『クレイジー・ライク・アメリカ』 - 心の病とグローバリゼーション

2013年7月11日 印刷向け表示
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クレイジー・ライク・アメリカ: 心の病はいかに輸出されたか

作者:イーサン ウォッターズ
出版社:紀伊國屋書店
発売日:2013-07-04
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アメリカにルーツを持つ超国籍企業が世界中を席巻しているということは、改めて強調するような話でもないだろう。Apple、マクドナルド、Google、ハリウッド映画… 時代はまさに勝者総取りといった様相を呈している。しかしグローバル化の波が、製品やサービスのみならず、「心の在りよう」という不可視なフィールドにおいても猛威を振るっているとは思いもよらなかった。

 

アメリカで認識されて社会に広められた精神疾患は、今や世界中へと伝染病のように広がっている。たとえば過去20年間で、特定の地域にしか見られなかった摂食障害がエリアを急速に広げ、PTSDは戦争や自然災害に遭遇した人の苦痛に関する共通語となり、さらにアメリカ型のうつは世界中で増加の一途を辿ってきた。

 

時間や空間の制約から解き放たれて、グローバル化が加速する。その余波は、心の病という領域にも及んでいたのだ。そして一番の問題は、ただ広まったということだけではなく、その土地固有の風土に基づく精神疾患に、取って代わってしまったということにある。

 

ジャーナリストでもある著者は、4つの異なる国で起きた事例を横断することで、文脈を形成していく。特徴的なのは、グローバル化以前の実態を丹念に取材することで、その変化を浮き彫りにしているという点だ。

 

最初に紹介されているのは、アメリカ由来の拒食症が地元特有の拒食症を駆逐してしまったという香港のケース。一般的に、欧米の患者によく見られる拒食症の症状というのは、肥満への恐怖を抱き、痩せているのに太りすぎているという間違った思い込みが見られる傾向にある。

 

しかし香港における患者の症状は、胃の膨満感こそ訴えるものの、自身の痩せた状態を正しく認識しており、食事の分量を気にすることも見られなかったのである。これはまさしく、精神疾患における「昨日までの世界」であった。

 

ここに変化が訪れたのは、拒食症になった若い女性の死をめぐって、センセーショナルに報道されたことがきっかけであった。そもそも心因性の疾患とは、曖昧で言葉に置き換えづらい厄介な感情や心の中の葛藤を取り出し、苦痛のサインと認識されている症状へ変えようという、言わば表現手段の一種と見なされている。心の中の苦しみを認めてもらおう、正当化しようという潜在意識が、目的を達成できる症状へと引き寄せていくのだ。

 

一人の若い女性の死によって欧米流の「拒食症」という概念が広く知られるようになったことは、この表現手段のバリエーションを増やすということに他ならなかった。少数の興味深い症例をもとに、医者が公表して議論を重ね、病的な行動を体系化する。新聞や学術誌などが欧米の専門家による医学的な分析を記事にする。そこへ一般女性が無意識にその行動を表して、助けを求めはじめる。そこには、まさに情報が病気を作り出すという構図が存在したのである。

 

この他にも本書では、アフリカ・ザンジバル島における統合失調症の事例や、スリランカにおけるPTSDの話も紹介されている。ザンジバルでは治療において、憑霊信仰が生物医学的な解釈に次第に道を譲ることとなり、スリランカにおいては、人間の心に及ぼすトラウマの影響について、欧米的な確信に満ちたカウンセラーが後遺症を残した。

 

安易な善意が事を荒立たせ、狂気を測るための手段が凶器になった可能性も否定できないということだ。そして最終章では、「心の風邪」というキャッチコピーとともにメガマーケット化してきた、日本のうつ病のケースなども紹介されている。

 

本書の全体を通して意図されているのは、心の病という医学的なテーマを、文化人類学的な見地から分析しようとする試みだ。ここに本書の白眉がある。そして、その実装の有効性は、文化と精神が不可分な関係にあるということからも示されている。

 

たとえば、統合失調症の患者が体験する妄想や幻覚。これは特定の文化で恐怖とされているものや、魅力があるとされているものを、歪んだ形で反映していることが少なくない。それでなくても多くの地域において、PTSDを誘発しそうな恐怖や暴力の体験というものは、土着の宗教や社会的なネットワーク、伝統的な葬送儀礼などに織り交ぜられていたのだ。つまりこれらの事例からは、単にグローバルVSローカルということだけでなく、科学VS文化人類学という争点をも見出すことができる。

 

複雑な状況に直面したとき、とかく人はシンプルに現象を理解したいと願う。普遍性を見出し、パターン化して分類し、既知の内容と結びつける。それは必ずしも悪い結果をもたらすとは限らないのだが、そこには功と罪の双方が相並ぶ。普遍性から零れ落ちる多様性は、いつの時代にも必ず存在しているのだ。

 

多様な世界を多様なままに受け止めるためには、多様なモノの見方が必要である。本書の背後に隠されたメッセージは、まさに読書の価値そのものを表わしていると思う。

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