『「ゼロリスク社会」の罠』危険を見極めるコツ

2012年10月4日 印刷向け表示
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HONZのレビューの書き手は日付の下一桁で決まっていて、さながらプロ野球の先発ローテーションのようだ。先発1番手は投稿回数73の鉄腕内藤順、2番手は豪腕ならぬ豪筆村上浩、3番手の神様仏様土屋様は昨日HONZ史上最高のアクセス数を記録、サーバーをダウンさせた。

強力3本柱の後、4の付く日はそれなりにプレッシャーがかかる。だとしても、怖じ気づいてもボールを投げないことにはじまらない。

「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる (光文社新書)

作者:佐藤 健太郎
出版社:光文社
発売日:2012-09-14
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「ゼロリスク社会」を野球の投手に例えてみれば、打たれたくないからといってストライクを一切投げない投手だ。打たれるというわかりやすいリスクを避けて、ゼロリスクを手に入れる。しかし、結果として、フォワボールで押し出し、失点というより大きなリスクを招き、自滅していく。打たれるリスクを受け入れないと、そもそも試合は成り立たないし、勝つことはできない。

そして、私たちもストライクを投げない投手(おそらく存在しないが「ない」とは言い切れない)のように、日常生活の中でリスクを受け入れられないでいたり、リスクを見誤って必要以上のコストを支払っている。

どうして、人はリスクをたやすく読み違えるのであろうか?

それは理性よりも本能が何倍も強力に働く、からだ。理性で判断すべきとわかっていても、どうしても本能の方が頭をもたげてしまう。そして、人はリスクから目をそらしたり、過大に見積もろうとしてしまう。

その代表例として、人々がリスクを強く感じる要因がハーバード大学のリスク解析センターから発表されている。長くなるが、貴重な内容なので、紹介したい。

1.恐怖心

ex.交通事故よりも遭遇する確率が低い通り魔やストーカーのリスクを強く感じる

2.制御可能性

ex.自分の運転より、他人の運転が怖い

3.自然か人工か

ex.有機野菜なら何でもOK、添加物を過剰に気にする

4.選択可能性

ex.自分で選べないときはリスクを余計感じる

5.子どもの関与

ex.自分の子どもを心配し過ぎると、リスクに盲目になる

6.新しいリスク

ex.新型インフルエンザやSARSなどの新しい脅威を怖く感じる

7.意識と関心

ex.大きく報道されたり、頻繁に耳にするリスクを見誤る

8.自分に起こるか

ex.アフリカの大規模な内戦よりも、日本の小規模な感染症が気になる

9.リスクとベネフィット

ex.リスクに対して利益があれば、リスクを低めに見積もる

10.信頼

ex.リスクを説明する人の信頼性が低いと、リスクの感じ方が高まる

これらは誰にとっても身に覚えのあることではないだろうか。さらに、この10項目を福島第一原発での事件に照らし合わせてみる。天災ではなく人災であり、子どもの健康への影響が心配され、マスコミは大きく報道し、リスクを説明する学者や政府が信用できない、などなどすべての項目を満たしている、と著者は言う。

そのなかでも、現代においてリスクの見積を大きく狂わせる要因はマスコミの報道に他ならないようだ。マスコミにとって商品である情報をより多くの人に買ってもらうためにリスクを実際よりも大きく報じ、大衆の感情に訴えて、危機を煽る。この行動はマスコミにとっては生き残り戦略であり、本能に似たものでもある。

例えば、記者が市民の印象がよくない遺伝子組み換え作物に関するプラス面の記事を書くと、読者からの反応は批判的なものが多くなり、売上が伸びない。危険性を強調する記事のほうが読者受けがよく、新聞や雑誌の売上が増える、そうやって恐怖心が増大していくサイクルができあがるそうだ。

もうひとつ、マスコミ報道の問題点は大衆を煽ったまま、放置し、総括がないことである。10年以上前にゴミ焼却場から出るダイオキシンは当時、精子減少の危険性があると伝えられていた。しばらくして、「当時言われていたほどのリスクはない」と学界でコンセンサスが取られた。

しかし、アカデミックの領域で十分なデータが出そろって問題の全容が理解されても、マスコミにとって、そのニュースは商品価値が低く、報道は小規模にしか行われない。その結果、多くの市民は頭の中は元の説が残ったままになる。私もこの本を読むまで、ダイオキシンは猛毒で危険で…という印象が強いままで残留していて、新しい事実を知らなかった。更に悪いことに、煽られた勢いで施行された対策だけが残り、余計なお金を垂れ流すことになる。

他にもゼロリスクを目指すことによって、私たちの引っかかりやすい罠と社会の負担するコストがわかりやすく紹介されている。三笠フーズの汚染米、ホルムアルデヒトが混入した水道、発がん性物質などなど、ニュースで聞き流した事例が多数でてくる。

そして改めて基礎から教えてくれる放射能は60ページに集約されていて、本当にわかりやすい。シーベルトやベクレルという今回の事件ではじめて聞いた単位もすんなり入ってくる内容である。

本当は怖かった昭和の栗下のレビューで紹介されているように、現代は昔に比べ、事件や事故は減り、史上最も低リスクな社会である。これ以上リスクを減らそうと努力することは、トレードオフがつきまとい、何を犠牲にするか?の選択を迫られる。そんなときこそ、本能に捉われてゼロリスクの幻を追わずに、冷静になって定量思考をしようと著者は主張する。

水のがぶ飲みコンテストで7.8ℓの水を飲んだ女性が水中毒で死んでしまうように、水ですら、量によっては人体に影響を及ぼすのだ。人体に害をなすかどうかは「あるかないか」の定性的なものではなく、その物質の量によって決まる。定量思考を身につければ、「AにはBという危険な物質が含まれている」という不安を煽る定性的な報道に惑わされないで済む。

「危険がある」「リスクがある」という言い方はありますが、「安全がある」という言葉はありません。

リスクを定量的に捉えて広い視野で理解し、自分が受容できるリスクを判定する。不確かな時代を理解する粒度を上げよう、その知恵はこの本のなかにある。

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サイエンスライターとして活躍する著者の代表作。中立的な立場から化学物質を読み解く。ちなみに、著者のブログがかなり面白い。

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鈴木葉月が以前紹介したセイバー・メトリックスは定量思考の代表例として紹介されている。マネーボールではスカウトの勘や本塁打などの目立ちやすい実績で選手を獲得するのではなく、出塁率が高い選手を獲得し、チームを強化した。

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昨日のレビューを読んで思い出してしまった。星稜高校vs明徳義塾の試合で起こった松井秀喜の5打席連続敬遠。試合は明徳義塾がリスクをコントロールし勝利したが、松井と勝負するというリスクを回避した経験が出場した選手にどう影響したのか、その時、その場にいた選手のその後の人生を追った。

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