「逆張りの思考」拡大版 週刊新潮2015年3月5日号掲載

2015年3月4日 印刷向け表示
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週刊新潮で好評連載中の成毛眞「逆張りの思考」、2015年3月5日号(2月26日売り)は特別拡大版。今回は『メガ! 巨大技術の現場へ、ゴー』の発売を記念し、特別にHONZ上にて全文を掲載いたします。北は苫小牧から南は長崎まで、さらにはフランスとスイスの国境にまで。現場へ足を運んだからこそ見えてきた、桁違いを見ることの意義とは何だったのか?

メガ! :巨大技術の現場へ、ゴー

作者:成毛 眞
出版社:新潮社
発売日:2015-02-18
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本屋巡りをしていると、平台の様子が以前と変わっている。山と積まれていた嫌韓・反中の本が店頭から奥の方へ移動し始めたのだ。あれほど盛り上がっていた韓流ドラマも地上波からは消えつつあるようだ。まさに仏頂面で日本に対峙する中国や、従軍慰安婦問題一辺倒の韓国と対話をするために、わざわざ日本が同じ土俵に立つ必要はないと人々は気付きはじめたのかもしれない。事実、日本には隣人たちにはないものがあり、それにより圧倒的優位に立っている。

日本にはあって、隣人たちにはないもの。それは基礎科学と技術基盤だ。最近は韓国にサムスン、中国にハイアール、台湾にホンハイなど、有名電機メーカーが誕生し、その名をグローバルにとどろかせてはいるが、製品を支える根幹の部分は彼らが独自に開発したものではない。半導体製造装置メーカーの世界トップ10には中国や韓国のメーカーは1社も入っていない。これは、不十分な基礎工事の上に楼閣を築いているようなものだ。

日本はこれまでに優れた科学技術を生み出してきた。昨年も青色LEDの開発によって3人の研究者がノーベル物理学賞を受賞して話題になったが、物理学、化学、医学生理学の自然科学系分野における日本人ノーベル賞受賞者は、これまでに19名(受賞時に米国籍取得者を含む)にのぼる。片や中国はゼロ、韓国もゼロ、台湾は1名である。

19名の日本人受賞者のうち、江崎玲於奈さん(1973年物理学賞)、田中耕一さん(2002年化学賞)、中村修二さん(2014年物理学賞)はそれぞれ、ソニー・島津製作所・日亜化学という民間企業在籍時の功績が表彰の理由になっているのが、大いに注目に値する。この事実は、日本には大学だけでなく、民間企業にも、世界をリードする科学技術を育てる力と心意気があることを示しているからだ。

私はマイクロソフトという外資系IT企業に勤務していたときから、取引先である日本企業の持つ底力をありありと感じていた。しかしながら、彼らはそれを先輩たちの努力の積み重ねで作り上げてきた技術であり、また、一般には理解されないからと、時代におもねることもなくひたすら地道に仕事をしているように見えた。マイクロソフトを退社し、自分の時間を十分に持てるようになると、そういった企業の現場をこの目で見てみたいと考えていた。

そこに声をかけてくれたのが「週刊東洋経済」で、世界に誇れる日本の技術の現場を見に行くという連載企画が誕生した。北は苫小牧から南は長崎まで、さらにはフランスとスイスの国境にまで足を運んだ。そして2月、その連載に大幅に加筆修正したものを新潮社から『メガ! 巨大技術の現場へゴー』というタイトルで刊行した。

今振り返っても、取材は驚きの連続だった。興味本位で訪れた技術の現場はどこも、私が本やネットで予習していたよりも遙かに巨大、かつ繊細であったからだ。大きなものに触れると普段の自分の生活範囲の狭さを感じ、細やかなものに触れると、普段どれだけ多くの物を見過ごしているかを考えさせられた。そして、何を見ても何を説明されても、ただただ圧倒されるばかりで、取材現場を辞去するころには「なぜ私はこういった心躍る現場での仕事を選ばなかったのだろう」と、マイクロソフト時代がそれなりに面白かったにもかかわらず、後悔の念に苛まれるほどだった。 

土木も窯業も精密だった

そう私に思わせた現場のひとつが、世田谷区との境界に近い東京都目黒区にある。コロッセオのような外観が地上の目印になっている大橋ジャンクションだ。

地下にあるトンネル内で首都高速道路3号渋谷線への連結路と中央環状線(品川線)の分合流が行われるのだが、そのトンネルは「非開削切り開き工法」で建設された。これほどの規模の工事でこの工法が採用されたのは、世界初である。

地上から長い“堀”を作り、屋根をかぶせてトンネルにする「開削」工法に対し、天井部分を開削せずに地下に機材を降ろし、そこからトンネルを掘り進める工法が「非開削」だ。つづく「切り開き」という言葉は、地下に掘ったトンネルの一部分を、魚の腹の如く切り開き、至近距離にあるもう一本のトンネルの腹同士をくっつけて、双頭双尾の魚のようなトンネルをつくることを指す。具体的には、長さ8.4kmのトンネルのうち、250mを切り開いてくっつけている。

2本のトンネルを切り開き、くっつけた位置の誤差はミリ単位だったという。8km以上掘ってわずか数ミリの誤差なのだから、その精密さには驚くしかない。しかし、もっと驚かされたのは、現場で工事をしている人たちはこの誤差を、誇らしく思うどころか、もっと減らすべきものとして捉えているという事実だった。トンネル工事に代表される土木に対しては巨大というイメージばかり持っていたが、実態は精密なのである。この事実を知って、私は「精密土木」という言葉をつくってみたが、ほどなくして、それは土木だけではないと思い知らされた。

窯業もまた、精密であった。窯業とは、陶磁器やセメント、煉瓦などの製造業の総称で、そこにはガラスづくりも含まれる。窓や瓶などさまざまな用途に使われるガラスのうち、精密窯業と呼べそうなのは、用途が特殊なその名も特殊ガラスづくりの現場である。

神奈川県相模原市に、オハラという会社がある。この名前にピンと来た人は、相当なカメラ通ではないか。同社はカメラのレンズに用いるガラスで高いシェアを持っているだけでなく、世界最大級の天体望遠鏡に使われるガラスの製造も手がけているのだ。

天体望遠鏡用のガラスのどこが特殊かというと、伸縮度だ。ガラスは鉄などの物質と同様、本来伸び縮みする素材であり、温度が上がれば伸び、下がれば縮む。しかしそれでは、屋外で行う天体観測には不都合である。

そこでオハラは、温度が上がってもほとんど伸びないガラスを開発した。窓などに使われる板ガラスは温度が1度上がると90cm伸びるが、そのガラスは同じ条件下でたったの0.2mm伸びるかどうかという程度なのだ。

この伸びなさすぎるガラスは、現在、ハワイのマウナケア山頂で建設が進んでいる望遠鏡「TMT」の主鏡への採用が決まっている。TMTとはサーティ・メーター・テレスコープ、要するに主鏡の口径が30mに達する望遠鏡だ。現在、129億1000万光年という天体観測史上最遠銀河の発見記録を持つすばる望遠鏡の主鏡の口径が8.2mだから、直径にして約4倍、面積にすると13倍以上にもなる。

このTMTはすばる望遠鏡より6億光年先、つまり、135億光年くらいにある天体までとらえることが期待されている。全人類共通の謎、「宇宙の果てはどうなっているのか」を説き明かす技術の基礎の部分を、日本の、知る人ぞ知る精密窯業企業が担っているのである。なんと夢のある話だろう。 

夢の発電で世界を牽引

夢があるといえば、静岡に拠点を置く光技術の会社、浜松ホトニクスの進めている核融合発電にもまた、壮大な夢がある。

同社は、ニュートリノの観測でノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんが建造した、大型実験装置カミオカンデの光電子増倍管という部品をつくっていたことで知られている。今回、私が茨城県つくば市にある高エネルギー加速器研究機構(KEK)の研究施設を見学したときも、フランスとスイスの国境にある欧州原子核研究機構(CERN)を訪れたときも、そこでは必ず浜ホトの名を聞いたし、浜ホトのロゴの入った装置を目撃した。あまりに耳にし目にするので、研究者たちに、なぜ浜ホトのものばかりなのかと尋ねてみると、「世界中どこを探しても、浜ホト以外にはつくれないから」という極めてシンプルな答えが返ってきた。

その浜ホトが、夢の発電技術と言われる核融合発電の開発を、分厚い壁に囲まれた実験室で進めている。 

核融合とは、太陽の内部で繰り返されている現象で、2個の水素原子核が合体して1個のヘリウム原子核に変換され、そのとき大量のエネルギーが放出されるというものだ。現在の核分裂型原子力発電と比べて制御しやすく、核廃棄物もほとんど発生しないため、実現すればエネルギー問題や地球温暖化問題を解決できると期待されている。

ただし、太陽の内部では当たり前の現象も、人工的に起こすのは大変難しい。用いるのは重水素という安全で比較的手に入りやすい物質なのだが、その物質を超高速で衝突させる必要があるのだ。では、重水素なるものを、どうやって衝突するのか。現在、主に研究が行われているのは大きく分けると、超高温にして磁気で閉じ込める方式とレーザー光を使って一気に圧縮させる方式があり、浜ホトは後者の実用化実験に使われるレーザー装置や燃料の開発で世界をリードしている。

使われているのは固体レーザーと呼ばれるタイプで、浜ホトは、それにパワーを与える超高出力半導体レーザーの開発で一日の長がある。核融合は、米ロッキード・マーティン社が昨年10月に「10年以内に小型の核融合炉を実用化できる」と発表するなど、話題になることが増えてきた。だが、浜ホトは、ハイパワーの半導体レーザーの実用化は難しいのではと言われていた時代から、レーザー核融合を見据えた研究開発を進めてきたのだ。

ロッキード社に触れたところで、アメリカの新エネルギー企業の話題に少し付き合ってほしい。ほかにも次世代のエネルギーに取り組んでいる企業がある。テラパワー、そして、トライアルファ・エナジーだ。テラパワーは、次世代原子炉の開発を行っており、トライアルファ・エナジーは核融合技術の開発を進めている。

実は、テラパワーにはビル・ゲイツが、トライアルファ・エナジーにはポール・アレンが、それぞれ出資している。ビルとポールは、米マイクロソフトの共同創業者だ。

なぜソフトウエア畑を歩んでいたビルとポールが今、次世代エネルギーに注目しているのか。もちろん、それがビジネスとして有望だからでもあるだろうが、私には、もう一つ理由があるように思える。

マイクロソフトは、シリコンバレーで設立された数年後、Windows誕生以前の段階で、日本とヨーロッパに拠点を構えていた。最初から地球規模、今でいうグローバル展開を見据えていたのだ。当時は小さな会社でも、小さいまま留まることなど考えてもいなかった。創業者の野心には子供の頃の原体験が大きく影響しているのではないかと私は思う。

ビルは私と同じ1955年生まれ、ポールは2歳年上の53年生まれである。だから小学生時代に、人類が月に降り立つ様をテレビで見ていた。当時、自分が将来どんな仕事に就くかは想像ができていなかったが、画面に釘付けになりながら、こんな風にスケールの大きなことをしてみたいとは強く思っていた。

日本が生き残る唯一の術

翻って昨今の日本のベンチャー経営者は、ほとんどが小さくまとまっている。これはおそらく、子供の頃から、手元で大半のことが済むデジタル化された世界しか見てきていないからではないか。デジタル世代の起業家の多くには、小さな成功への憧れはあっても、壮大なことにチャレンジする発想がないように思えてならない。NASAが有人探査を休止している今こそ、我々は外へ出て、自らスケールの大きなもの、巨大かつ繊細なものに触れる必要があると私は思う。

もちろん、チャレンジ精神という「思い」だけでは、核融合のような、いつ実用化されるかわからないものに取り組み続けることはできない。それを支える環境が整っている必要がある。環境とは、潤沢な研究資金や最新鋭の設備だけではない。研究を続けさせる、つまり、優秀な科学者や技術者を惹きつける経営者の存在もまた、欠かせない。

ところが、昨今の日本を跋扈する成果主義は、実用化の目処のたたない研究開発の存続を許さない。明日の株価や四半期後の決算のような目先の数字を重視すればするほど、開発に長い時間が必要で、しかし、実現したときに大きなインパクトをもたらす技術は育てられない。このことは、浜ホトで「うちは完全に年功序列なんです」と聞いたときに確信した。研究者も技術者も人である。自分の雇用が守られていることを実感できなければ、無理難題に取り組めるはずがない。日本企業の宿痾と見られがちな年功序列・終身雇用は、科学技術の基礎を養う上で、極めて有効な制度だったといえる。

そして、ユニークな科学技術を育てられる企業には、もうひとつ特徴がある。それは、平均から逸脱していることだ。他社がやらないことをやる、大多数と違うことを選ぶ。昨年のノーベル物理学賞受賞者も異口同音にそう言っていたが、浜ホトの歩んで来た道も独自の道だし、ガラスのオハラも、窓などに大量に使われる板ガラスではなく、特殊ガラスを主戦場としている。首都高速の地下トンネル現場でも、世界初、つまり、これまで世界が避けてきた難しい工法を選んでいる。このニッチを攻める姿勢も、日本を科学技術立国として成長させてきた要因であると私は思う。

最近は、中韓批判と同じくらい、日本の将来を悲観する声が聞こえてくる。少子高齢化や人口減は、確かに起きていることだ。しかし、科学技術には、そういった負の面を乗り越える力がある。若者の数が減っても、それをものともしない発展を国にもたらすことができる。だから、この国の行く先を憂える時間があるのなら、精密土木や精密窯業といった技術そのものや、それを支える企業を応援した方がいいのではないか。

科学技術を伸ばすことが、唯一、日本が世界で生き残っていく術といえるかもしれない。だから私は技術の輝きを見るために、今日も汗を流している現場へと向かうのだ。

週刊新潮 2015年 3/5 号 [雑誌]

作者:
出版社:新潮社
発売日:2015-02-26
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決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
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