『サードマン 奇跡の生還へ導く人』解説 by 角幡唯介

新潮文庫2014年04月12日 印刷向け表示
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サードマン: 奇跡の生還へ導く人 (新潮文庫)
作者:ジョン ガイガー
出版社:新潮社
発売日:2014-03-28
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私もサードマンを見たかった

いい本を読んで感銘を受けた時はつよい読後感でしばらく呆然となったり、新しい世界観を獲得して人間としてひと皮むけたような気になったりするものだが、私はこの本を読んでもそういう前向きな気持ちにはならなかった。

もちろんいい本だとは思った。それに面白さという点でも群を抜いており、一気に読み終えたことも事実だ。この本は冒険を扱ったものではあるが、ほかの冒険本とはちがってサードマン現象というあまり知られていない新しい視点で貫かれており、内容が斬新で、したがって類書もなく、要するに驚きに満ちた作品であることはまちがいなかった。オカルトととらえられてもおかしくない現象を扱っているが、著者のジョン・ガイガーはそれをあくまで科学的かつ実証的に分析し、説得力のある見解を導きだしている。とくにキリスト教の守護天使と絡めた分析などは、謎めいた宗教的な聖蹟に新しい光をなげかけたとさえいえるわけで、その意味では大変な労作だともいえる。

ところがこの本は私に、そうした客観的な評価よりも別の感情を抱かせた。それは一読者というより一行動者としての私をゆさぶるものだった。内面の敏感な部分に直に触れられた時に感じるような、あの嫉妬や悔しさにちかい、ざわつくような心の揺れだ。そのせいで今あげたような本にたいする客観的な評価は、私の中でちいさなものになってしまったのだ。

なぜそのような気持ちになったか、それは私がサードマンを見たことがなかったからである。読みながら私はこう自問をしていた。なぜ私はサードマンを見ることができなかったのだろう。あの時、自分にだって見る権利はあったはずなのに……。

本書を読むまで、私にサードマンの体系的な知識があったわけではない。本書では南極のシャクルトンやアンデスのジョー・シンプソンのケースなどがこの不可思議な出来事の代表的な事例として紹介されているが、彼らの著書は私も学生時代に読んで大きな衝撃をうけていたので、瀕死の状態におちいった冒険者がそういう体験をするということは、頭の普段つかっていない部分の片隅に知識として残っていたと思う。しかしそれからその記憶がよみがえったことがあったわけではなく、私は本書を読んではじめて具体的にどういう条件下でサードマンが現れるのかを知って、自分がそれを見ていないことを残念に思ったのだった。

というのも、別に不遜だというわけではなく、客観的にかんがえて私にもサードマンを見ていておかしくない局面があったからだ。

たとえばチベットにあるヒマラヤ山脈の峡谷地帯を単独で探検したときなどは、自分でいうのはなんだが、わりといい線をいっていたと思う。この時の探検行は山中の奥深くのある村を出発してから延々といくつもの険しい尾根をこえ、深い雪をラッセルし、濃密な灌木のジャングルをかきわけて、24日後にようやく峡谷地帯を突破するというハードなものだった。登山や探検にあまり縁のない人はピンとこないかもしれないが、ザックの中に旅の全部の食料をつめこみ、ベースキャンプに戻るでもなく、村に立ち寄るでもなく、とにかく24日間も山中で行動しつづけるというのは、こうした登山系の活動としては異例の長さだといえる。ヒマラヤ登山などの場合はベースキャンプを設けるので、1回の行動期間はせいぜい数日から1週間程度のものだし、冬山や沢登りでも10日間から2週間も山に入れば相当長いほうだ。要するに背中に荷物を背負わなければならない山というフィールドにおいては、連続して行動できるのはそれぐらいが限度なのである。

しかし、このときの私はとにかく24日間動きつづけた。当然軽量化のため用意した食料はぎりぎりだったので、最後のほうは体がすっかり衰弱し、手で足をささえなければ倒木をまたぐこともできなかったし、腹に米をつめこんで30分も歩いたらエネルギー切れで動けなくなるというような状態になった。足の指先は凍傷でじんじんと焼けつくように痛み、水流の凍りついた凍てつく谷のなかで焚き火をおこすこともできずゴロンと横になってビバークした夜もあった。本当に生きて帰れるのか、いやそれどころか、自分の目指している方角に村があるのかさえ確信がもてず、近いうちに野垂れ死にする姿がかなり現実的な未来図として想像できる程度に、その時の私はおいつめられていたのだった。しかしそれでもサードマンを見ることはなかった。

たしかにこの体験は、南極の凍える海を脱け出してサウスジョージア島を横断したシャクルトンの生還劇や、弟のギュンターが途中で行方不明になった、あのラインホルト・メスナーのナンガパルバットにおけるディアミール壁下降などといった、世界の冒険史上でも突出したサバイバルに比べると、いささか迫力不足だったことは否めない。しかし控えめにみても、医学部の試験の最中に根をつめて勉強しすぎたせいでシャワーを浴びている時に現れたという、ヴィンセント・ラムが「まえがき」のなかで紹介したケースよりは資格があるように思うのだが……(いったいこの人はどれほど勉強したというのだろう)。

また本書にはシャクルトン以外にも極地探検の例がいくつか紹介されている。それはたとえば1985年に南極点をめざしたロバート・スワンや、2000年に南極大陸横断に出発した後のアン・バンクロフトなどのケースであるが、しかしこの程度の状況なら私だって北極圏で体験したことがある。

2011年に私は友人の北極冒険家である荻田泰永をさそって1600キロ、103日間にもおよぶ壮大な北極圏徒歩旅行をおこなったことがあった。氷点下40度にもなる極寒の中、時にはテトラポッドのように積み重なった乱氷帯をこえ、時には就寝中に北極熊の来訪をうけ、その後も雪と氷しかない別の惑星のような環境の中で究極の空腹に悩まされながらひたすら橇をひき、麝香牛の群れが現れてはそれを撃ち殺して肉を食い、生肉を食べすぎたせいで腹をこわして高熱を出すといった間抜けな失態もまじえつつ、最後は雪の解けたツンドラの湿地帯をザックをかついで行進するという、これまた肉体的には過酷な旅だった。しかしこの時もサードマンは結局私の前にはあらわれなかった。

著者のジョン・ガイガーによると、サードマンが現れるにはいくつか条件があり、単調で退屈な時間がながくつづくことが、その条件のひとつであるらしい。その点、雪と氷しかない環境で延々と橇をひく極地旅行などは、風景的にも行動的にも単調な時間がつづき外界からの感覚が遮断されるため、サードマンが現れやすい活動のひとつであるという。

その点は私にも非常に納得のできる話だ。たしかに晴れた日に橇引きを続けていると、体は動いているのだが、それがあまりに単調であるため、いつの間にか途中でその状態に慣れきってしまって頭の中では全然関係のないことを妄想するという状態になることが珍しくない(何を妄想しているかをここで書くのは適切ではないだろう)。その結果、目の前に流れている景色まで意識から遮断されてしまい、気がつくと氷の壁があらわれて行き止まりになっていた、などということまで起きる。要するに、それぐらい極地では外からの刺激に鈍感になる。

だがそういう日々を100日以上過ごしても、しつこいようだが私の前にはサードマンは現れなかった。だからこの本を読みながら私は首をひねらざるをえなかったわけだ。感覚的に無入力になるという点に関していえば、十分だったといえる。だとしたら自分にはあと何が足りなかったのだろう……。

私がここまでぐだぐだと過去の体験について書いたのは、自分も有名なサバイバル劇にくらべて遜色のない活動をしてきたのだということを主張したいためではない。そうではなく私が書きたかったのは、サードマンを見たことのない冒険者におそらく共通した、次のような複雑な心境についてである。

率直にいって私はこの本を読んだ時、もしかしたら自分はあの時やりきっていなかったのではないか、と思ったのだ。サードマンが現れなかったのはそのせいではないか。具体的にどうやりきってなかったのかは分からない。チベットでも北極圏でも私は必死だったし、今振り返っても最善をつくしたと言いきることができる。しかしそれでもどこかであと一歩踏み出すことができていたのではないか、そしてその一歩を踏み出していれば、目の前には見たことのない、さらにちがった風景が広がっていたのではないか、その時サードマンは現れていたのではないか。そういう思いを拭いさることができなかったのだ。たとえそのことによって死がさらに近づいていたとしても、それができていた可能性を思うとき、私は今でも釈然としない気持ちになる。

たぶん私だけではなく探検家とか冒険家とか登山家とかいわれる人たちは皆、このような危うい精神を持て余しているのだと思う。それはある種の強迫観念からなる業のようなものであり、もう少し先に、もう少し先にという終わりのない危険な輪廻でもある。静かにゆらめいて決して消えないこの焔に決着をつけることができないまま次の冒険に出たとき、その冒険家はまた一歩死にちかづくことになる。

本書で紹介された探検家や冒険家はそうやって踏み出し、断崖ぎりぎりまで行って、慈悲深きサードマンの思し召しにより戻ってくることのできた稀有な例である。ただ、忘れてならないのは戻ってくることができた人がいる一方で、断崖から落ちて戻ってこなかった数多くの冒険者もいて、おそらくそちらのほうが大多数なのだということだ。そして同時にそんなことは皆わかっているけれども、それでも冒険に出てしまうという厳然たる事実である。

この原稿を私はグリーンランドに行く途中のコペンハーゲンのつつましやかな宿で書いている。いつかグリーンランドからカナダ・エルズミア島にかけての広大な極北地域で、太陽の昇らない極夜の季節にスケールの大きな長い旅をしてみたい。それが、今の私の最大の目標だ。今回はそのための準備でやってきた。この将来目標にしている極夜の長い旅では、前回の北極圏の旅では見られなかったさらに奥深い位相に入りこんでみたいと考えており、それが次の旅の私の中での位置づけになっている。もちろんそれがさきほど言った、もう少し先に行きたいという強迫観念の発露であることも自分ではわかっているつもりだ。

当然ぎりぎりのところでは帰ってくる。最終的な危険など冒すつもりはないのだ。でも、うーん……、やっぱりサードマンは見てみたい。

それは矛盾しているが、でも否定のしようがない、冒険者特有の屈折した感情なのかもしれない。

(2014年1月、作家・探検家)
   

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