『名刀と日本人』刀に込められた思い。

2013年1月10日 印刷向け表示
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名刀と日本人: 刀がつなぐ日本史

作者:渡邉 妙子
出版社:東京堂出版
発売日:2012-12-10
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冷たく光る鋼の地肌の中に、打寄せる白波の如き、あるいは大地を切裂き流れる川の如き刃紋を有する日本刀。刀身にはまるで水墨画のような景色を秘めつつ、優美に彎曲した静かな佇まいを現代まで保ち続けている。世界的に見ても、刀身自体に芸術性を見出せる刀剣は日本刀だけの特徴であるとされている。多くの人が博物館や美術館などで一度はその美しさにふれ、感嘆の声をもらしたことがあるのではないだろうか。私達の先祖は、どのような思いを内に秘めながら、刀に接していたのか。そんな思いを贈与という視点から眺めてみることが本書の趣旨である。

平安時代より天皇家では皇子が生まれると「御剣(みはかし)」を贈るという習慣が存在した。長保元年(999年)11月7日に一条天皇の皇子敦康親王がお生まれになったとき、御剣が贈られたことが『栄花物語』に書かれている。このときの御剣がどのようなものであったのかは、今ではわからない。剣とは直刀で両刃の武器のことだが、このときの御剣はおそらく、片刃の直刀ではないかと著者は推測する。

天皇家では世継ぎの誕生に際して、新作の刀を贈るのが習慣のようだが、武家はこの点が違い、古い時代に造られた刀を贈るのが慣わしのようだ。寛永18年(1641年)8月4日に産まれた3代将軍徳川家光の子、家綱の誕生祝いに献上された刀の一部は以下のようなものであった。

“尾張大納言義直卿から御所へ「助真 太刀」

          若君へ「包平 太刀」 「長光 刀」「来国次 脇指」

紀州大納言頼宣卿から御所へ「国宗 太刀」

          若君へ「長光 太刀」 「長光 刀」「来国次 脇指」

水戸中納言頼房卿から御所へ「来国光 太刀」

          若君へ「則次 太刀」 「長光 刀」「来国次 脇指」”

と、天下の名刀ぞろいだ。また、将軍には太刀。若君へは太刀、刀、脇指の三点セットになっていることが伺える。いずれも平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した名刀匠たちの刀だ。刀では長光が選ばれている。これは「若君の世が長く光り輝くように」との意味が込められているようだ。脇指の来国次は「来るべき国を継ぐ」という意味が掛けてある。

贈られた刀は、将軍家に残すもの、将軍家から臣下への贈答に用いられる物などに分類され保管される。このような贈答には武家の恩、忠義、などといった感情や思いが世代を超えて伝わっていくことが見てとれる。そんなひとつの例として「大かき正宗」の話がある。

徳川家康に深い恩のある最上家から、家康に献上された「大かき正宗」は2代将軍秀忠により上杉定勝の元服祝いとして贈られる。上杉家は関ヶ原の戦いで西軍側に属した経緯があり、当時、政治的に微妙な立場であった。しかし、秀忠が定勝に「大かき正宗」を贈ったことにより、その政治的立場が安定したと受け取ることが出来る。上杉家としては大いに感謝したことであろう。そして時は流れ幕末、戊辰戦争の折、米沢藩13代藩主上杉茂憲は徳川方に付くことを決定し、奥羽越連藩同盟の中心的な藩として「大かき正宗」を腰に出陣したのだ。封建制とは時間の変化や個人を「家」とその歴史、社会的身分などに拘束することで成立する制度とも言えると思うのだが、そういった縦軸に対して、接着剤としての役割を日本刀が担っていたことがわかる。

“名物 大かき正宗

刀 無銘 正宗 鎌倉時代 14世紀

付 黒漆石目塗打刀拵

刃長63・9センチ 茎長15・7センチ

鎬造(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね)、やや細身で反り浅く、中鋒のびごころ。地紋は小杢目つみ、地景沈み、地沸(じにえ)細かくつく。刃紋は細直刃調に浅くのたれて、小沸つき冴える。帽子は乱れ込む。彫り物は表裏二筋樋を搔き流す。茎は大摺上げ、先剣形、鑢目は勝手下がり、目釘孔二つ。

細直刃であるが、丸い沸と金筋が正宗の作風を示している。”

これは「大かき正宗」のデータなのだが、日本刀の知識がない人が読んでも何の事だかわからないだろう。だが、刀の蒐集家ならこれを読んで大まかな刀の姿が想像できる。

刀剣の鑑賞方法や価値基準は古代から様々あったであろうが、現代では江戸時代に「目利き」を独占した、本阿弥家の確立したものが主流である。本阿弥家は、刀の研磨、手入れ、鑑定を本業とした家で、足利、織田、豊臣、徳川などに仕え、研磨の技術の向上や鑑定などで大きな業績を残している。

専門的な知識や鑑賞方法を覚えなくても、刃紋、沸(にえ)や匂い(沸と匂いとは焼入れのときに出来る、マルテンサイトという鋼の組織。肉眼で結晶が見えるものを沸。結晶が肉眼では見えず霞のように見えるものを匂いと呼ぶ)、地肌(折返し鍛錬による鋼の層)などいくつかの知識を身につけるだけで、博物館などにある刀剣の鑑賞がグッと楽しくなる。また古より伝わる価値観を一部でも知ることにより、歴史を越えて武家の価値観と繋がったような感覚を持つこともできると思う。それが錯覚だとしても連綿と続く文化的価値の一端を継承したことは確かなはずだ。

実は刀剣の世界でも価値観の変化は起きている。武器としての形状や価値観は時代により常に変化しているのだが、美術的な価値も変化を起こすことがある。例えば正宗と吉光だ。現代では正宗の方が有名であり、国宝に指定されている数も多い。物にもよるが金銭的価値も高い。だがある時期までは、粟田口吉光の方が遥かに高く評価されていた。室町時代や鎌倉時代では、京の刀匠粟田口吉光の短刀は武将達の憧れの的だった。腹を斬るなら、吉光の短刀で。というのが当時の武将の思いだったのだ。その常識をひっくり返したのは織田信長だ。彼は嫡男であり、世継ぎに指名した信忠に正宗の短刀を贈り、それ以外の子供には吉光を贈ることで、世間に刀の順位付けの変更を迫った。

これは京の刀匠吉光より、鎌倉の刀匠正宗に重きを置くことで、自身の権力と武家の力が、朝廷をも凌駕しているという事を示す、政治的な演出だったと言われてる。この価値観はすぐに浸透したわけではない。信長の急死などにもよるが、元々は吉光と正宗では格に大きな開きがあったのだ。しかし、信長以降、じわじわと正宗の人気は高まり、江戸時代中期に吉光は正宗の半額ほどの価値になっていたことが『享保名物帳』には記載されている。これによると、本阿弥家の評価で「若狭正宗」金1000枚(1万両)「厚藤四郎(藤四郎とは吉光のこと)」金500枚(5000両)となっているようだ。ひとりの権力者の野望と政治的思惑が刀の価値を大きく変えたというべきか、それとも信長の審美眼が埋もれた名刀を発見したととらえるべきか。私には正直そこまではわからない。だがとても面白い事例だと思う。

その他にも名刀の様々なエピソードが記載されている。「骨喰藤四郎」や「義元左文字」「鬼丸国綱」「ソハヤノツルギ」「日本号」「へし切長谷部」などなど。どれも多くの武将たちに愛され、贈答され、時には分捕られながら、長い歴史と戦争を潜り抜けてきた名刀たち。様々な物語を秘め、手にした侍たちの思いを内包しながら、現代でもその美しさを褪せることなく留めている。鋭さと冷たさ、それとは対極的に刃中に広がる優美な景色は武将の心を捉え、彼らの精神を象徴するほどまでに、その存在感を増していく。だが著者は刀を眺めるだけでは、その真の美しさを鑑賞することは出来ないという。刀はあくまで武器であり、「武」として扱われたとき、すなわち剣術という形のなかで、人と刀が一体化することによってこそ、真の美しさは現れるのだと語る。著者の言う「武美一如」。これこそが日本刀の美と、武将達の思いの本質に触れることができる、唯一の道なのかもしれない。刀は常に命を掛けた男たちの心の拠所であり、彼らの精神が投影された物なのだから。

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本阿弥家のことなども、わかりやすく書かれています。

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