『宇宙飛行士が教える地球の歩き方』 訳者あとがき by 千葉敏生

早川書房2015年02月20日 印刷向け表示
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宇宙飛行士が教える地球の歩き方
作者:クリス・ハドフィールド
出版社:早川書房
発売日:2015-02-20
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著者のクリス・ハドフィールド氏といえば、本国カナダでは知らない人はいないというくらい有名な宇宙飛行士です。計3回の宇宙飛行の経験を持ち、1995年と2001年にはアメリカのスペースシャトルで、2012年にはロシアのソユーズで地球を飛び立ちました。その経歴はとにかくまぶしいかぎり。1995年の宇宙飛行では当時のロシアの宇宙ステーション「ミール」とのドッキングに貢献、2001年の宇宙飛行ではカナダ人初の船外活動を行ない、カナダアーム2というロボット・アームの設置に成功、そして2012年の宇宙飛行では国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在し、これまたカナダ人初のISS船長を務めました。まさにカナダの国民的英雄といえるでしょう。

しかし、彼は偉大な宇宙飛行士であるだけでなく、写真家やミュージシャンとしても大きな人気を得ています。本人は本書の中でただの一発屋だと謙遜していますが、たとえば人気のバロメーターともいえるツイッターのフォロワー数を見ても、今や120万人をゆうに超えています。もちろん単純比較はできませんが、ハドフィールド氏と似たように、日本人初のISS船長を務め、宇宙の動画や写真をたくさん配信している若田光一宇宙飛行士のツイッターのフォロワー数が約12万人ですから(いずれも2014年12月末時点での数字)、宇宙飛行士としては異例の人気ぶりといえると思います。

彼の人気に火を点けたきっかけのひとつは、彼が2013年に宇宙で歌ったデヴィッド・ボウイの曲『スペイス・オディティ』の替え歌版の動画でしょう。もともとハドフィールド氏は、講演や出張授業などを通じて、宇宙開発プログラムの啓蒙活動に積極的に取り組んでいて、つねづねカナダ宇宙庁に世間の関心を集める方法を探っていました。そんなとき、宇宙飛行の任務を言い渡された彼は、ソーシャル・メディアに精通する息子のエヴァンのアドバイスを受け、ツイッターを開始。そしていざ宇宙に着くと、宇宙の美しい写真や、爪切り、手洗い、歯磨きなどの日常の光景を映した動画をソーシャル・メディアで配信しはじめました。すると、彼のツイッターや動画は、もともと宇宙に興味のなかった人たちをも巻き込んでたちまち人気に。そして、帰還の数日前に先ほどの『スペイス・オディティ』の動画がリリースされると、世界じゅうで話題が沸騰。動画は契約期間の関係でいったん削除されたものの、熱烈なファンの声に押されて2014年11月に再び公開され、これまでに数千万回も再生されました。同じく2014年には、一流著名人の証ともいえるTEDカンファレンスでの講演も行ない、宇宙遊泳中に一時的に視力を失ったエピソードを語りました。これは、日本でもNHKの番組『スーパープレゼンテーション』で放映されました。

そんなハドフィールド氏が満を持して書き上げたのが、ニューヨーク・タイムズのベストセラー入りも果たした本書『宇宙飛行士が教える地球の歩き方(原題 An Astronaut’s Guide to Life on Earth)』です。打ち上げ前、打ち上げ後、帰還後と、大きく三段階に分けて自分自身の人生を振り返りつつ、宇宙で過ごした彼だからこそ言える、地球でより良く生きるためのヒントを紹介しています。


私が思う本書の魅力はというと……

まず、何より物語として文句なく面白い点。ハドフィールド氏の文章を読んでいると、目の前にくっきりと情景が浮かび、まるで自分がロケットや宇宙船に乗って旅している気分になってくるから不思議です。私の翻訳がその妨げになっていないことを願うばかりですが……。

次に、著者の人間らしさがふんだんに表われている点。偉大な宇宙飛行士の自伝というと、英雄のような美談で埋め尽くされていると思ってしまいがちですが、本書は違います。時には子どものようにダダをこねてみたり、時には宇宙飛行士らしからぬポカをしてみたりと、ハドフィールド氏の自然体で人間らしい一面もところどころに垣間見えます。そんな飾らない文章が、本書の魅力をいっそう高めているのかも。

それから、著者の哲学が見え隠れする点。マイナス思考を力に変えよ、ちっちゃなことを気にしろ、ゼロになれ、謙遜を忘れずに、など、アドバイスの内容だけを取ってみると実にシンプルなのですが、その根底には、著者の深い思想というか、揺るぎない人生観みたいなものが隠れているような気がしてなりません。

私自身、この本を読んで(訳して)、そんな著者の人間性に魅了されたひとりです。何十年も訓練を重ねた末に3度も宇宙に行くというのは、世界でもほんの一握りの人にしかできない究極の体験でしょう。そんな人間離れした偉業を成し遂げた人物が、地球でガムの包み紙を拾うことに言い知れぬ喜びを感じる──そのギャップにある種の達観を感じずにはいられないのです。

彼の文章を読んでいると、世の中は無数の小さな喜びに満ちあふれていて、問題はその一つひとつの喜びに自分が着目するかどうか、気づけるかどうかなのだ、ということを痛感させられます。そういえば、私も昔はそんなことが簡単にできていたっけ。子どものころは、どんなところにでも楽しさや面白さを見つけるのが得意だったはずなのに、いつの間にか、半径1メートル以内のものしか見えなくなっている自分がいる。そんな事実を思い出させられた気がして、本書を読み終えたとき、胸にもやもやとした気持ちが湧き上がりました。そして、それを当たり前のようにできるのがハドフィールド氏なのだと思います。きっと宇宙飛行士になっていなくても、彼は同じように人生を楽しみ、同じような本を書いていたのではないでしょうか。

最後に、この訳書を祖父に捧げたいと思います。私の祖父は、本書の訳稿を提出しようというまさにその日に息を引き取り、数日後、私が35歳の誕生日を迎えた直後に荼毘に付されました。その後、本書のゲラが組まれ、ロケットの発射のシーンを読み返すたびに、宇宙に飛び立っていくハドフィールド氏の姿と、天に旅立っていった祖父の姿が重なって見えました。私にとって本書は、生涯忘れられない作品となりました。もちろん、読者のみなさまにとっても、一人ひとり違う意味で本書が心に残る作品となれば、訳者としてはこのうえない喜びです。

2015年1月 窓の外に宵の明星を仰ぎつつ

※著者が宇宙で歌ったデヴィッド・ボウイの『スペイス・オディティ』の替え歌はこちら

 

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