『日記逍遥 昭和を行く』

2011年1月26日 印刷向け表示
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日記逍遥 昭和を行く-木戸幸一から古川ロッパまで (平凡社新書)

作者:山本 一生
出版社:平凡社
発売日:2011-01-15
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現代は老いも若きも日記が大好きである。市井の人間が、ブログなどで、日記をつづり、頼まれもしないのに家族写真まで公開したりする。「誰がそんなもん、読むんだ」という指摘もあるだろうが、私は嫌いじゃない。どこの誰とも知らぬ人の日記を夜な夜な読んでいた時期もある。暇人を自称する私の密かな楽しみだったのだ。

ただ、密かな楽しみは時として奪われた。ひとたび、過剰なねたみやら、倫理上問題があるようなことを、書き手が、日記につづれば「炎上」し、最近は少なくなったが更新が止まることもある。有名人ならなおさらだ。だが、本来、日記など誰かに気をつかうものでも、理路整然と書くものでもないだろう。日常では表出できない感情や、人には胸を張れないこと、弱音、を含め頭によぎったことをただただ書くものこそ日記だろう。それでこそ、日記を通じて、その人の違った一面が見えてくる。意図されていないにしても、読み手としてはそれが日記を読む醍醐味になる。

本書は昭和を生きた6人の著名人の日記を扱っている。政治家の笹川良一、有馬頼寧、木戸幸一、外交官の石射猪太郎、経営者の中原延平、喜劇役者の吉川ロッパ、「ゴルフ好きの健康優良爺」で知られる内田収三の6人だ。著者は、それぞれの日記の切り口をひとつに絞ることで、漫然とした日記から物語を紡ぎ、新たな生々しい人物像を提示しようとしている。各章が無駄に長くなく、飽きずに読める。まとまった量の日記を読むというのは根気がいるし、単調に感じる人もいるだろう。そういう意味では「日記はおもしろそうだけど面倒くさそう」と言う人には、日記読みの入門書ともなる。

本書では日記読みの中では評判の笹川良一の『巣鴨日記』や有馬頼寧の『有馬頼寧日記』も扱っているが、おすすめは、木戸幸一の『木戸幸一日記』を扱った章である。木戸幸一は木戸孝允の孫として知られるも、戦後の極東軍事裁判では、女々しさをいかんなく(?)発揮し、共に生き残った戦犯に戦後、忌み嫌われたことで有名だ。「木戸幸一日記」自体は戦後の極東軍事裁判の重要な証拠ともされ、戦前、戦中の資料としても超一級の価値があるという。だが、著者にかかれば、ゴルフ日誌に一変する。「趣味とは言えない」ほど、記述がある木戸のゴルフの回数が気になり、日記から丹念に拾っていったら、本当にゴルフばかりしていたというわけだ。

著者の調べによれば、木戸は商工省の役人時代の昭和2年に年間109日、ゴルフをしている。翌年には年151日に達する。木戸は伯爵家であったが、木戸自信は当時、セミリタイアしたわけでもなく、30代後半の働き盛りである。木戸の一年は500日くらいあるのではないだろうかと。昭和4年に「急減」とあるが、66日。週1回以上じゃないか。うーん恐るべき木戸幸一。

欧州に博物館調査で出張するときも、「わざわざ欧米に行ったところで知識の浅いわれわれではたいした仕事もできまい。ならばゴルフをたのしもう」と、完全に開き直り、船の中でも待ちきれないのか甲板でデッキゴルフを楽しみ、ゴルフの聖地セントアンドリュースでもプレイしている。何たる豪快さ。後の、極東裁判での弱々しさが嘘のようである。地味な印象が一変するゴルフライフである。

木戸は政治家として「無能」という批判も一部ではあるが、本書を読んでいると、有能やら無能という問題ではない気がしてくる。木戸は単なるぼんぼんのゴルフ狂という姿しか浮かび上がってこないのだから。私なら、戦争責任より、むしろ役人時代の仕事への姿勢を問いたくなるほどだ。余計な話だが、木戸のゴルフの腕前は「悪くないが、手堅くおもしろみがない」と友人の農工商の役人が自らの日記に記しているという。

木戸のほかに、印象的なのは東京帝国大学法学部教授の矢部貞治の日記である。昭和11年7月、岡本太郎を介して、作家の横光利一とパリのカフェで矢部は出会う。初対面にもかかわらず、怒号が飛び交うほど議論は白熱する。詳細は本書に任せるが、矢部が横光を日記で「気狂い」と呼んでいることが、矢部と横光の距離感を物語る。両者の接点はその日を含め、矢部のパリ滞在中の3日だけ。だが、その後、約20年にわたり、断続的にではあるが、矢部は横光のことをぼろくそに書き続ける。誰の目に触れることもなかった日記で。何たる執念というか怨念。人間の気持ちは難しい。

6人の日記から読み取れる彼らの共通項とは、皆、「でーん」と構えていることである。周囲を全くきにせず、マイペースなのである。このブログを読んでいる人で、ビジネス書や自己啓発書を読む人がいるなら、そんなもんを捨てて、本書を手始めに著名人の日記をひもとくことをおすすめする。自分の小ささに気づいて、「でーん」とできるようになるはずである。

著者は近代史研究家で、主に戦中の日記を読み解くのを専門とする。登場人物に対しての知識があれば勿論だが、知識が十分でなくても、時代背景を含めわかりやく説明されており、すらすらとおもしろく読める構成になっている。なお、本書の題名は伊勢物語六十七段の「むかし、をとこ、逍遥しに、思ふどちかいつらねて」からとっているという。

『巣鴨日記』

巣鴨日記

作者:笹川 良一
出版社:中央公論社
発売日:1997-02
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『有馬頼寧日記』

有馬頼寧日記〈1〉巣鴨獄中時代

作者:有馬 頼寧
出版社:山川出版社
発売日:1997-06
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『木戸幸一日記』

木戸幸一日記 上巻

作者:木戸 幸一
出版社:東京大学出版会
発売日:1966-01
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作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
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