生まれ変われ、そして人生を掴め。『脳科学は人格を変えられるのか?』

2014年8月18日 印刷向け表示
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脳科学は人格を変えられるか?

作者:エレーヌ フォックス
出版社:文藝春秋
発売日:2014-07-25
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あなたは楽観的な性格だろうか?それとも悲観的な性格だろうか?自覚してはいるのだが、私はかなり悲観的性格である。本書に掲載されている「改訂版楽観性尺度-LOT-R」でも、その数値は悲観的性格を表す9点という結果であった。平均的な人たちは15点前後で、緩やかな楽観主義に分類されるらしい。最大点は24点で最小は0点だ。点数が高いほど楽観的で低いほど悲観的な性格であるらしい。

本書によると、人の楽観や悲観といった性格が、人生に対する幸福感や社交性、問題に対処する場合の粘り強さと社会的成功、また寿命にまで大きな影響を与えているというから、何とも心を冷え込ませる結果だ。

だが、私と同じく悲観的性格を自任する人々に朗報だ。本書には最新の脳科学によって悲観的性格を理解し克服していくヒントが記されている。また、楽観的性格の人も油断してはいけない。人の脳はいとも簡単に楽観的な性格を悲観的性格へと変容させるのだ。

「注意プローブ課題」というテストがある。コンピューターの画面に楽しげな写真と嫌な感じの写真をペアにして左右に写し出す。写真が画面に現れるのは0.5秒ほどだ。その後、写真が消えた場所のどちらかに小さな三角形が現れる。被験者は三角形が現れたら、できるだけ早くボタンを押す。強く惹かれる画像が写し出された方に三角形が現れた場合、人はより素早くボタンを押す事ができるという。

LOT-Rで楽観度が高かった人は、楽しげな写真の方に三角形が現れるとボタンを押すスピードが速くなり、悲観度が高かった人物は不安を誘うような写真に三角形が現れると素早く反応したという。同じ物事を体験しても、この「認知バイアス」によって楽観的な人はポジティブな情報に、悲観的な人はネガティブな情報に意識を振り向けているのだ。

楽観、悲観という感情は人間のもっとも原始的な部分と関係があるらしい。楽観的性格の人は原始的な脳の部分で側坐核という箇所が活発に活動していることが最近の研究で明らかになった。側坐核は快楽や報酬などに強く関わる脳の部分である。悲観的性格の人は恐怖に深く関わる扁桃体が活発に活動している。これらの脳の部位は人間が自然の中で生きる事にとても重要な役目を果たす。側坐核は快楽や欲望への希求を生みだし、扁桃体は自然に潜む危険を素早くキャッチする。

楽観的な人々は快楽という刺激と欲求に過剰に反応し側坐核が活発に活動する。その結果、ニューロンとニューロンがシナプスを通して結びつき、快楽に強く反応する神経網が形成、強化される。ただこれだけでは原始的な欲望でブレーキの備わっていない車と同じだ。これらは前頭前野という司令搭と強い結びつきを持つことで理性的な楽観主義が生まれる。

神経伝達網は盛んに活動するほどその結びつきは強くなる。つまり認知バイアスによってどのような情報を積極的に取り入れるかで私たちの脳細胞ネットワークは側坐核を中心視したネットワークが強化されるか、扁桃体を中心にしたネガティブなネットワークが強化されるかが決まる。

ここで問題なのは、人間が生存競争を生き残る上で恐怖というものが非常に重要な意味を持っていたことだ。このため扁桃体から前頭前野に向かう経路は前頭前野から扁桃体に向かう経路よりずっと数が多いのだという。もともと発達しているネガティブな回路が認知バイアスにより、余計に発達し、理性を司る前頭前野の活動が阻害されてしまうのだ。故に、人は恐怖という感情が生み出す魔物にいとも簡単に飲み込まれてしまう。

上記の「注意プローブ課題」でも意図的に三角形をネガティブな写真の方にのみ出現するよう小細工をすると、LOT-Rで楽観度が高かった人でも瞬く間にネガティブな方向に認知バイアスが振れるという。ただし、これも脳の可逆性のひとつで訓練を積めば逆にネガティブなバイアスと脳の回路をポジティブの物に変える事も不可能ではないようだ。

すると一つの疑問が生じる。このバイアスの最初の一歩は、遺伝により生まれるのか、それとも環境により生まれるのか。著者は人の楽観、悲観に影響を与える遺伝子を探し求め、セロトニン運搬遺伝子に着目する。セロトニンは脳内で様々な働きをするが、中でも重要な働きが気分の安定に関する働きだ。

セロトニン運搬遺伝子は脳内のセロトニンを適正に保つ働きを担う。気分の浮き沈みに非常に大きく関わる遺伝子である。この遺伝子は脳細胞とその周辺から余剰なセロトニンを運搬し再吸収する役目を果たしている。そしてこの遺伝子には3つの型が存在する。LL型はこの働きが活発でSS型は鈍い。SL型は両者の中間だ。

実際にLOT-Rで楽観度が高かった人はLL型の持ち主が多く、悲観度が高い人はSS型の人が多かった。しかし話はここで終わらない。なんとLOT-Rで最も楽観度が高い人々の多くがSS型の保有者だったのだ。著者はこの結果に首をひねる。

SS型はストレスに弱く傷つきやすい性格を生む惰弱な遺伝子とだけ思われていたが、実は非常に環境に影響されやすい性質を生む遺伝子でもあったのだ。この遺伝子を保有する人々がポジティブな経験を多く積むと、LL型を持つ人よりもポジティブな感情を持つことができるのだ。ちなみに本書では言及されていないが、日本人は欧米人比べS型の遺伝子保有率が5割も多いのだそうだ。

本書はここから一気に佳境へと入っていく。それは遺伝子の問題で、いま一番熱い話題であるエピジェネティクスだ。この部分をよりエキサイティングに読むには、HONZのレビュアーにして大阪大学大学院・生命機能研究科及び医学系研究科教授の仲野徹著『エピジェネティクス』を併読することをお勧めする。

遺伝子は確かに我々を規定する。だが、それは必ずしも絶対的な力ではない。私たちは、自らが身を置く環境や科学に依拠した行動と訓練でその弱点を克服することが可能なのだ。

楽観とは自己啓発本のような安易なポジティブ思考礼讃によって生まれる物ではない。真の楽観とは、置かれた環境や行動の訓練により生み出された脳の神経回路とそこから生まれる、どんな苦難にあっても状況を自分の力でコントロールすることができるという、意志と信念によって支えられた、明日への希望なのだ。

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エピジェネティクス――新しい生命像をえがく (岩波新書)

作者:仲野 徹
出版社:岩波書店
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遺伝子の帝国 - DNAが人の未来を左右する日

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