美人姉妹とサラブレッドと私 『じゃじゃ馬グルーミンUP!』

朝倉 祐介2014年11月15日 印刷向け表示
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
じゃじゃ馬グルーミン★UP! (1) (小学館文庫)
作者:ゆうき まさみ
出版社:小学館
発売日:2003-12
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂
  • HonyzClub
  • ebookjapan

ページをめくると、干し草の香りが鼻の奥でぶわっと広がる。『じゃじゃ馬グルーミンUP!』はそんな漫画だ。

本作の舞台は北海道にある競走馬の生産・育成牧場。
サラブレッドの成長過程や、生産者、調教師、騎手、馬主といった馬を取り巻く人々の人間模様を描きつつも、主人公である久瀬駿平と渡会牧場の次女ひびきのラブコメディの要素を織り交ぜた青春ドラマでもある。

作中には醍醐ファームや弓削匠騎手といったように、実在の牧場や人物を想起させる組織・キャラクターも登場する。競馬ファンであれば思わずニヤリとするような現実感がたまらない。
 

ユートピアとしての渡会牧場

かれこれ十数年前のこと、オーストラリアの競馬学校から帰国した小生は、ハローワーク通いの末に北海道は浦河町の競走馬育成牧場に勤めることになった。16歳だった。

一方の久瀬駿平は高校2年生の春休み、バイク旅行の道中で行き倒れていたところを渡会牧場の仔馬・タケルに発見された縁で、渡会牧場に居つくことになる。

同じような年代から始まった我々の牧場生活であるが、その実態は随分と対照的なものだ。実際の牧場にはあぶみさんも、ひびきちゃんも、たずなちゃんも、ひづめちゃんもいないし、こんなにもほのぼのとした生活風景が繰り広げられることはない(梅ちゃんみたいな人なら確かにいる)。

その語源に反し、牧場での生活は『じゃじゃ馬』で描かれているような牧歌的なものでは決してない。ただひたすら速く走ることを目指して300年以上に渡って生産され続けてきたサラブレッドは、素朴な愛玩動物などではない。屈強なアスリートなのである。時として内に秘められた野生が文字通り牙をむく。小生の左腕には未だに管理馬に噛みつかれた痕が残っているし、立ち上がった2歳馬に頭上から踏みつけられそうになったことも一度や二度ではない。こうした馬たちの世話を日の出前から行うことで日々は過ぎていく。

なにより、渡会牧場のような微笑ましい人間関係というものはなかなかない。仕事柄か、それなりにクセの強い人達が集まる世界でもあるし、何かヘタを打つと言葉の前に鞭か拳が飛んでくる。結構恐い。間違っても、仕事上がりにあぶみさんがニコニコとお茶を淹れてくれるなんてことはない。渡会牧場とは、牧歌的な牧場の理想像であり、現実には存在しないユートピアなのだ。

チクショー!小生だって馬産地であぶみさんやひびきちゃんと甘い生活を送りたかったんだよ!
 

経済動物としてのサラブレッド

終始ほのぼのとしたタッチで展開する本作ではあるが、サラブレッドがあくまで経済動物であるという冷徹な側面から目を背けてはいない。

作中にはヒメとヒコという双子の仔馬が登場する。双子で活躍した競走馬は過去に存在しないということもあり、牧場の人々が仔馬を「つぶす」かどうかで苦悩するというエピソードがある。商品としてサラブレッドを扱う生産者にとってはキレイごとでなく向かい合わねばならない経営上の意思決定であるが、感情的には受け入れがたい場面であることは否めない。競馬に関わっていると往々にしてこうした生死の場面にぶつかる。

北海道の牧場時代、小生は一頭の2歳馬を担当していた。父は天皇賞春を連覇した名馬・メジロマックイーン。後にディアースマイルと名付けられる芦毛の牝馬は、猛獣さながらに気性が激しい他馬の中にあって、「この子、大丈夫かな?」とこっちが心配になるくらい大人しく、随分と人懐っこかった。厩舎に響く足音でこちらに気づくと馬房から顔を出し、何かおくれと手の匂いを嗅ぎに来る。その仕草がなんとも愛くるしく、小生も念入りに面倒を見た。

ディアースマイルのデビューは11月の京都だった。初戦は5着と敗れはしたものの、後方から上り3ハロンを34秒台の末脚で追い込む姿は期待を感じさせるものだった。満を持して迎えた2戦目、小生はディアースマイルの活躍を一目見に京都競馬場に向かった。このレースでディアースマイルは中団を追走するものの4着に終わったのだが、レース後、彼女がホームストレッチに戻ってくることはなかった。予後不良だったのだ。

サラブレッドは「ガラスの脚を持つ」と言われるほどに繊細な動物だ。時に自身のスピードに身体が耐えかねて、骨折に至ることもある。重度の骨折は、サラブレッドにとって死を意味する。自身の体重を支えることができなくなった馬に待っているのは衰弱死であり、重度の故障の場合、薬物を用いた安楽死処分を執り行うのだ。ちなみにこの新馬戦の勝ち馬は、後に国内外のG1を制するエイシンプレストンだった。残酷なまでに明暗が分かれる世界である。

余談だが、ディアースマイルのデビュー前、小生は大腿骨と下腿骨を粉砕骨折する大事故をやらかし、随分ともがき苦しんだ。ディアースマイルの場合はもう少し軽微な骨折だったはずだが、馬であるが故に生存することができなかったことを思うと、生き死にとは何かをじっと考えてしまうし、彼女がどれだけ痛かったことかと思うとなんともやるせない。

この原稿を書いている今も、オーストラリアから日本馬のレース直後の訃報が届いた。こんな出来事が起こるとどうしても気も滅入るし、こうした世界観を受け容れられないという人の言うことも理解できる。

それでも小生は競馬を見続ける。自分勝手な感傷かも知れないが、記憶に留めることがディアースマイルへの何よりの供養だと思うし、生命を燃やして懸命に走り続ける馬達のドラマをじっと見ていたい。また競馬は血のドラマでもある。オルフェーヴルもゴールドシップもメジロマックイーンの血を引く、いわば彼女の甥っ子だ。彼女と同じ血が脈々と受け継がれていると思うと、応援しないわけにはいかないじゃないか。


さて、秋のG1シーズンもたけなわである。ターフを彩る名優達の2分少々のドラマに酔いしれるのも良い。有馬記念の馬券に今年最後の運を試すのもまた楽しいだろう。

そのついでに『じゃじゃ馬』を座右に据えて、時にはサラブレッドと彼らを取り巻く人々のドラマに思いを馳せてみればいかがだろう?きっと競馬の新しい魅力がそこにあるはずだ。

記事へのコメント コメントする »

会員登録いただくと、記事へのコメントを投稿できます。
Twitter、Facebookにも同時に投稿できます。

※ 2014年3月26日以前にHONZ会員へご登録いただいた方も、パスワード登録などがお済みでない方は会員登録(再登録)をお願いします。

コメントの投稿

コメントの書き込みは、会員登録ログインをされてからご利用ください。

» ユーザー名を途中で変更された方へ
 変更後のユーザー名を反映させたい場合は、再度、ログインをお願いします。

ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
作者:
出版社:中央公論新社
発売日:2014-10-24
  • Amazon
  • Amazon Kindle
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

電子版も発売!『ノンフィクションはこれを読め! 2014』

HONZ会員登録はこちら

人気記事