メディアは、これから 『英国メディア史』

村上 浩2011年12月22日 印刷向け表示
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英国メディア史 (中公選書)
作者:小林 恭子
出版社:中央公論新社
発売日:2011-11-09
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大英図書館が「British Newspaper Archive」というサービスを開始した。このサービス何がすごいかというと、アーカイブしている情報量とその古さだ。なんと、1800年以降にイギリスで発行された新聞のほとんど全てをカバーしており、そのデータに自宅のPCから容易にアクセスできる(1700年代のデータもあるようだ)。1800年といえば日本は寛政12年、11代将軍徳川家斉の治世であり、伊能忠敬が蝦夷をせっせと測量していた時代である。世界に目をやれば、人口はまだ10億に満たず、欧州ではナポレオンが台頭していたと言えば、よりその時間の長さを感じられるだろうか。

ひとたび検索窓にキーワードを入れてみれば、その検索対象となっている新聞の多さに改めて目を見張る。何しろ、今後10年間で4000万ページのデジタル化を完了する予定である。記事の閲覧には年間約1万円が必要となるが、検索結果は無料で見ることができるので気になる検索ワードのヒット件数の時系列変化を見ても面白い。さすがは、Times、The Economist、Financial Timesなど世界のクオリティペーパーを輩出した英国といったところだろうか。

本書の対象の中心はそんな英国の、新聞、テレビ、ラジオである。これらのメディアがどのような背景から生まれ、どのように普及していったのか、また、どのように歴史を動かしてきたのかを概観することができる。新聞、テレビ、ラジオにフォーカスが絞られているとは言え、429ページの大著である。このボリュームと内容で1995円はお買い得だ。

本書の歴史は15世紀からスタートする。この時代には当然、テレビやラジオはもちろん、新聞すら存在しないのだが、グーテンベルクがいた。グーテンベルクの発明した技術を学んだウィリアム・キャクストンはやり手の毛織商人だったが、50代以降の人生と情熱を当時はビジネスとして成り立っていなかった印刷業に捧げた。様々な本を“ローカル言語に過ぎない英語”で出版することで、英国における印刷文化の礎を築いた彼が出発点となり、多くの人間が後に続く。

キャクストンからバトンを受け取った聖職者ウィリアム・ティンダルの人生は壮絶そのものだ。彼に襲いかかる悲劇をもたらした原因の1つは、彼の類まれなる言語力である。彼はその才能を存分に発揮して、聖書をギリシャ語やヘブライ語の原典から英語に翻訳したことで“異端”の烙印を押され、1536年に火あぶりの刑でその波乱に満ちた人生に幕を閉じる。聖書にまつわる情報を独占したい教会は、教会の秩序を脅かす存在を許しはしなった。

多くの人に情報を届ける技術の基盤は整いつつあるが、それを受け入れる社会的土壌はまだできあがっていない。

いつの時代も体制は情報を統制しようとするのだが、「知りたい」「伝えたい」という欲求はそう簡単に抑えられるものではない。印刷物が国民へ与える影響を危惧した王室当局による様々なペナルティにも関わらず、印刷技術の普及に伴い、ニュース発行物は16世紀以降徐々に増加していく。1620年前後になると、現在の我々が考える「新聞」に近い、定期的に新しい出来事を伝える定期刊行物が発行されるようになる。

17世紀が終わるころ、情報は少しずつ権力の縛りを解き始める。

18世紀に入っても順調に成長していく新聞業界に立ちはだかったのは、政府からの税金、印紙税だ。フランスとの戦費がどうしても必要だった政府は、成長著しいこの業界に目を付けたのだが、この「知識への税金」が多くの新聞を廃刊に追い込むことになる。この状況を打破したのは新たなテクノロジーとビジネスモデルを新聞業界に持ち込んだ『デイリー・ユニバーサル・レジスター』である。彼らは蒸気力を印刷技術へ応用することで、以前は1時間に250枚しかできなかった印刷を1時間で1100枚にまで改善させただけでなく、画期的な一面を用意した。

その一面は派手な写真や見出しではなく、びっしりと文字で埋められていた。この文字は当時の最新技術である「ロゴタイプ」で刷られており、多くの人の目を惹いた。また、その内容は記事ではなく広告であり、この新聞がいかに大手スポンサーに支持されているかを誇示することで、新聞の信用を裏付けた。新聞の売り上げ以外の収入源確保が、政府の援助からの独立、新たなジャーナリズムへの投資を可能とし、コンテンツの充実をもたらすという好循環を産み出した。この当時から、最近では「ペルソナマーケティング」と言われる手法を使って記事を書いている新聞もあり、ビジネスモデル、マーケティング手法の変遷に注目しながら読んでも面白い。

1850年代には発行部数が5万部を超え、日刊紙総発行部数の4分の3を占めるにいたった『デイリー・ユニバーサル・レジスター』は既に名前を『タイムズ』に変え、知らない人はいない存在になっていた。ちなみに、フォントのTimes Romanもこの『タイムズ』が開発したものである。しかし、この『タイムズ』は労働者階級が買える値段ではなく、識字率の低い彼らはこれらの新聞を読み聞かせて貰うしかなかった。

産業革命で拡大した貴族・地主と労働者間の格差は様々な矛盾を浮き彫りにした。不衛生な生活、低賃金など、どんどん溜まっていく彼らの声を代弁する新聞が現れるのにそれほど時間はかからなかった。労働環境の改革を呼びかけ、印紙税を払っていないため値段も安かったこれらの新聞は「急進プレス」と呼ばれ、労働者の心を掴んだ。最も人気の高かった『ノーザン・スター』は1839年には発行部数5万部を記録し、100万人が読んだと言われている。

新聞が国内労働者を1つの運動にまとめ上げるほどの影響力を発揮したこの頃、情報は本当の意味で多くの人々へ届き始める。

クリミア戦争によるニュース需要の高まりが追い風となり、1861年には紙にかけられていた税金は廃止された。20世紀に入ると、英国、アイルランドで発行されている新聞の数はついに2000紙を超えるところまで成長する。こうなると、政府や王室がどれだけ望んでも、流通する情報量をコントロールすることは不可能である。そこで、政権与党は新聞のオーナー、ジャーナリストへ爵位を与えることによって、流れる情報の質を支配しようと試みた。情報の受け手はマスにまで広がっていたが、情報の出し手はまだまだ限られており、その限られた出し手(オーナーや編集長)は出自がエスタブリッシュメント層であるものが多く、彼らは根源的に政府と同調しやすい傾向を持っていた。

この傾向は第二次大戦前の新聞に明確に見て取れる。1930年代の報道内容は、ドイツとの宥和を目指す政権の姿勢をなぞるものでしかなく、どの新聞もこぞって「戦争はありえない」と主張し続けていた。このようなエスタブリッシュメントを嫌い、英国メディアに激震をもたらしたのが、メディア王ルパード・マードックである。度肝を抜く手法でメディアを支配していくにつれ、あれほど毛嫌いしていたエスタブリッシュの世界にマードック自身がどっぷり染まっていく様は皮肉としか言いようがない。『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』の盗聴問題で命運尽きたかと噂されるが、本書で紹介されている彼のやり方を見る限り、このまま終わると男だとは思えない。

20世紀に入ると、ついに放送メディアが誕生する。1922年10月に設立されたBBCにジョン・リースがジェネラルマネージャーとして参加することになったのは同年の12月。機関車製造会社や建設会社でキャリアを積んだ「放送についてはまったく無知な」この男は、雇用、組織構築、番組企画、放送、政府対応などまさに八面六臂の活躍ぶりで、放送業界の土台を固めていく。その仕事ぶりも凄いが、本書コラムで紹介されているその私生活はもっと凄い。また、創立者のそんな一面をHPで堂々と公開しているBBCの懐の広さも凄い。

設立期にBBCの拡大を妨害してきたのは、その草創期に政府や王室からの妨害に苦しめられていた新聞各紙や通信社だ。「通信社が報道済みのニュースしか放送するな」とか、「番組表は紙面に載せない」と言うのは今から見ればいかにもみっともない気もするが、その存在はそれだけ脅威だったのだろう。歴史は繰り返すとは言うけれど、現在のマスメディアのネットメディアに対する姿勢と非常に似ているように感じる。ジェフ・ジャービスの新刊『パブリック』で引用されている作家ダグラス・アダムスの言葉がぴたりとはまる。

  1. 生まれた時すでにこの世に存在したものはすべて、当たり前である。
  2. 30歳までに発明されたものはすべて、ありえないほどエキサイティングでクリエイティブであり、運が良ければそれを仕事にできる。
  3. 30歳以降に発明されたものはすべて、自然の摂理に反する、文明の終わりの始まりである。本当に問題ないことが次第にわかってくるまでに、だいたい10年くらいかかるからだ。

情報の受け手は、貴族・王室に限定されていた時代から、中流・労働者階級にまで広まった。メディアの選択肢は、活字から音声、映像にまで広がった。その広がりを支えたのは様々なテクノロジーの進歩であり、その広がりを加速したのは「知りたい」「伝えたい」という人々の欲求であった。また、そんな人々の欲求を掻き立てたのは戦争、王室の結婚、労働者の自由への思いなど 、今では“歴史”になっている大きな物語である。

インターネットの登場により、情報の出し手も急速に広まった。これまでマスであった人々が情報を発信するソーシャルメディアの与える影響は、もはや無視できない大きさに成長している。100年後に書かれる『英国メディア史』はどのような内容になるだろうか。数百年に渡り中心的役割を果たした新聞は、その使命を終えているだろうか。Facebook利用者の7割以上が米国以外に在住しているように、そもそも“英国”メディアというものがなくなるほどにメディアも世界中でフラット化されているだろうか。

500年に渡るメディアと歴史の交錯を鳥瞰することで、未来の変化へ向けた疑問と、それを読み解くヒントが浮かんでくる。

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パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ
作者:ジェフ・ジャービス
出版社:NHK出版
発売日:2011-11-23
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ネットによりあらゆるものがパブリックに晒される可能性がでてきた現代において、我々がどのようにパブリックと向かいあうべきかを考える一冊。アメリカのジャーナリストによる本らしく、膨大な参考文献を基に、プライベートとパブリックを徹底的に掘り下げる。また、この本は装丁がかっこいい。貼り付ける付箋は是非青色で。

上記『パブリック』の監修者でもある”こばへん”こと小林弘人氏の新作。メディア化に成功した企業の事例が豊富。HONZっぽくないこんな本も実は読んでたりする。 
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