『スピーチライター』聴衆を動かす影の頭脳

2015年1月19日 印刷向け表示
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スピーチライター 言葉で世界を変える仕事 (oneテーマ21)

作者:蔭山洋介
出版社:KADOKAWA/角川書店
発売日:2015-01-09
  • Amazon
  • Amazon Kindle
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂
  • HonyzClub
  •  

「Yes, we can」

「悪の枢軸」

「バイ・マイ・アベノミクス」 

誰もが耳にし、いろんな意味で今も記憶に残る言葉たち。実はこれらのフレーズの生みの親は、バラク・オバマ、ジョージ・W・ブッシュ、安倍晋三ではない。実際に考え出したのは、アダム・フランケル、デービッド・フラム、谷口智彦といったスピーチライターたちなのだ。

本書はこの知られざる職業の歴史や役割、実際の仕事内容、さらにはなりたい人へのアドバイスまでもが詰め込まれた、スピーチライターの紹介本だ。日頃フリーのスピーチライターとして活躍する著者がその文章力や構成力を遺憾なく発揮し、自身の経験をまじえながらいったいどんな仕事なのか分かりやすく教えてくれる。

スピーチライターとは、話し手本人に代わってスピーチ原稿を執筆する人のことをいう。日本でスピーチライターが首相のスピーチを書くまでの影響力を持つようになってから、まだ5年ほどしか経っていない。それまでは結婚式のスピーチ原稿を書くことが主な仕事で、あまり目立たない職業だった。しかし近年は認知度が高まり、スピーチによってもたらされる有形無形のリターンを求める企業や公益法人といった組織、政治家や経営者などの個人からの依頼も多くなってきたという。

国内で知られるようになったきっかけは、2008年11月に行われたアメリカの大統領選だ。元々アメリカは1921年に世界で初めて大統領のスピーチライターが生まれた、スピーチライター先進国。7年前の総選挙で、当時弱冠27歳でオバマのチーフスピーチライターを務めたジョン・ファブローを筆頭に、「Yes, we can」を生み出した当時26歳のアダム・フランケルなど若手のスピーチライターたちが活躍したことにより世界でもその存在が知られるようになった。

その流れをうけて、日本でも翌年2009年9月に生まれた鳩山政権の時に、スピーチライターが初めて政治の舞台に進出する。当時の内閣総理大臣、鳩山由紀夫のスピーチライターとして起用された、当時の内閣官房副長官・松井孝治と劇作家・平田オリザの2人は所信表明演説や施政方針演説など多くの場面における総理のスピーチ原稿を執筆し、話題になった。その後も菅直人や野田佳彦のスピーチを下村健一、安倍晋三のスピーチを谷口智彦の2人のジャーナリストが担当するなど活動は加速し、もはやその影響力は見過ごせないものになってきている。

ただ、こうした話はニュースで取り上げられたものも多く、ご存じの人も少なくないだろう。本書を読んで驚いたのは「スピーチ原稿を書く」だけがスピーチライターの仕事ではないということだ。いや、むしろそれは氷山の一角でしかないように感じた。本書を読めば、誰しもその仕事の多彩さに驚くはずだ。原稿の質が高いだけでは、スピーチを成功に導くことはできない。

原稿を書く以外には何をしているのか? それはクライアントの種類によって変わってくる。著者によれば、スピーチライターには大きく分けて「政治系」と「ビジネス系」の2種類があるそうだ。上記のように、政治家のスピーチ原稿を執筆するのが政治系スピーチライターである。一方ビジネス系スピーチライターは式典あいさつ、セミナー、講演会、説明会、さらには謝罪会見に至るまでさまざまな場面の原稿を手がけるという。

政治系スピーチライターは、日本の首相を担当する場合には内閣広報室審議官や内閣官房参与などのポストで外部から迎え入れられている。その際の任務は、各省から集まってくる「話してほしいことリスト」(通称「短冊」)を整えて原稿に落とし込むこと。それぞれの官僚にとって、トップの語る言葉は自分たちの仕事を進める大きな武器になる。そのためトップに何を話させるかについて権力闘争が起き、洪水のように情報が押し寄せてくる。首相が情報量に圧倒されて官僚の言いなりになることを防ぐという点で、膨大な情報から話す内容を厳選するスピーチライターは重要なポジションを担っているのだ。

こうした調整役としての役割も求められるため、政策に精通しているのはもちろん、立ち回りのうまさも必要になる。前出の谷口氏が、「どういう権限で外交政策に関わっているのか」と外務省に不安視されたという報道もあったらしい。外部からの参加でありながら、ある意味政策に関わるブレーンのような機能も担うという微妙な立ち位置のため、なにかと煙たがられることもあるのだろう。

ビジネス系スピーチライターは、クライアントに応じて発声や身振りなどの「話し方」、スライドや衣装などの「演出」といった原稿以外の要素にも深入りすることがあるという。これがびっくりするほど際限ない。声の出し方から抑揚、リズム、目線、姿勢、小道具の使い方、壇上への上がり方までアドバイスする「スピーチトレーナー」の役割を担ったり、プレゼン原稿だけでなくスライドも作ったり、スピーチの衣装を検討しつつ時にはクライアントと一緒に衣装を買いにまで行ったり。

さらには機能不全の朝礼のあり方を改善したり、謝罪会見の段取りや謝り方を指導したり……。もちろん個人差はあるが、とにかくクライアントに対して至れり尽くせりなのだ。実際フリーランスでも「コミュニケーション戦略コンサルタント」や「スピーチストラテジスト」のような仕事を限定しない肩書きで活動し、スピーチライターとはあまり名乗らない人が多いらしい。

本書には他にもスピーチ作成の詳細な過程や、著者の実際の案件をもとにして作ったリアルな対話形式の事例、収入の話など豊富な内容が盛り込まれており、これ一冊でスピーチライターの実態がおおかた理解できるようになっている。

話し手に言われたままに書くわけでもなく、書いたことをまる投げするわけでもなく、二人三脚でスピーチの成功を目指す伴走者。スピーカーを原稿以外の面からも泥臭くバックアップする、頼れる裏方。読む前と後では、スピーチライターへの印象が大きく変わるはずだ。

ただ、クライアントが求める「成功」が必ずしもスピーチの聴衆にとっての「幸福」につながるとは限らない。スピーチの目的は時に「人心の掌握」であり、「自社の利益増」である。名演説への「歓喜」が、後から振り返ってみれば「狂気」だった、なんてこともないとは言い切れないだろう。

スピーチライターはその両方を生み出す可能性を秘めている。その意味で、スピーチライターに最も求められるのは、文章のうまさでも話術でも演出のセンスでもなく「良心」なのかもしれない。

スピーチライターの影響力が次第に増してきている今、そんなことを考えさせられる本書は一読しておいて損はないと思う。一国のトップの演説から小さな講演まで、スピーチの見え方が変わってくるに違いない。
 

 

総理の原稿――新しい政治の言葉を模索した266日

作者:平田 オリザ
出版社:岩波書店
発売日:2011-04-08
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂
  • HonyzClub

 

首相官邸で働いて初めてわかったこと (朝日新書)

作者:下村健一
出版社:朝日新聞出版
発売日:2013-03-13
  • Amazon
  • Amazon Kindle
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂
  • HonyzClub

 

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

『決定版-HONZが選んだノンフィクション』発売されました!