『外務省に告ぐ』文庫解説 by 原田マハ

新潮文庫2014年04月11日 印刷向け表示
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外務省に告ぐ (新潮文庫)
作者:佐藤 優
出版社:新潮社
発売日:2014-03-28
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初めに言っておく。超ド級のトップ・インテリジェンスにして「月産原稿量千枚超」を誇る怪物のごとき作家・佐藤優の知性と筆力には、どんなにがんばったところで私は到底かなわない。ゆえに、この解説では少々ふざけたことを書く。けれど、ここまでフルスピードでページをめくってきた読者に読み飛ばされないように、細心の注意は払いたい。

本書の解説にまったくの畑違いである私を指名してきたのは佐藤優自身ということだった。そうと知って私は、「日本を代表するインテリの著作の解説なんて、とても務まらない」と、正直戸惑った。が、おそらく佐藤優は最初から私に高水準の知的かつ博学な解説を望んではいまい。むしろ「やっちゃってください」というくらいの感じかもしれない。いや、きっとそうだろう。そうでありますように。

それにしても、とてつもない本だ。一読して、本書は快楽に満ちていると感じた。「告発」という名の快楽である。強烈な放出である。潔い露出である。そしておそらく、ほぼすべてが事実なのだろう。だからこそ本書はこれほどまでに読者を引きつけるのだ、というのが一読しての感想である。もし、ここに書かれていることのすべてがほんとうに偽らざる真実であるとしたら、本書はむしろ「ホラー」と呼んだほうがいいかもしれない。こんなことが外務省で実際起こってるって、それじゃもう、これ全部「怪奇現象」じゃないか。

もとより、佐藤優の体験してきたことは、尋常ならざることばかりだ。ノンキャリアの外交官になった時点でもうすごいのだが、ロシア語、英語を初めチェコ語や琉球語まで操る語学力、対ロシア外交における丁々発止の交渉、あのムネオとの切っても切れない絆、東京拘置所における512日間の勾留、最高裁での有罪確定、外務省失職、そして月産原稿量千枚超を誇る作家への転身——何がすごいって、すごくないことがひとつもないことだ。同業者的には、やはり月産千枚のところが最も響くのだが。

独特のビートを保ったスピード感あふれる文体に身を任せて読むと、さながら2人乗りボブスレーに乗っているような疾走感。前が私で、後ろが佐藤優。3、2、1、スタート! で滑り出したら、もう止まらない。ゴールにたどり着く頃には、すっかり気分は佐藤優。インテリでもなんでもない自分だが、何か佐藤優との一体感を感じて、フィニッシュしてしまった。こんな読書体験は、小説ではなかなか得られない。

で、せっかく佐藤優的気分になったところで、ううむ、そういえばかつて、こんなことに近いといってもそうでもないかもしれないが遠くもないことが、私にもあったな。——と、思い出したことがある。それは、政界が抱え込む深い闇や外務省が死んでも隠蔽したい恥部など、本書においてあぶり出されている数々の驚愕すべき事実にくらべれば、はなはだ小さな塵のごとき話ではあるが、佐藤優の男気あふれる「告発」に誘導されるかたちで、ここに開陳しておく。

私は、かつて都内有数の都市開発企業「M」に勤務していた(ここで実名を伏せてしまうあたりが、佐藤優には到底かなわないところだ)。その頃、オーナー社長・Mさんの肝入りで、パリやニューヨークに負けない「文化都心」を東京に創出するというプロジェクトが進行中だった。私は、文化都心の中心となるであろう美術館計画を策定するために「M」に転職を果たしたのだった。

この構想が立ち上がったとき、私は商社「I」に勤務しており、文化コンサルタントとして、M社長に「こんな美術館を作ってはいかがですか」と進言する立場だった。私のアイデアは社長に気に入られ、発足されたばかりの美術館準備室へと移籍することとなる。その後、紆余曲折ののちに、M美術館はニューヨーク近代美術館(MoMA)と提携関係を結ぶことに成功した。私は、さしたる英語力もなかったのだが、マンハッタン(ワシントン……ではない)との交渉窓口に抜擢された。度胸と運に味方されたのだと、いまでも思っている。

マンハッタン側との交渉で渡米した際に、いつも不思議に思うことがあった。会えば必ず「どこに泊まっているの?」と聞かれるのだ。ロンドンやパリの美術館とやりとりする際には聞かれたことがない。MoMAや、ほかのアメリカの美術館に限っての質問だと気がついた。つまり彼らWASPの文化エリートは、泊まっているホテルのランクで、こちらのポジションを推し量っていたわけだ。

これに気づいた私は、その頃火が着いたようにマンハッタンで広まり始めたデザイナーズホテルに泊まるように心がけた。超高級ではないが、スノッブで小洒落ている。「フォーシーズンズ」はあえて避けた。社長夫妻がたまにマンハッタン訪問するときのために、最上級のホテルはとっておかねばならない。この作戦(?)が功を奏したのかどうかわからないが、MoMAの私に対する扱いは「アジア人十把ひとからげ」的なものではなかった。「ホテルはいつもホリデーインです」と脳天気に答えていたら、どんな扱いをされていたことだろう。

ところがあるとき人事部が私に文句を言ってきた。社員の宿泊代は1泊8000円が上限なのに、お前の泊まるホテルはいつも1泊300ドル以上すると。私は堂々と言い返した。1泊80ドルかそこらの宿は、マンハッタンではドミトリーと呼ばれる。ドミトリーなんぞに泊まってMoMAと交渉すれば、鼻で嗤われるのがオチだと。人事部は私の言っていることをまったく理解しなかった。結局、私は「M」を退職する日まで、アートだ文化だとたてついて必要以上に経費を使いまくるとんでもない社員だと、上からマークされ続けることになった。

——とまあ、たいした話ではないが、白状するうちに、気分がすっかり上がってきた。なるほど、いっそ告白、告発とは、こんな甘美さを伴うものであったか。

本書には、外交交渉のカードのちらつかせ方、切り方、回収の仕方など、一般人は知り得ない微細なエピソードも多々盛り込まれている。さらには、外務省における不倫、セクハラ、いじめ、自殺等、どこの会社で起こったことですか?(実際、外務省内部の人間は、外務省のことを『わが社』と呼ぶ、とも)と疑いたくなるような赤裸々な暴露話には、半分は呆れ、半分は官僚もやはり人の子なのだと奇妙に安堵感を覚えるようでもある。しかしながら、松尾克俊氏の内閣官房報償費の横領事件について、さらりと述べられていたくだりが怖い。「原資は国民の税金なんですね。……(それを)愛人のマンションや競走馬に注ぎ込んでいた」……ってちょっと待てよ、おい! とツッコミを入れたくなる。ほんとに大丈夫なのか外務省。いや、全然大丈夫じゃないでしょう。

それにしても、佐藤優の男気。実に、いい。最も感じ入ったのは、次の一文。


すべて上司の了解を得て行っていた業務が、罪に問われ、外務省という組織も自分を守ってくれない。これは自分にとってきわめて理不尽な状況だ。しかし、この理不尽な逮捕によって、外務省のシステムが改革され、後輩たちが自分のような境遇に陥らなくなるのなら、あと1つ2つ犯罪を背負ってもかまわない。獄中で、私はこんな風に考えていました。


グラリときた。いいじゃないか、佐藤優。ラスプーチンと呼ばれた男。歯に衣着せぬ男。告発の快楽を追求する男。仕事の合間に愛猫とたわむれる男。そして月産原稿量千枚超の男。こんな男、ちょっといない。

(平成26年2月、小説家)
 

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