『ヒトラーランド』簡略化されたプロットを剥いだ先に見える物とは?

鰐部 祥平2015年02月18日 印刷向け表示
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ヒトラーランド――ナチの台頭を目撃した人々
作者:アンドリュー・ナゴルスキ
出版社:作品社
発売日:2014-12-19
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後世の人間が歴史を見るとき忘れがちなことがある。それは自分たちが神の視点を持っているということだ。私たちが過去を眺めるとき、複数の点でしかない出来事が、やがて一本の線となり繋がっていくさまを、俯瞰的に眺める事ができる。私たちは往々にしてそのことに気づかないものだ。だが、考えてみれば、今を生きる私たちが、いま起きている政治的決断や紛争がどのような帰結を迎えるのかを知ることが出来ないように、当時を生きた人々も、自分たちの決断や、リーダーの行動がどのような終焉を迎えるのかを知ることはできないのだ。

著者の言葉を借りれば、「ヒトラーは悪の権化といった、抽象的な存在ではなく、現実にいる政治家」だったのだ。本書はヒトラーとナチスの台頭を当時の人々の視点で、それもドイツ人ではなく、在独アメリカ人の視点を私信、著作、記事などを丹念に読み込むことで紐解いていこうとする意欲作だ。

1920年代のベルリン。アメリカ人はこの街で、良き勝者として、多くのドイツ人に歓迎されていたという。このように友好的なドイツ人に接することにより、当時の在独アメリカ人記者たちは、敗者のドイツ人に同情し、共に戦ったフランスに対し、むしろ批判的であったようだ。

ハースト社の名物記者で早い段階からヒトラーに注目していたウィンガードは1922年11月12日付けの〈ニューヨーク・アメリカン紙〉に「人を惹きつける力のある弁舌家で、組織をまとめあげる能力に恵まれた人物」、「私がここ数カ月のあいだにあった人々のなかでも、とくに興味を惹かれた人物」だと書いている。またアメリカの官僚で最も早い時期にヒトラーと面会をした駐在武官のトルーマン・スミスは「とてつもない扇動政治家だ。あれほど理論的かつ狂信的な男の話は、めったに聞けるものではない。彼が民衆に与える影響は計り知れない」とノートに書き記している。このように、駆け出しの頃のヒトラーに魅せられた人物は他にも大勢いる。

また意外な事にヒトラーは女性たち虜にすることに長けていたようだ。記者のルイス・ロックナーは1935年にゲッペルス夫妻が開いたレセプションで「一度ヒトラーの目をじっと見つめたら、もう永遠に彼の熱心なファンになってしまうわ」という女性たちの会話を耳にしている。またドイツ人男性と結婚したアメリカ人女性の多くが熱心なナチ党員になっていたようだ。

その一方で、トルーマンの証言では当時ベルリンに駐在していた外交官はほぼ一様に国家社会主義党は「取るに足らない存在であり、指導者のアドルフ・ヒトラーは教養のない狂人」だと考え、軽視していたという。このような、考え方をしていた人物は他にもいる。テキサス出身の記者ニッカーボッカーは1923年にヒトラーを初めて見たとき、そのあまりの滑稽さに「まるで馬鹿にみたいだ」という印象を受けたという。彼は急速にナチスが台頭しだした1930年代に入ってもヒトラーよりもムッソリーニの方が大物だと考えていたようだ。このような感想を持った人も意外に多く、ヒトラーは大物か雑魚なのか判別しがたい人物であったようだ。

驚くことに反ユダヤ主義を掲げたナチ党が急速に躍進し、ユダヤ人への暴力事件が増加の一途をたどる30年代になっても、ユダヤ系ドイツ人たちの危機感は薄かったようだ。エドガー・マウラーは1932年にアルンホルトというユダヤ人銀行家の自宅で行われた夕食会で驚くことを体験する。なんとその場にいたユダヤ人たちが、ヒャルマー・シャハトなど非ユダヤ系の財界人に頼まれて、ナチ党に献金していることを自慢げに話していたという。アルンホルトは「やつらは口先だけだよ」と言ったという。このようなエピソードが歴史の闇の中に消えてしまった、当時の人々の心理を蘇らせてくれる。

ヒトラーを金で従属させようとしたシャハトにしろ、自らの政治力でコントロールできると考えていたパーペン首相シュライヒャーにしてもヒトラーを甘く見ていたという点では同じだろう。彼らはその代償を払わされる羽目になる。ヒトラーが政権を獲得したのちに行った粛清劇「長いナイフの夜」事件においてパーペンは痛めつけられ、その後はヒトラーの走狗と成り果て、国際的な信用を失う。シュライヒャーにいたっては夫人もろとも処刑されてしまう。

次第に暴力的な側面を強めていくナチ党に危機感を募らせていくアメリカ人記者たちも、難しい課題に直面する。独裁政権との距離をどう保つのか。ナチの言論に対する介入にどのように対処していくのかという問題だ。また、ナチの真の危険性をアメリカ本国の人々にどうしたら伝えられるのかという問題にも直面する。旅行で訪れるアメリカ人やドイツをアメリカから眺めるだけの多くのアメリカ国民は、整然として規律正しいドイツを好意的に受け止めるていたのだ。

また在独外交官たちはヒトラーのユダヤ人政策が、過激派支持層を抑え込むためのパフォーマンスなのか、ヒトラー自身が本気でユダヤ人差別に取り組んでいるのか判断しかねていたという。むしろ希望的観測に基づき、ヒトラーがやがて、この問題を上手く軟着陸させるのではないか、と考えていた者が多かったようだ。

ヒトラーが行った行為の重大さ故に、私たちはナチ党と当時のドイツ人のことをあまりにも単純化したプロットとして認識してしまいがちだ。本書はそのような記号化された、プロットというベールを在独アメリカ人たちの細かいディテールを丹念に積みかさねる事により、見事にはぎ取っていく。ページ読み進める事により、一枚、また一枚と記号化されたベールが剥がされていくとき、最高の知的興奮を覚える事ができる。

また近年、国内外を問わず世界中に蔓延する、ヘイトスピーチの危険性にも気づかせてくれる。ヒトラーの行為は許されることではないが、彼は間違いなくカリスマ性を備えた人物であった。このような男が、現代の人種差別活動家たちの中に潜んでいないと、誰が断言できるであろう。たとえ彼らが「口先だけ」に見えても「馬鹿」に見えても、決して油断してはならない。また特定の民族を愚かな人間として扱い、その人格を非人間化するような人々に絶対に協力してはいけない。忘れてはいけない、沈黙も彼らの味方だ。本書は沈黙がいかに彼らに利するかという事も教えてくれる。「ヒトラーランド」は決して遠い世界の話ではない。
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ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書)
作者:高田 博行
出版社:中央公論新社
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