『神々の山嶺』に隠された実話を読む〜映画を10倍楽しむ方法、教えます〜

山田 義久2015年03月26日 印刷向け表示
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神々の山嶺 全5巻セット (集英社文庫―コミック版)
作者:谷口 ジロー
出版社:集英社
発売日:2012-02-01
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“昭和の登山家あるある”といえば、”だいたい死ぬ”。
これはふざけているわけでなく、昭和に活躍した日本人登山家達の軌跡を調べた正直な実感だ。
世界最高峰エヴェレストが初登頂されたのが1953年(昭和28年)。装備も技術もルート開拓も未発達のなか、多くの日本人登山家達が世界最高峰の山々に挑んでいき、散っていった。

エヴェレスト全景

彼らが挑んだ山々の多くは8,000m級。そこは通称「デスゾーン」と呼ばれ、酸素濃度は地上の1/3。生命維持を司る器官は障害を起し、身体機能も著しく低下する。意識が低下し、昼夜の判断もつかなくなり、幻覚まで見る。事前の高度順応が通用せず、どんなに鍛えた登山家ですら、そこにいるだけで、死へのカウントダウンが始まる。力尽きた登山家達の遺体は放置されることもあり、腐ることなく次の登山家を待っている。
また、凍てつく風雪に晒され続けると、指や鼻先は真っ黒に焦げたような凍傷になり、仮に下山できたとしても切断することになる。

そんな過酷な場所にわざわざ挑戦し続ける理由はなにか。それは、地上での生活がぬるま湯に感じてしまうほど、極限に熱い体験がそこにあるからだ。

実は、本作の登場人物は、そんな熱く生きた実在の登山家をモデルにしている。
もともと、夢枕獏さんの同名の小説が原作なのだが、明らかに森田勝(=”羽生丈二”として登場)、長谷川恒男(=”長谷常雄”として登場)と思われる人物が登場する。一般的に登山家は超人で変人が多いが、この2人も規格外。そんな2人の実際の言動を丹念に取捨選択し、アレンジを加え、魅力的ながらどこか人間臭さも残したキャラクターに仕上げられている。

神々の山嶺〈上〉 (集英社文庫)
作者:夢枕 獏
出版社:集英社
発売日:2000-08
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さらにこの『神々の山嶺』のすごい点は、ストーリーにアービン&マロリーの伝説を盛り込んでいることだ。

左がマロリー、右がアーヴィン
先ほど、エヴェレストの初登頂は1953年と書いたが、実はそれより30年近く前にイギリスの登山家ジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンが、既にエヴェレストを登頂している可能性があるのだ。2人は頂上にアタック後、帰ってくることはなかったが、何らかの”事故”にあったのが「登頂前」なのか「登頂後」なのか、今日に至るまで答えはでていない(注:実話)。

そして、なんと1999年(!)にマロリーの遺体が頂上近くで発見されたが、遺留品の中にマロリーが携帯していたカメラ”VEST・POCKET・KODAK”は残されていなかった。そのカメラにこそ登山史を変えうる確固たる証拠が残されているはずなのに!(注:ほんとに実話)

8160mで発見されたマロリーの遺体。遺体は腐らず、皮膚の色素のみが落ちている(出所:ヨッヘン・ヘルレブ他『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』)

マロリーの遺留品。実は彼が「登頂した暁には頂上に置いてくる」と約束した家族の写真は見つかっていない。ということは。。。(出所:ヨッヘン・ヘルレブ他『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』)

ちなみにVEST POCKET KODAKとはこんなカメラ

この『神々の山嶺』は、主人公が偶然ネパール・カトマンズの雑貨屋でマロリーのカメラを発見されるところから始まる。「なぜそこにカメラがあったのか」、「誰がそのカメラを見つけたのか」、「そのカメラのフィルムには何が写っているのか」、そんな謎解きと、実在した人物をモデルにした日本人登山家達が果てしなく挑戦を続ける姿とが、一つの壮大な起承転結にまとめられている。フィクションとノンフィクションを見事に紡ぐ夢枕獏さんの凄まじい才能に圧倒される。

ん?じゃ、小説だけ読めばいいやん、ということになりそうだが、それは全力で違う!といいたい。この漫画版が輪をかけて素晴らしい。

何よりもまず、谷口ジローさんが描く広大なエヴェレストの山々の精密な描写は、文字情報によるあなたの想像を遥かに凌駕するだろう。さらに、山々の様子だけでなく、各登山ルート、当時の機材・服装、マロリーの遺体の場所や状態、全て実際の写真と比較すると、恐ろしいくらい忠実に再現されていることがわかる。そして、谷口さんの描く中年男性のアンニュイな表情が、もはや若くない登山家達の内に秘めた情熱を絶妙に表現しており、引き込まれまくる。

(出所:第44話 神々の座)

さらには、漫画版は小説版にないラストシーンがある。もちろんその内容は言えないが、私の妻はそのラストシーンで号泣していた。私も漫画史に残る素晴らしいラストシーンと思うし、そもそも社会で一通り色んな経験をしてきた人などは、最後の150ページくらいからラストシーンまで泣くか、吠えるかしているだろう。

このように『神々の山嶺』は、実話→小説→漫画と、天才クリエイター達の手により、進化してきた作品なのだ。この目線で考えると、来年公開される映画もいろんな視点で楽しめる。谷口ジローさんにより描かれた実話の実際の状況をどれだけ忠実に再現するのか、または、夢枕獏さんが天才的なアレンジを加えた登山家達の言動のどの部分をどこまで採用するのか、2時間の映像表現で、この作品の進化をどう受け止めるのか、楽しみではないだろうか。

最後にあらすじをさわりだけ(※この時点で買っちゃった人は以下読まなくていいです)。
フリーカメラマン深町誠(40歳 ※おそらく赤松威善がモデル)は、ネパール・カトマンズにいた。エヴェレストに挑戦する日本人登山隊のカメラマンとして現地に入ったが、隊員2名が滑落死する大事故により挑戦は終了、深町は一人カトマンズに残り、街を彷徨っていた。

深町(出所:第1話 未到峰)

たまたま立ち寄った雑貨屋で古びたカメラ”VEST・POCKET・KODAK”を見つけ、それがマロリーが持っていたカメラでないかと、直感する。そのカメラの出所を調査するうちに、それがピカール・サン(毒蛇)と呼ばれる現地に住む日本人から盗まれたものだと知る。そして、本人に遭遇するのだが、彼の風貌、小指と薬指が欠けた左手、足を引きずる歩き方から、彼が日本から突如消息を絶った登山家・羽生丈二(49歳 ※森田勝がモデル)であることに気づく。

ピカール・サンこと羽生丈二(出所:第2話 幻覚の街)

その後深町は、日本とネパールを行き来しながら、羽生のことを調べ始める。
そこで見えてきたのは、一度クリアした岩壁について、全ての手足の動きを暗唱できるくらい超人的な能力がありながら、「山でパートナーと2人とも死にそうになったら、(パートナーが死ぬことになろうとも)迷わず命綱を切る」と即答する態度や、難関の岩壁に一緒に命がけで登ったパートナーに面と向かって「あれは実際オレが一人で登ったようなもの」と言い放つ言動などから、傲慢、粗野、無知という評判がつきまとい、仲間から敬遠される唯我独尊な人物像であった。
一方、羽生をよく知る人物からは、不慮の滑落事故で亡くなったパートナーの死にいつまでも苦しみ続け、スター性溢れる同世代の長谷常雄(※長谷川恒男がモデル)に嫉妬し、前人未到の功績を求めて岩壁にしがみ続けている、という全く別の一面を伝えられる(※この辺まで森田勝の性格がほぼ忠実に再現されている)。
外部とのコミュニケーションが得意でない彼は一人で己の葛藤と戦い、そんな葛藤の行きついた先がネパールでの生活だったのだ。

そして、深町が現地で羽生と接触を続けるうちに、羽生から直接、登山家としての総決算として「エヴェレスト南西壁冬期無酸素単独登頂」に挑むことを知らされる。これはネパール政府も許可を出さないくらい危険な挑戦であった。よって、羽生は法の目をかいくぐって準備を続けた。実は、カメラは密入国してチベット側からエヴェレストに入り、訓練していた際にマロリーの遺体とともに見つけたのだ。よって、羽生はそのカメラと同時に自分の名前が表に出るのを恐れ、カメラを手もとから離さずにいた。しかし、「この挑戦が終わった後は好きにしていい」と告げ、出発前に深町にカメラを渡す。羽生にとってはそのくらい後のない挑戦なのだ。深町も限界まで同行して、命をかけて羽生の挑戦をフィルムにおさめることを誓う。
そして、二人はベースキャンプから出発し神々の山嶺に向かうが、どうなるか、、という話だ。

並々ならぬ決意で挑む羽生。しかし表情は穏やかにも見える(出所:第29話 山の狼)

私は今までで一番感動した漫画は何か、と聞かれたら、迷わず『神々の山嶺』と即答する。そのくらい自信を持って、本作を紹介したい。ぜひこの機会に読んでほしい!
そして、余裕がある人は、読後、下記の文献資料、小説、漫画、全てを読んで進化の軌跡を追ってみてほしい。どこがフィクションでどこがノンフィクションなのか、それを探っていくうちに、この作品の奥深さにもう一度心揺さぶられるだろう。

狼は帰らず―アルピニスト・森田勝の生と死 (中公文庫)
作者:佐瀬 稔
出版社:中央公論社
発売日:1998-11
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羽生丈二のモデルとなった森田勝の生涯を追ったノンフィクション。森田勝の言動を忠実に記録している。羽生丈二の性格や言動はかなり本人に近付けていることがわかる。

長谷川恒男 虚空の登攀者 (中公文庫)
作者:佐瀬 稔
出版社:中央公論社
発売日:1998-05
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同じ著者による、長谷常雄のモデルとなった長谷川恒男の生涯を追ったノンフィクション。

そして謎は残った―伝説の登山家マロリー発見記
作者:ヨッヘン ヘムレブ 翻訳:高津 幸枝
出版社:文藝春秋
発売日:1999-12
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マロリーの遺体発見を目的とした登山隊の記録。発見に至るまでのプロセスの詳細が記述されている。発見現場や遺留品の抱負な写真も多い。

マロリーは二度死んだ
作者:ラインホルト メスナー
出版社:山と溪谷社
発売日:2000-08-01
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マロリーとアーヴィンについて世界的に有名な登山家であるラインホルト・メスナーが書いた本。この本は賛否両論あるみたいだが、さすが登山家が書いた本だけに、現場周辺の詳細な地図が多く紹介されている。

感謝されない医者―ある凍傷Dr.のモノローグ
作者:金田 正樹
出版社:山と溪谷社
発売日:2007-02-01
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おまけに、数々の登山家を治療してきた凍傷の専門医による治療解説本。といっても堅苦しくなく、治療現場や患者の様子をフランクに語っていく。凍傷で壊死した手足の写真がたくさん掲載されており、なかなかインパクト大。

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