伝承こそが真の遺産『白神山地マタギ伝』鈴木忠勝の生涯

2014年9月19日 印刷向け表示
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白神山地マタギ伝: 鈴木忠勝の生涯

作者:根深 誠
出版社:七つ森書館
発売日:2014-08-27
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青森と秋田の県境に位置する白神山地。「秘境」と称されることも少なくないこの地域には、古くからマタギの集落が根付いていたが、約20年前にはそれらの文化は消滅してしまった。本書でスポットの当てられる、青森県西目屋村に受け継がれてきた「目屋のマタギ」も例外ではない。マタギの中でリーダーのことを指す、「シカリ」として知れ渡っていた鈴木忠勝というマタギを最後に、目屋マタギの伝承も途絶えてしまったという。

本書は生前の鈴木忠勝と懇意だった著者が、彼から聞いた話を元に実地調査し、西目屋を含む白神山地周辺のマタギの歴史を辿った収穫がまとめられたものだ。著者は以前から白神山地やマタギに関する著作を何冊も出している、地元青森出身の登山家である。

ところで、ここまで平然と、マタギ、マタギ、と書いてきたが、何をもってマタギといえるのかは結構あやふやだ。一応、高校まで10年以上は秋田に住んでいた身だが、「狩りなど山の恵みを授かって生きる」「おまじないがあるとかなんとか…」「何だかスピリチュアルな感じ?」などなど抽象的なイメージが浮かんでは消え、という状態のまま気づけば遠く離れた都会で暮らしている。

現に、マタギの研究は正確な記録が不十分なため、体系的に確立されていない。これは世間に対して閉鎖的な文化であると共に、口承によって代々伝えられてきたという特徴に起因している。マタギという名称の由来も、決定的な証拠がないため複数の説が残っているらしい。

そんな中、著者はマタギをこのように定義する。

 要するに、マタギは昔ながらの伝承に生きるからこそマタギなのである。でなければ鉄砲撃ちやハンターとなんら変わりない。

どうやら、「山サ入っだ。熊獲ってぎだ。おらマダギだ。」という単純な話ではないらしい(いや、当たり前か)。本書で著者は、脈々と受け継がれてきた伝承に生きるマタギのことを、「伝承マタギ」と呼んでいる。

じゃあ、「伝承」って具体的にどんなもの? ということになるが、目屋の最後の伝承マタギ、忠勝翁の昔語りがそれを教えてくれる。ほんの一部だが紹介してみよう。

昔は産の濃い(難産の)女は、クマの腸を腹帯にしたんだ。クマは寒中に子を産む。クマの出産はたやすい。(中略)「クマのように楽に産みたい」という願いを込めた言葉があるほどだ。

自然と調和して生きる、マタギらしい安産祈願だ。冷静に想像するとかなりグロいけども。

また、今は廃れたが山に入った時は厳格な女人禁制の戒律があり、女性のことは夢に見ることも許されなかったという。もし山で女人を夢見てしまったら、水垢離(冷水を浴びること!)をして心身を清めなければならなかったらしい。

慣れてきたらいい加減になって、水垢離はやらなくなったがナ、ハーッ、寒中は一杯かぶっただけで震いあがってしまう。体も何も鳥肌たってしまってハーッ、どうもなんねぇ。

と振り返る忠勝翁。山中、特に冬山において、性欲(と、言い切ってしまおう)は命取りなのだ。とりあえず栗下直也はマタギ向きでないことが判明した。

他にも、山に棲むと言われた妖怪や魔物の話など、俗世からすればちょっと考えにくい伝承や逸話が本書には点々と出てくる。章分けや見出しも最低限で、基本的に、「あんなこともあった、こんなこともあった」という調子で話が散らばっているので、正直あまりすらすらとは読める本ではない。

ただ、本書を読んでいると、山道を逍遥している途中、ふと目に留まった見知らぬ小道に惹かれ、ついついそちらを目指してしまう時のような感覚に陥る。忠勝翁の話を元に山を歩くことで目屋マタギの足跡を追っていった、著者の興奮を追体験しているような気分だ。じっくりと時間をかけて読み込んでいくような、詮索癖があるタイプの人に本書はオススメかもしれない。

一方で、構造が分かりやすく、すらすらと頭に入ってきてしまう箇所もある。マタギ文化を消滅に追い込んだ、近代化の波について触れられている部分だ。

発端は、現在の白神山地にあたる地帯のブナ林を伐採して林道を開通させようと、1982年に着工された青秋林道建設計画に対し、反対運動が起こり、1990年に工事が中止になったという出来事だ。この運動をきっかけに白神山地の大自然は、世間の注目を集めるようになり、忠勝翁が亡くなった3年後にあたる1993年には世界自然遺産へ登録された。

一見とんでもない名誉に見えるが、表があれば裏もある。行政による入山規制と山の文化を無視した維持管理によってマタギを始めとした旧来の文化が急速に途絶えてしまったのだ。釣りや焚火の禁止などの規制が蔓延り、かつてマタギたちが縦横に歩いてきた山からは人の姿が消えた。自然遺産への登録が、自然と人の間にあった繋がりを断ち切る結果をもたらしたのはなんとも皮肉である。

加えて観光化も進み、観光客向けに「マタギ」を名乗る人たちも出てきた。確かにマタギの神秘性も手伝ってウケはいいが、もちろん伝承マタギとは別物。こうした時代の移ろいを描く著者から感じられるのは、怒りではなく諦観の眼差しだ。

伝承マタギが実在した時代はとうに過ぎ去った。「世界自然遺産」白神山地では、当時のマタギの猟場だった山々は鳥獣保護区の指定を受けて法律で狩猟が禁止じられた。マタギの戒律として守らなければいけない伝承も消え失せた。伝承を失い、猟場を失った観光の時代に、伝承を重んじ、狩猟を旨とするマタギなるものが存在する余地が果たしてあるのだろうか。

割り切りと寂寥がせめぎ合う言葉に、モヤっとした気分にさせられる。きっと、このモヤモヤを忘れないことが大事なのだろう。

最後に、生前の忠勝翁の言葉でさらにモヤっとさせて終わりにする。

まぁ、わしらも変わったし山も変わったしナ。昔はのんびりして辛抱すれば冬も出稼ぎしなくても生活できたんだが、いまの人たち、カネの亡者になった。化け物だの魔物だの妖怪だのって、昔はずいぶんいたもんだンダ。 

白神山地 ブナ原生林は誰のものか

作者:根深 誠
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白神山地 立入禁止で得するのは誰だ

作者:根深 誠
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入山規制問題について詳しく書かれている著者の本。
 

定本 黒部の山賊 アルプスの怪

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