8月のこれから売る本-ジュンク堂書店大阪本店 持田碧

持田 碧2014年08月24日 印刷向け表示
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本屋で棚の前を行ったり来たりしていると、「ふとした時に何度も目が合う」本が出現します。そういう本は、控えめでありながら強い存在感を放ち、何度も手に取って眺めてしまう。結局棚に戻す。また前を通りかかった時にやっぱり気になって手に取る。何日もさんざん逡巡したあげく意を決してレジに持っていき晴れて自分のものにしたあかつきには、なぜかホッとします。そういう本は、本の内容の魅力を確信している作り手が、これでもかというくらい気合いの入った装丁を打ち出しているので、その無言の凛とした姿にこちらは惹かれてしまうのです。今月はそんな「本の佇まい」に導かれて出会った3冊をご紹介致します。

井田真木子 著作撰集
作者:井田真木子
出版社:里山社
発売日:2014-07-19
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目に入った途端引きこまれる深い朱色の表紙。唯一太字で主張されているメッセージは『井田真木子 著作撰集』というタイトルだけ。静かだがインパクトがある装丁だ。

それは私にとって切実な本だ。
そして、私以外の人にも、この『本』が切実なものになることがあるだろうか。私はいつも、それについて考えてきた。もし、これから先、誰と会うことも禁じられ、外界からも遮断されて生きなければならないとき、その『本』はあなたや私に切実であること、言い換えればリアリティをもたらしてくれるだろうか。

「リアリティとは生きた証」。ノンフィクション作家・井田真木子は2001年に44歳で夭折した。引用したのは、未完の遺作『かくしてバンドは鳴りやまず』の冒頭で、自分にとって何ものにも代えがたい存在の本たち―例えばカポーティの『冷血』やランディ・シルツの『かくしてバンドは鳴りやまず』などの傑作ノンフィクション―について井田が述べた部分である。この遺作で、井田は敬愛するノンフィクション作家たちの「目」に入り込み、彼らの創作過程を掘り起こそうと試みた。本を読むこと、また本について、人について書くことが井田にとって生きることそのものだった、その重みが伝わってくる。

井田がノンフィクション作家としての地位を確立したのは、大宅壮一ノンフィクション賞受賞作『プロレス少女伝説』によってである。大きなブームの渦中にあった女子プロレスに注目し、その中でも外国人選手や異端児・神取忍にスポットを当てた。現在、慣用句のように使われている「心が折れる」という表現は、インタビューの中で井田が神取忍から初めて引きだした言葉である。

亡くなってから13年、井田真木子の作品がいつのまにか絶版になり本の世界から消えていこうとしている事実に危機感を覚え、たった一人で出版社・里山社を立ち上げた清田麻衣子氏が、上記2作と傑作『同性愛者たち』など現在入手困難な長篇3作を中心にまとめた渾身の作品集である。この作家を断じて忘れてはならない、そう感じさせられる、まさに切実な一冊。
 

大坊珈琲店
作者:大坊 勝次
出版社:誠文堂新光社
発売日:2014-07-18
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グレーの紙のカバーを取ると、落ちついた茶色の布張りの本が現れる。そして表紙には金字で「大坊珈琲店」の文字。カッコよさに思わずため息が出る。活版印刷のテキスト文字も眺めているだけで時間を忘れさせる美しさだ。

「大坊珈琲店」とは南青山で1975年から営業していた珈琲店で、そのコーヒーの美味しさと、店主・大坊勝次氏のこだわりぬいた美学を貫く姿勢によって多くの人に愛された。その大坊珈琲店は2013年12月にビルの取り壊しの為に惜しまれつつも閉店。38年の歴史に幕を引く事となった。この本は、お店の閉店にあたり常連客や知り合いに配るために店主が作った私家本が、一般の書籍として再刊されたもの。本は3部構成で、店主がコーヒーや店への思いを綴った「大坊珈琲店のマニュアル」、店の「写真」、各界の著名人が店の思い出を文章にした「寄稿」から成る。
1975年7月1日に店はオープンするが、その時に町で配ったカードの文言が秀逸だ。

大坊珈琲店は十坪とちょっとの広さです。
お客さまお一人お一人に丹精こめた手づくりの珈琲を……と念願する私にとってこれが理想の広さです。カウンターに十二人様、テーブルに八人様。兵庫県多聞町小東山永田良介商店より取り寄せました家具は椅子が少々堅いのですが格別の坐り心地です。ポールデスモンドなど落着いたジャズを程々に音をしぼって流します。日暮れより後にはウィスキーもお楽しみいただこうと存じます。また書棚には旅の本などを豊富に取りそろえます。とは申せ大坊珈琲店の取り柄といえば珈琲です。豆選びから焙煎、ブレンドまで、私の修行のすべてを一杯の珈琲に賭けてまいります。ですから、舌のこえたお客さまにはどしどし手厳しいご注文、ご教示を賜りますよう、心からお願い申し上げます。
大坊珈琲店は年中無休です。毎日、朝十時から夜十時まで、お待ちしております。
どうぞこれから末長く可愛がっていただけますよう重ねてお願い申し上げます。

この時大坊氏はまだ20代、そしてその後40年近くこの文言を守り通したことを知ると、ただ感動する。「コーヒー好きだけでなくいろいろな人に来てほしい、自分が良しと考える味と雰囲気を率直に出して、それをどれだけの人が受け入れてくれるのかということが大きなテーマであり、同時にここに来てくれる人々をどれだけ受け入れられるかということが試されると考えていました」という店主の静かな決意が印象的だ。向田邦子など多くの文化人との交流や、店主がコーヒーを淹れている所作を眺めているうちに張りつめていた気持ちが緩んで泣き出してしまった女性客の話など、エピソードの数々が店の思い出を彩っている。私はこの本に出会うまで大坊珈琲店のことも知らなかったし、ましてやそのコーヒーを飲んだこともないが、この本全体から、そこがどんな店で、どんなコーヒーの味だったかという記憶が立ち昇っていて、店に行ったような気持ちになる。大坊氏は閉店にあたって、紙の本という容れ物に店の魂を永遠に保存したのかもしれない。
 

ひだりききの機械―歌集
作者:吉岡太朗
出版社:短歌研究社
発売日:2014-04
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駅前の地下牢にある壁ひとつ青くてそれは海とよばれる

歌人の吉岡太朗氏の第一歌集。短歌にはそれほど興味がないし、著者のことも何も知らなかった。ただ、なんてきれいな装丁だろう!と思って手に取った。そしてパラパラとめくるうちに、どこか常に喪失感がある、現代の若者の感覚で詠まれた歌に魅せられた。買おうかどうしようかと迷いながら著者あとがきを読んでみる。著者は大学時代京都の向島に住んでいて、京阪電車に乗りながら、「京都には海がある」という幻想のイメージを抱いていたという。電車を待っている時、ホームの下まで水があるように想像したり、宇治川の向こうに海があるように思ったり。著者と同い年で、京都の、どこか浮世離れした空気の中で同じく学生時代を過ごした私には、「京都の見えない海」の幻想がどこか理解できるように思った。漠然と広がる海のなかに、島のようにぽっかりと浮かんだ学生時代。この歌集は、著者が体験した青春、コンビニやファミレスや関西弁や、孤独感、就職活動での挫折感などが詠われ、最後には愛する相手との出会いによって大きく変化を遂げる。(私が惹かれた本の美しい装画は奥様の手によるものだそうだ。)卒業し、就職し、結婚し、著者の「見えない海の幻想」は消えてなくなる。過ぎし日を想いながら、夏に涼しい部屋でじっくり読みたい本だ。

持田碧 1986年生まれ。関西育ち、京都在住。気がつけば本屋の上に住み、職場も本屋。文芸書担当。好きな本のジャンルは海外文学。

【ジュンク堂書店大阪本店】
〒530-0003 大阪府大阪市北区堂島1-6-20 堂島アバンザ1F〜3F 

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