『ニッポンの裁判』著者・瀬木比呂志氏インタビュー
唖然、呆然、戦慄、驚愕! 日本の裁判は本当に中世並みだった!

昔の映画になりますが、冤罪を扱った『真昼の暗黒』という作品があります。左派良心派として知られた今井正監督によるものです。その映画の中に出てくる「まだ最高裁があるんだ!」というセリフが有名になりました。でも、実際には、「まだ高裁・最高裁があるんだ!」は、日本では、権力側の言葉ですね。

袴田事件、恵庭OL殺人事件などは、日本の冤罪裁判の「氷山の一角」にすぎないと、瀬木氏は分析する


Q:刑事系裁判官はなぜかくも有罪にこだわるのでしょうか? 誰の目からみても無理が大きいことが明らかな判決を重ねて追認するような司法判断が続くことは、素人にはおよそ理解できません。

瀬木:正直にいって、僕にも、全く理解できません。僕には、33年間裁判官を務めてもなお、総体としての裁判官たちの姿勢や考え方に、理解しにくい部分が数多く残っていました。まあ、だからこそ、筆名の本を書き、研究に打ち込み、大学人に転身することにもなったのですが。

でも、民事系の裁判官の場合には、よくない判決でも、まだ理由がわかることが多いのですね。たとえば、「裁判所当局がこわかったのだろうな」とか、「子どもが難しい時期に遠方に左遷されたりしたら困っただろうから」とか、「ともかく出世しかない人だから」とか、あまり立派な理由ではないかもしれませんが、まあ、想像はつく(笑)。また、ある意味、人間的な理由という面もないではないですね。ただ判例の大勢、無難で保守的な先例に事大主義的に従っているだけという場合が一番多いですが、それはそれでわかりやすい。

ところが、刑事のかたよった裁判、たとえば恵庭OL殺人事件再審請求棄却決定などだと、もう、全然理解できない。その裁判長自体はちゃんとした裁判官にみえたのに、という声は弁護士からも出ていて、いよいよわけがわからない。1人の人間の人生が、その裁判の結果にかかっているわけですからね。それにもかかわらず、有罪推定どころか、可能性に可能性を重ね、無理に無理を重ね、何としてでも「有罪」という結論に到達しようと、なりふり構わず突き進んでいる印象を受けるのです。

袴田事件の証拠の脆弱性は明らかであり、無罪にしても検察、警察がそれを非難できるわけがない。

恵庭OL殺人事件についても、再審請求における検察の主張立証は、事実上白旗を掲げているに等しいようなものであったといわれます。だからこそ、よもやの請求棄却決定に、弁護団にも、報道に携わっていた記者やジャーナリスト、関心を抱いていた学者の間にも、戦慄が走りました。

なお、今の質問については、第5章の、「刑事・行政・憲法訴訟等における裁判官たちの過剰反応の根拠は?」という項目で、僕に推測できる限りのことはまとめています。

Q:刑事訴訟も悲惨ですが、第5章の行政訴訟も本当にひどいですね。官僚にひたすら甘く、住民にひたすら厳しい。「地方議会の住民訴訟債権放棄議決是認判決」には驚きました。怒りを通り越して、これはブラックジョークですね。

瀬木:住民訴訟で大変な苦労をして住民と弁護士が勝っても、そうして成立した地方自治体の首長等に対する債権を、首長等と結託した地方議会がその議決で放棄してしまう。地方自治法96条1項10号(議会に権利放棄の議決を認めている)に基づく議決なのですが、この条文が放棄を予定しているのは、誰が考えても放棄が相当といった、たとえば形骸化した債権等であって、債権管理の効率化のための規定のはずです。

先のような議決は、明らかに法の悪用です。それは、首長等の行った違法行為を議会が許すことを意味しますが、議会にそのような権限があるかは、誰が考えても疑問でしょう。

実際、住民訴訟を規定する地方自治法を所管する総務省の一部局に近いとさえいわれる地方制度調査会(内閣府の審議会等の一つ)でさえも、さすがに、2009年6月の答申で、「このような債権放棄議決は住民訴訟制度の趣旨をそこなうことになりかねないからこれを制限するような措置を講ずるべきである」と述べていました。

ところが、最高裁は、2012年に、このような議決について原則有効という判断をしてしまいました。「住民が勝っても首長の債務は帳消し。原則それでOKよ」ということです。「唖然、呆然の『債権放棄議決原則有効判決』」であり、弁護士や行政法学者からも猛反発がありました。

ホント、ブラックジョークですよね。『黒イせぇるすまん』(藤子不二雄A)というブラックジョークの漫画がありましたが、あのセールスマンが漫画の「オチ」で下しそうな判決です。「住民が勝っても首長の債務は帳消し! ホーッホッホッホッ・・・・」と、彼の高笑いが聞こえてきそうですね。

しかも、千葉勝美裁判長(裁判官出身)は、その補足意見で、債権放棄議決について、「住民訴訟がもたらす状況を踏まえた議会なりの対処の仕方なのであろう」と、「深い」理解を示しています。さらに、判決の判断枠組みには同調しつつも、「さすがにこの事案では下級審の結論(議決は違法)が支持されるのではないか」と述べた須藤正彦裁判官(弁護士出身)の意見に対し、これを執拗に批判しつつ、須藤意見は「裁判所が議会の裁量権行使に直接介入していると見られるおそれ」があるものだ、と論じているのです。

すごいですね。ここまでくると、「黒いセールスマン」も恐れ入って退散してしまうのではないでしょうか。「さすがの私も、最高裁判事には負けました。もはやアートの域に達したブラックです」って。

Q:第4章では、政治家の圧力により名誉毀損損害賠償請求訴訟の認容額が一気に高額化したことが明らかにされています。しかもその後の判決はメディアにひたすら厳しい。最近は、質の高い調査報道でさえ訴えられれば名誉毀損訴訟で勝つことは至難といわれています。裁判官の権力追随判決で、私たちジャーナリストも随分と仕事がやりづらくなっています。

瀬木:これも、事実関係を調べているうちに呆然としてしまいました。裁判所当局が、政治家の突き上げに応えて2001年に司法研修所で御用研究会を開催し、御用論文の特集が法律雑誌に掲載され、その後、一気に認容額が跳ね上がっているのです。

さらに問題なのは審理、裁判のあり方です。

たとえばアメリカでは、この種の訴訟については、表現の自由との関係から原告にきわめて高いレヴェルの立証が要求されており、2000年以前の日本の判例にも、同様の考慮はありました。

ところが、近年の日本の判例は、被告の、記事の真実性、あるいは真実であると信じるに足りる相当性(たとえ真実ではないとしてもそう信じるに足りる相当な理由があれば免責されるということ)の抗弁を、容易なことでは認めなくなってしまいました。その結果、メディアの敗訴率は非常に高くなり、「訴えられればおおむね敗訴」というに近い状況となっています。

それが、「最近は、質の高い調査報道でさえ訴えられれば名誉毀損訴訟で勝つことは至難」という状況なのです。これは、認容額の一律高額化以上に大きな問題です。いわば、「知る権利」の基盤が裁判所によって掘り崩されているわけです。

「日本の裁判所は『憲法・法の番人』ではなく『権力の番人』である」という傾向は昔からあったのですが、それでも、ここまで露骨なことはさすがにかつてはなかったような気がします。

また、こうした訴訟は、たとえ被告が勝つ場合であっても、莫大な金額の損害賠償請求を起こすことだけで、ライターや出版社を意気阻喪、萎縮させる効果があります。

第5章で触れているスラップ訴訟、つまり、国や地方公共団体、あるいは大企業等の大きな権力をもった者が、個人の反対運動や告発等に対抗し、それを抑え込むことを目的として提起する民事訴訟、ということですが、弁護士から聞いたところによれば、その疑いのある名誉毀損訴訟もかなりあるということです。

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