お騒がせ国家のたどってきた道 『物語 近現代ギリシャの歴史』

井上 卓磨2012年03月03日 印刷向け表示
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物語 近現代ギリシャの歴史 - 独立戦争からユーロ危機まで (中公新書)

物語 近現代ギリシャの歴史 - 独立戦争からユーロ危機まで (中公新書)

  • 作者: 村田 奈々子
  • 出版社: 中央公論新社
  • 発売日: 2012/2/24

昨今世界を騒がせているユーロ危機が解決するか否かはPIIGS諸国が無事に財政を再建できるかどうかにかかっている。その結果次第では第二のリーマンショックが勃発するなんてことも十分ありうる話である。しかし! こんな危機的状況にもかかわらず激しい暴動によって国民が頑なに緊縮政策を拒否する国がある、本書の主人公? ギリシャである。一時期ギリシャ人の一日に占める労働時間のあまりの少なさが話題になったこともあったし、マイケル・ルイスの新作『ブーメラン』には徴税がまともに機能していないギリシャの驚くべき実態が描かれていた。驚愕すべきこれらの事実は「ギリシャ人=怠け者」という強烈なイメージを私に与えたものである。しかしながら、かつては「古代ギリシャ」という輝かしい歴史を有したギリシャがいったいどういう経緯でこんな怠け者国家になってしまったのか? それが本書を手にした理由である。

ところでギリシャという言葉を聞くと歴史ある国家というイメージを抱く人は多いのではないだろうか? 実際私もそのように考えていたのだが、実はオスマン帝国からギリシャが独立するまで、歴史上にギリシャという国家が存在したことはなかったのである。古代ギリシャは都市国家の集合体でまとまったギリシャ人の国家ではなかったし、ビザンツ帝国もギリシャ人主体の国家ではあったがどちらかと言えば正教徒の国家という色合いの方が強かった。そしてその後のオスマン帝国によるコンスタンティノープル陥落以降、400年もの長きにわたってギリシャ人は自分たちをギリシャ民族というよりオスマン帝国内の正教徒と意識して生活してきたのである。今では信じられない話だが、ナショナリズムが広まる前の人々は言語や民族より宗教によってアイデンティティを見出していたのである。しかしバルカン地方の各民族がナショナリズムに目覚めていくにつれ、バルカン情勢は列強の思惑も絡みどんどんきな臭くなっていくことになる。

ギリシャ人も時代の要請に応じるがごとく徐々に民族意識に目覚め、独立への欲求に火が着き始める。ここで面白いのは詩人バイロンを始め多くの人が列強諸国の反対にもかかわらずヨーロッパ、アメリカから義勇兵として馳せ参じたことである。19世紀には既に知識人や芸術家の間で古代ギリシャに対する憧憬と崇拝の文化的土壌があったそうで、当時ヨーロッパの各地にギリシャを支援するための委員会が設立されたのだそうだ。彼らはイスラームの支配に苦しむヨーロッパ文明誕生の地ギリシャを開放しようと立ち上がったのである−−と書くとかっこよく聞こえるが、当時のオスマン帝国は税さえ収めていれば緩やかな自治を認めており、ギリシャ人を苦しめていたのはむしろ帝国に支払う以上の税金を要求して私腹を肥やした同じギリシャ人の特権階級の人々だったというのが真実のようである。おまけにこれら特権階級のギリシャ人は独立国家を作ろうという気はなくどちらかと言えば自分達の権益を拡大するために戦争に参加した者がほとんどで、たびたびギリシャ人同士で内戦を起こし、なかにはあろうことかオスマン帝国側に寝返る者までいて、親ギリシャの人々を幻滅させている。ギリシャのために行動しているヨーロッパの人々がギリシャ人の勝手さに苦労させられる様子は今のEUとギリシャの関係を思い起こさせるものがある。

そんなギリシャ人だがこのままではオスマン帝国に勝てないというなんとも消極的な理由で徐々に団結し、なんとか独立にまで漕ぎつける。しかし400年もオスマン帝国の正教徒として生きてきた不連続な歴史を持つ彼らが団結するには、古代ギリシャ、ビザンツ帝国という偉大な過去にすがる以外方法がなかった。そこでかつてのビザンツ帝国の栄光の地コンスタンティノープルを再征服する夢、通称「メガリ・イデア」に向けてギリシャ人は邁進することになるのである。

これ以降偉大な過去へのコンプレックスが彼らの情熱のエネルギー源となってギリシャ人を動かしていく。時には狂気の沙汰としか思えない無謀な戦争を仕掛けたり、誰も話している人のいない古代ローマ語を公用語にしようとする運動が起こったりと読者は『偉人の息子』の苦悩をところどころに垣間見ることになる。そして内戦や軍事独裁政権の誕生へと続く、血まみれの殺し合いを経験してきたギリシャと現在の怠惰なイメージのギリシャとのギャップに驚くことにもなる。現在の怠け者国家としてのギリシャの歴史は30年ぐらいのものである。これを長いと見てギリシャ再建はもう無理と見るか、こんな壮絶な過去を経てきたのならまた立ち直れると判断するかは本書を読んで判断してもらいたい。

当時の複雑なバルカン情勢もギリシャの立場から実にわかりやすく書かれており、またギリシャをはじめとしてバルカン地方が列強諸国の利害や思惑に翻弄される様子も実にえげつなく活写されている。ページをめくる手が止まらず一日で全部読みきってしまった。単なるギリシャの歴史にとどまらず国家、民族、歴史とは自分たちにとってどういうものなのかを考えるうえでも実に面白く、お薦めの一冊である。

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