人との摩擦をさけて作り笑いをするあなたへ。「千年万年りんごの子」

岐部 淳一郎2014年07月04日 印刷向け表示
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千年万年りんごの子(1) (KCx ITAN)
作者:田中 相
出版社:講談社
発売日:2012-07-06
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その村で生きるとは、りんごの木に育てられるということ 

自分が死んだ時の事を夫に話すとき、妻はどんな気持ちなのだろう?

りんごの木の下。妻・朝日は、死んだ飼い猫の前にかがみこみ、夫・雪之丞を横目で見て「私が先死んだらお願いよ」と言った。
青森のりんごの村の一農家に生まれた朝日。彼女の家族はもとより、祖父母も、そのまた親もりんごの木に生かされてきた。
その村で育ったということは、りんごの木に育てられてきたということ。だから、自分の身体もまたりんごの木の一部とすら思っていたのかもしれない。猫がりんごの木の下で朽ち果てていたように、自分も土に埋めて、と朝日は雪之丞に言う。そうして、巡り巡って、この村のりんごになるのだから。

それは狭い村社会につかれた顔ではなく、自分はその土地の循環の中にあり、そして、その果ての自分を受け入れている人の……横顔だ。死を語る彼女は、自分の日々の生活がいつかはなくなってしまう事実をリアルに感じているのだろう
僕らは自らの死を思うその一言に彼女の生きてきた姿を思い、その視線の先に悲しみを見る気がする。

『千年万年りんごの子』(講談社)田中相 1巻32ページより

不機嫌で、ぶしつけ。……でも、まっすぐな姿に心ひかれる 

 舞台は、1970年の青森(……おそらく)。東京から青森まで約750km。急行列車で12時間以上、鈍行なら23時間以上かけていた時代。
今の僕らはりんご農家…と聞けばほとんどの人が青森を浮かべるし、青森の特産を聞かれればほとんどの人がりんごと答える。
りんご農家は裕福……という印象すらある。でも、この頃のりんご栽培の歴史をなぞれば、長く続く生産者の苦悩を知る。
台風や雹の自然災害や虫による大不作。大豊作かと思えば、バナナの輸入自由化やみかんの大豊作にあおられ、出荷できないほどに市場価格が大暴落。この物語の2年前には、当時多く生産されていた「国光(こっこう)」「紅玉小玉」という品種のりんごが山や川に1万トン以上大量放棄された。これは実際に1968年に起きた事実だ。僕たちが今スーパーでよく見かける「ふじ」という品種も、こういった苦難を乗り越えるために品種更新されてきた…という背景があるのだ。

主人公・雪之丞のお見合い相手として現れた朝日は、お見合いの場に似つかわしくない片方だけ内巻きにハネた前髪で、終始不機嫌そうな顔。年齢28歳の未婚という当時の田舎育ちの娘としては珍しい。
一方、雪之丞は、育て親の元で大学を卒業。線の細い優等生だが、世の中を見る視線はなんとも斜に構えていて、自分の本心をどこまでも見せようとしない。出自の不幸も語り慣れした形でにこにこと語る
初対面の雪之丞に朝日は、不機嫌そうに…でも、耳を真っ赤にして「入婿さ来てください」と言った。雪之丞は、不躾だがまっすぐな朝日を見て、自分になんともお似合いじゃないかと、半ば投げやりのようにも見える形で彼女の申し出を受け入れ、青森のりんご農家に東京から移り住む



『千年万年りんごの子』(講談社)田中相 1巻13ページより

当時で28歳まで独身だったといえばだいぶ晩婚だと言える。田舎に住みながら結婚できないくらい器量の悪い女子なのかと思えば、そんなことはない。読み進めると思いやりのある一面や、やさしく笑いかける場面も出てくる。彼女を好きでいてくれた幼なじみの男性(既婚)もいる。だからここでひとつの疑問がわく。彼女はどうして結婚をしてこなかったのか?
物語では深く語られないが、朝日の婿探しには理由がある。先に出たりんごの「国光」の品種更新のために人手が必要であり、入婿が必要だったからだ。これまでなぜか結婚してこなかった朝日は、この時になって結婚する意志を持ち、そして、雪之丞がある種投げやりににも見える形でそれに応えた
こうやって丹念に描かれた社会背景や世情、ぼんやりと投げかけられた謎、人の心の機微を読み進める中で、これから展開する「奇譚」の舞台装置に、僕らは気づかないうちに引き込まれている。

僕らの出会いは誰の意志による? 

僕らの人生は誰のものか? 誰かの意志によるものか?
二人の生き方の根底には、その問があるように思える。自分たちが出会ったこともひょっとして誰かの意志によるものなのか?

雪之丞は、朝日の幼なじみの男性に詰められた時「嘘笑いなんてだれでもするんです」と答える。
そう嘘笑いなんて誰でもする。でも、たまに自分のその隠した感情を見ぬいていたかのように、固く張り付いた表情を解きほぐしてくれる人と出会える時がある。雪之丞にとっては、お見合い結婚でたまたま出会った朝日がそうだった。

事件が起きるのは、雪之丞が少しずつ生活に慣れ、朝日に対する感情が少しずつ解きほぐされてきた時。雪之丞は、道に迷って見つけた大木のりんごを、風邪で伏せている妻・朝日に滋養にと食べさせる。しかし、れは決して取ってはいけない土地神「おぼなす」様のりんごであり、そして、そのことを知った朝日の家族は顔色を変えた

 

『千年万年りんごの子』(講談社)田中相 1巻54ページより


「よそ者」の雪之丞は自分が何をしてしまったのかわからない。「失敗したくない」という思いを抱きつつも、自分の過失を探っていく中で、自身が土着の村に根付いた因習の渦中にあることを知る。そして、自分が朝日の夫になった意味を問いかけ、それに抗おうとする。

この物語の二人のやりとりは、不治の病にかかりそれを受け入れる妻と受け入れられず二人の意味を問う夫のそれを思わせる。嘘の笑いで周りとの摩擦を避けてきた雪之丞は、もう自分の感情が嘘笑いではごまかせないことに気がついている。

作者・田中相が用意したこの舞台は、たんたんと……そして、丹念に描かれている。主人公たちの細やかな感情、日常の生活が積み重なることで、その世界にゆるやかに巻き込まれ、最終的には当事者であるかのような感覚になる。そして、そのリアリティは、その物語から抜けだした後も、自分のむき出しにされた感情に浸らせてくれるような読後感をくれ、それは病気になった時自分が呼吸していることを意識するのと少し似ているかもしれない。嘘笑いで感情がマヒしている時におすすめしたい。

付け加えておくと、本作は2012年の文化庁メディア芸術祭のマンガ部門・新人賞受賞作でもある。3巻完結。

千年万年りんごの子(2) (KCx ITAN)
作者:田中 相
出版社:講談社
発売日:2013-05-07
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千年万年りんごの子(3)<完> (KCx ITAN)
作者:田中 相
出版社:講談社
発売日:2014-03-07
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▼関連図書…というわけではありませんが、りんごの本。
自然栽培の木村さんのりんごは腐る…のではなく枯れる…そうです。自然と戦ってきたりんご栽培の話とは逆に…という感じです。

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