DNAこそが知っている『殺人犯はそこにいる』ことを

仲野 徹2014年01月24日 印刷向け表示
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殺人犯はそこにいる: 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件
作者:清水 潔
出版社:新潮社
発売日:2013-12-18
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出版されるやいなや、タイムラインには読み巧者たちによる絶賛の言葉がならんだ。しかし内容は重そうだ。まずはウォーミングアップにと、前作『桶川ストーカー殺人事件-遺言』を読んだ。そこには、桶川事件について抱いていた漠然としたイメージとはまったく違うドキュメントがあった。

そしてこの本。読み出すと文字通り止まらなかった。ここにもおぼろげに知っていると思っていた『足利事件』とはあまりに違うストーリーがあった。報道、それも、バイアスのかかった初期報道によって、いかに『確証バイアス』が作られてしまっているかを痛切に感じた。

内容については内藤順のレビューがあるから繰り返すこともないだろう。ここでは著者の清水潔氏が書くのに難しかったというDNA鑑定を中心に紹介してみたい。そこをうまく理解できないと、この本の核心はつかめない。

最初に断っておきたいのは、現在のDNA鑑定法は、個人の同定においてほぼ完璧である、ということだ。しかし、そのためには、いくつかの前提が必要である。サンプルが十分にあること、検出が正しくおこなわれること、そして、データが適正に解釈されること、という三つの条件が満たされていれば、という前提だ。

まずサンプルについてである。DNA鑑定が可能になったのはPCR(ポリメラーゼ伸長反応)法が開発されたことによる。この方法では、一回の反応でDNA断片を倍々に増幅させることができるので、少量のDNAサンプルがあれば、何十回かの反応を器械で自動的に繰り返すことにより、どんどん増やして解析することが可能である。しかし、それにも限界があることは当然だ。

犯人が残したサンプル、毛であったり体液であったり、が少ししかなかったら、検出できない、あるいは、正しくおこなわれない可能性がどうしても出てしまう。かといって、鑑定にサンプルを使い切ってしまうと再鑑定が不可能になる、というジレンマがある。足利事件では、幸いなことにサンプルが十分に残されていた。だから再鑑定が可能であり、冤罪が確定したのである。

DNA鑑定の方法はどんどん進歩しており、後知恵ではあるが、足利事件の当時は、かなり不十分、さきの三条件でいえば、解釈あるいは判定が不確実であったと言わざるをえない。当時使われたのは『タンデムリピート』の数を検出するMCT118とよばれるもので、DNA鑑定ではなくDNA『型』判定というレベルである。

ヒトのゲノム、遺伝子DNAにおけるACGTという塩基の並び方、は、基本的には同一であるが、当然、個々で多少の違いがある。その違いを多型とよび、いろいろな種類が知られている。そのうちの一つが、VNTRvariable number of tandem repeatとよばれる、数塩基から十数塩基の長さのDNAがタンデムに繰り返されるものだ。

MCT118というのも、そのうちの一つであり、GAAGACCACCGGAAAG」という16個の塩基配列が、違った回数だけ繰り返されている。実際には、14回から42回までの繰り返しが知られているので、植木算で(42-14)+1=29通りの型に分類することができる。我々は、父親と母親のそれぞれから、一本ずつの染色体をうけついでいるから、各人で二種類、たとえば、16-26型といえば、16回繰り返しと26回繰り返しの遺伝子を持っている、ということになる。

繰り返しの回数が違えば、それに応じてPCRによって増幅されるDNA断片の長さが違ってくる。その長さで『型』を判定するのである。実験としては、ゲルで電気泳動をおこなう。そうすると、DNA断片の長さによって、流れる距離-一般的には『バンドの高さ』と言ったりする-が違ってくる。そのバンドの高さと『定規』として使うマーカーの高さを比較して、何回繰り返されているかを判定する。

16センチきざみで段がついている『はしご』にたとえてみるとわかりやすいだろう。MCT118での遺伝子型というのは、そのはしごの『14段目から42段目のどの高さにあたるか』になぞらえることができる。それぞれの段の高さをもって『型』とするのである。足利事件のころ、その高さを知るために使われていたマーカーは、123センチの棒であった。16センチきざみを123センチ単位で測るという乱暴な型判定が必ずしも正確でないことは当然だ。その上、いくつかの理由で、16センチや123センチというのが多少ずれたりすることもある。

正しく判定するには、123センチの棒にあたる123塩基マーカーではなく、アレリックラダーマーカーという違う種類のマーカーを使えばよい。アレリックラダーマーカーを用いるということは、16センチ刻みのはしごを実際に持ってきて、ある高さが何段目にあたるかを調べることに匹敵するので、型判定を間違えることはないのである。しかし、再鑑定では何故かMCT118を忌み嫌うかのように、別の鑑定法が採用されることによって冤罪が確定した。

もし、不十分なマーカーを用いたあいまいなDNA型鑑定だけが物的証拠として採用され、死刑が確定し、さらに執行されているようなケースがあれば、身の毛もよだつような話である。そのことを示唆するのが、第十章で紹介されている『飯塚事件』だ。ここを読んだとき、文字通り戦慄がはしった。

飯塚事件では、犯行現場にあったサンプルがすでに使い果たされてしまっている。いうならば、証拠の『情報』は残っているが『現物』は存在しないということなのである。その上、その『情報』、すなわち、飯塚事件においておこなわれたMCT118型の鑑定には、作為的な『操作』があったというから問題だ。なぜか、鑑定写真の都合のいいところだけが切り取られて証拠として提出されていたのである。

本に載っている元の写真を見ると、型判定に使われたとされるバンドとは違う高さのところにもバンドが見えている。これが何を意味するのかはわからない。実験では、えてして訳のわからない結果が出ることがあるものだ。DNAの増幅でおかしなことが生じたのかもしれないし、違う人の『なにか』が混入したのかもしれない。あるいは、まったく別のわけのわからない理由かもしれない。いずれにせよ、都合の悪いデータを隠しては、正しい解釈などできない。これは捏造の一種であり、研究ではやってはならないことの一つである。

MCT118によるDNA型判定が決定的な証拠になって有罪とされた判例が8つあるという。清水氏は、さかのぼってMCT118型の証拠能力が問題にされることを警察・検察は極度に恐れており、それだけはなんとしても避けようとしているのではないかと考えている。実際、足利事件の再鑑定においてMCT118が用いられなかったのは不自然である。さて真実は…。

そして『ルパン』。冤罪を証明する過程と並ぶこの本のメインストーリーは、足利事件を含む『北関東連続幼女誘拐殺人事件』の犯人、5人もの幼女の連続殺害事件の犯人として『ルパン』なる人物を突き止めているところだ。

最新のDNA鑑定法を組み合わせると、鑑定結果は10兆通り以上にもなる。地球には70億足らずの人間しか住んでいない。ということは、正しく用いれば、理論上、個人の確定はほぼ100%可能なのである。足利事件で残されたサンプルと『ルパン』のサンプル、DNA鑑定の結果は一致するのであろうか。そして、はたして、警察がそこまで踏み込むことはあるのだろうか。

技術が人をうらぎることはない。しかし、人が技術の使い方を誤ることはある。もちろんDNA鑑定も例外ではない。足利事件では、DNA鑑定の使い方を誤ったことで冤罪を生んだが、後に正しく使ったことにより冤罪が証明されたのだ。冤罪に陥れてしまった人に対してほんとうに詫びるため、今度は同じ方法論を使って真犯人を確定するのが筋ではないか。そしてそれは可能なのである。警察の冷凍庫に保存されているサンプルのDNAは殺人犯を知っているはずなのだから。

DNA鑑定は万能か―その可能性と限界に迫る(DOJIN選書31)
作者:赤根 敦
出版社:化学同人
発売日:2010-04-10
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 DNA鑑定の歴史や原理がわかりやすく解説されています。

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