イノベーションの下の力持ち 『スパイス、爆薬、医薬品 ‐世界史を変えた17の化学物質』

村上 浩2011年12月02日 印刷向け表示
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スパイス、爆薬、医薬品 - 世界史を変えた17の化学物質
作者:ジェイ・バーレサン
出版社:中央公論新社
発売日:2011-11-24
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サイエンス本が好きである。物理学の本を読めば、この世を動かす仕組みの偉大さとそれを簡潔に書き表す人間の知性に感動することができる。生物学の本を読めば、生命の不思議さに戸惑いながら、我々はどこから来てどこへ行くのかについて思いを巡らせることができる。数学の本を読めば、数式の美しさとそれを追い求める数学者の破天荒さにうっとりすることができる。

それでは、化学の本はどうだろうか。Amazonのカテゴリー別登録冊数を見ると、化学の7,051冊は物理学(5,971)、数学(7,051)よりも多いのだが、専門書が多く、幅広い人が楽しめる読み物は少ないように感じる。HONZでも化学がメインテーマの本は取り上げられていない。

そんな逆風の中、本書は真正面から化学(特に有機化学)の面白さを伝えてくれる稀有な一冊である。物質の構造を示す化学構造式は化学の魅力を伝えるために必要不可欠なのだが、どうも苦手にしている人が多く、著者に化学構造式を省略するようアドバイスをした人もいたようだ。このアドバイスに従わなかったことが、本書の成功要因だろう。コカインアトロピンの違いなど、言葉で説明する方がうんと分かり難い。

化学構造式って苦手だなぁと拒否反応を起こしかけているあなた、どうかご安心を。化学構造式がしっかり、たっぷり出てくるのだが、歴史のエピソードと上手く絡められており、さくさく読める。

本書は全17章から成っており、一見バラバラのエピソードの寄せ集めに見えなくも無い。気になるエピソードをつまみ食いしても良いのだが、第1章から順に読み進めていくことをお薦めする。それぞれの章が固まりとして明確に分けられているわけではないが、食、産業革命、ポリマー、医療と徐々に中心テーマが移っていき、それぞれの章の繋がりを感じることができる。何より、徐々に複雑な化合物、反応へと説明を進めていくことで、「シス・トランス」、「ミセル」、「重合」などという化学用語に馴染みの薄い人が化学への理解と興味を深めることのできる構成となっているのだ。

各章では歴史の転換点の裏側にあった化学物質について、その発見の過程から構造の特徴まで詳しく解説されている。本書を読み進めて行くほどに、世の中を文系・理系に分けて見ることのつまらなさを痛感する。歴史の授業で習ったエピソードを化学の目で見れば、そのエピソードはより色鮮やかなものとなるからだ。例えば、中世ヨーロッパでの魔女狩りも、窒素原子を含むアルカロイド分子に注目すれば、新たな視点が与えられる。

当時、魔女として訴えられた女性たちの中には、箒にまたがりサバト(魔女の会合)へ飛んで行ったと自白する者もいた。自白したところで拷問から逃れられない彼女たちが自白したのは、本気で自分が飛んだと信じていたからだ。彼女たちにこの突拍子もない内容を信じ込ませた犯人こそアルカロイドだ。植物から抽出されるアルカロイドの一種であるスコポラミンはその当時より、皮膚からの吸収率が高いことが知られており、薬としても用いられていた。しかし、これらを大量摂取した後にもたらされるものは、多幸感、異常興奮、歪んだ視覚である。疲れ切った日常からの逃避を繰り返していた彼女たちは、本当に自分が「魔術」を使えると信じるに至ったのではないかと著者は推測する。

新たに発見された化合物や科学的知見がいかに世の中に浸透していったかというのも本書の見所の1つである。多くの場合その浸透を加速させたのは、発見者である化学者本人だ。本書に登場する化学者は、論文数と学会でのポジショニングばかり気にする研究者やバリューチェーンの機能毎に分断された限られた業務のみを行うサラリーマンとは大きく異なる。彼らは革新的な研究者であり、情熱的なセールスマンでもあり、人々の暮らしを根底から変える変革者だった。

「千の使い道がある物質」と言われたベークライトの生みの親であるレオ・ベークランドの行動はまさに、『儲けたいなら“化学”なんじゃないの?』を体現している。ベルギーで博士号を取得し、研究者としてのキャリアが約束されていたにも関わらず、19世紀初頭にアメリカに移住して来たのは一儲けするためだ。最初の発明で得た資金を更なる研究へつぎ込み、それまで象牙で作られていたビリヤードの玉を代替するためにベークライトを産み出す。しかし、このベークライトにはもっと多様な用途があり、あっという間に世の中を席巻していくこととなる。億万長者となったベークランドはついにTIMEの表紙を飾るにいたった。ありふれたものを特殊なレシピで混ぜ合わせれば大金を生むものに変換できるなんて、なんだか本当に錬金術のようじゃないか。産み出された“金”に錬金術師の思いもよらない使い道があるというのもまた面白い。

本書の副題の通り、化学はこれまでの世界史を変えてきた。

ビタミンCの役割に気が付かなければ、航海は壊血病に怯える命がけの旅のままだっただろう。冷蔵庫を冷やす冷媒がなければ、これほど多様な食材を楽しむことはできなかっただろう。避妊薬が合成されなければ、女性の社会進出はもっと遅れていただろう。

では、これからの世界史はどうだろう。今後も化学は変化を起こし続けることができるのだろうか。

大きな資本が投下され、あらゆる可能性は検討し尽くされている現代において、ベークランドのように個人で化合物を一から発見・合成し事業化まですることは、不可能ではないかもしれないが、非常に困難だろう。しかし、化学そのもののイノベーションが終ったわけではない。化学は分子生物学、遺伝子工学、エネルギー工学などあらゆる分野の礎として機能し続けている。化学単体の読み物が少ないのは、化学があらゆる学問と不可分な程に深く結びついているからだろう。

今後は化学がイノベーションの表舞台に現れて、ホットな学問として扱われることは少ないかもしれない。しかし、これから歴史の教科書に刻まれることになるエピソードの裏側にも、きっと化学の力が働いている。本書で化学との距離を縮めておくのも悪くない。

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風が変えた世界史: モンスーン・偏西風・砂漠
作者:宮崎正勝
出版社:原書房
発売日:2011-08-25
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こちらは化学ではなくて、「風」というキーワードから世界史を見た本。XXXから見た世界史だと他にも『世界史を変えた異常気象―エルニーニョから歴史を読み解く』などもある。

細胞が自分を食べる オートファジーの謎 (PHPサイエンス・ワールド新書)
作者:水島 昇
出版社:PHP研究所
発売日:2011-11-19
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最近の生物学の本だとこれがおススメ。新たな細胞の誕生や創造に目が行きがちだが、細胞のお掃除に注目した分野の一冊。割と最近注目され始めた分野のようで、その起こりから最新の研究結果まで幅広く網羅されている。生物の誕生や老いにおいても重要な鍵を握ることになりそう。

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)
作者:サイモン シン
出版社:新潮社
発売日:2006-05-30
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数学だとこの一冊は外せない。何とAmazonレビューが122もついている!!しかもその内102個が5つ☆。たった1人で百年を超える謎に挑むワイルズの姿に心揺さぶられる。謎の解明に日本人研究者の業績が貢献していたことも感慨深い。

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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
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