールタイムベスト10」からこの本が外れることはないだろう。楽しくなって、スキップしながら人生を歩んでいこうと思わせる一冊。

14歳の生命論 ~生きることが好きになる生物学のはなし (tanQブックス)
作者:長沼 毅
出版社:技術評論社
発売日:2011-11-08
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本書の監修者でもある長沼先生の新刊。しかし今年は長沼先生は一体何冊本を出すんだろうか。論文の執筆は大丈夫なんだろうか。ジャンプばっかり読んでいる子どもの部屋にこの本を置いておけば、きっと理科好きになるだろう。漫画のキャラクターから発想を広げて、生命の可能性を考える。『ワンピース』も『HUNTER×HUNTER』も出てきます。

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