赤塚不二夫と石ノ森章太郎が描いた幻しのちばてつや作品

岐部 淳一郎2015年01月06日 印刷向け表示
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 ちばてつや作品と聞くと、多くの人は「あしたのジョー」を思い浮かべると思う。
以外の作品にしても「のたり松太郎」「あした天気になあれ」といったスポーツ作品が挙げられるが、実は少女漫画をたくさん描いている。


高校生の時に「貸本」のマンガ家としてデビューしたちばてつやだが、商業誌でのデビュー、初連載は少女漫画だった。

「ママのバイオリン」は初連載作品の一つ。本作品が執筆された1958年頃は、そもそも雑誌が少なく、しかしながら少年雑誌にはベテラン作家が占めていて入り込む余地がない。でも、少女漫画なら描かせてくれる‥ということで、当時の新人漫画家の多くが少女漫画からデビューした時代だった。

この頃の作品は、主人公に不幸が重なり、これでもかと困難が続く。
テイストも、ぼくらが知っているスポーツ漫画のちばてつやのそれとは違う。

1958年ということは、当時19歳。
兄弟も男ばかり……ということで、当時の少女漫画を研究して、どうやったら読者に受け入れてもらえるかと必死に少女漫画と向き合ったという。
……そう考えるとちばてつやにも「新人」の頃があったのか!!と当たり前のことが新鮮に感じる。

ママのバイオリン(1)

不幸や困難が多かった理由については、戦後13年経ったとはいえで多くの人が大事な人を失った経験を持っていて、そういう話に共感する人が多かったと……振り返っている。

 

ちばてつやが描いた少女漫画はたくさんあるが、中でもこの「ママのバイオリン」に注目したのには、連載デビュー作品……という以外にも理由がある。

 

連載当時、ちばてつやは、缶詰め先で、連続徹夜の疲労がたたり窓に倒れこみ大怪我をしてしまう。ネームまでは完成していたものの、ペン入れはされていない。後に、キャプテンなどの名作を生み出すちばあきおもこの当時は15歳で、まだ代わりが務まる状態ではない。
担当編集はなんとか間に合わせなければと、トキワ荘に持ち込み、そこで赤塚不二夫と石ノ森章太郎が名乗りを上げてくれる。ちばてつやは、トキワ荘の存在は知っていつつも、交流がなかったそうで、担当者もまさに藁にもすがる思いだったろう。

ちなみにこの一連は、ちばてつやの「てっちん」という単行本に収録されており、そこでは50年間空かせなかったという真実も公開されている。


「てっちん」から推察するにママのバイオリンの◯話がそれ。だが、何話かは敢えて明記しない。
赤塚不二夫と石ノ森章太郎の2人は見事なまでにちばてつやのタッチを再現している。
……少なくともそれを知らずに読み進めた時には気がつかなかった。

作品時代としてもそうだが、後に一世代を作ったマンガ家たちの若かりし頃の友情と心意気、その時代が持っていた吐息、漫画の黎明期の雰囲気……それが味わえる作品だと思うと感慨深い。


……余談ながら、この時に学んだ女の子のマツゲの描き方が、ジョーにも生きているという。
言われてみれば、ジョーの横顔には女性的なかぼそさが混じっている気もする。

ママのバイオリン (2)を読む

ママのバイオリン (3)を読む

いわゆるちばてつやらしさが、出たと感じた少女漫画作品は、こちら。
ユカをよぶ海(1) これもエピソードがあるがまたの機会に。

ユカをよぶ海 (2)を読む

ユカをよぶ海 (3)を読む

記事へのコメント コメントする »

会員登録いただくと、記事へのコメントを投稿できます。
Twitter、Facebookにも同時に投稿できます。

※ 2014年3月26日以前にHONZ会員へご登録いただいた方も、パスワード登録などがお済みでない方は会員登録(再登録)をお願いします。

コメントの投稿

コメントの書き込みは、会員登録ログインをされてからご利用ください。

» ユーザー名を途中で変更された方へ
 変更後のユーザー名を反映させたい場合は、再度、ログインをお願いします。

HONZ会員登録はこちら

人気記事