『人類五〇万年の闘い マラリア全史』 100万人の命を奪う殺し屋

村上 浩2015年04月02日 印刷向け表示
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人類五〇万年の闘い マラリア全史 (ヒストリカル・スタディーズ)
作者:ソニア シャー 翻訳:夏野 徹也
出版社:太田出版
発売日:2015-03-21
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地球上で最も危険な生物は? サメ?ヘビ?それとも人間?

2014年4月末にビル・ゲイツが自身のブログで投げかけたこの質問が大きな話題を呼び、多くのニュースサイトでも報じられたのは、その答えがあまりにも意外だったからだろう。危険の尺度を「1年間に何人の人間が殺されているか」とすれば、最も危険な生物はサメでもヘビでも人間でもなく、蚊なのだという。ある推計によれば毎年75万もの命が蚊によって失われているというのだ。

蚊が人類最大の脅威となるのは、蚊がマラリアを媒介するからである。日本で生活していると実感が湧きにくいが、マラリアは今でも毎年数億人に感染している。本書は、そんな恐るべきマラリアと人類の50万年にも及ぶ闘いの記録である。本書を読めば、人類が築きあげてきた歴史がいかにマラリアに影響を受けているか、わたしたちのDNAにどれほど色濃くマラリアとの闘いの痕跡が刻まれているかに驚くだろう。古代ローマの繁栄も、スコットランドが国家としての自治を失ったこともアラリアを抜きにしては語れない。現代人の14人に1人はマラリアから身体を守るために突然変異した遺伝子を保有している。マラリアは決して遠い貧しい地域の昔話ではない。

マラリアと人類の攻防は、勝利と敗北が何重にも絡み合った複雑なものである。なぜなら、マラリアに対する中途半端な攻撃は、マラリアをより強力な姿へと進化させるからだ。DDTでマラリアを攻略できたと考えた人類の前に現れたのは、DDT耐性を備えた進化したマラリアだ。サイエンス・ジャーナリストである著者はこの複雑な闘いの全史を巧みに描き出し、マラリアの恐ろしさ、それに立ち向かった先人たちの偉業と挫折、そしてこれからの人類が進むべき道を教えてくれる。ビル&メリンダ・ゲイツ財団を通してマラリア撲滅活動を行っているビル・ゲイツも本書を「マラリアについての本を一冊だけ読むのなら、本書がベスト」と評している(本書でのゲイツ財団の描かれ方は、必ずしもポジティブなものではないにも関わらずである)。

著者は原著『The Fever』が出版された2010年の時点で、「マラリアは毎年少なくとも3億人に感染し-つまりこの惑星の21人に1人に当たるが-およそ100万人を死亡させている」としている。100万人という死者数はWHOが公表している70万人前後よりも随分と大きい。数値に大きな差が出るのは、マラリアを死因として特定することが技術的に困難(マラリアは別の病気を引き起こしやすくもする)であること以外にも理由がある。

それは、「反マラリア団体は欠陥のある数字を使って大げさに宣伝する」からだと著者は指摘する。例えば、ロールバック・マラリアというマラリア撃退活動を1998年に開始したWHOは、被害データの収集時期をマラリア被害の最も少ない乾季へと変更している。それは、統計数字からマラリアを消し去るには最も有効な手段だったかもしれないが、真のマラリア被害を知ることを困難にした。本書はマラリアの謎を追いながらも、その根絶を目指すWHOのような国際機関や各国政府、さらには製薬企業や科学者たちの真の姿までも明らかにしていく。ニュースに溢れる統計数字がどのような意図でつくられているか、新たな視点が与えられるはずだ。

そもそも、マラリアはハマダラカ属の蚊によってのみ媒介されるプラスモジウムという寄生生物によって引き起こされる。このように書けば簡単な仕組みのようにも思えるが、このマラリア発生の実態が明らかになったのは最近のこと。19世紀の中盤までマラリアの原因は、沼地とそれに伴う瘴気であると信じられていたのである。しかし、ドイツの細菌学者ロベルト・コッホが19世紀末に結核・コレラの原因微生物を発見したことで、マラリアにも原因となる微生物がいるはずだと考えられるようになった。そして1880年11月、フランス人外科医アルフォンス・ラヴランが人類史上初めてプラスモジウムの姿を確認することとなる。

ラヴランの発見によってマラリア発生のメカニズム解明は時間の問題とも思われたが、蚊がマラリア伝染にどんな役割を担っているかは謎のままだった。この謎を巡る科学者たちの熾烈な競争は、それだけで1冊の本になりそうなほどにドラマチックだ。1902年にノーベル生理学・医学賞を受賞したロナルド・ロスは、日本語版Wikipediaには「マラリア原虫がハマダラカの胃にいることを実証し」たとの記述がある。しかしながら、ロスは研究対象の蚊がハマダラカであるとは同定していなかったし、彼が明らかにしたのは蚊が“鳥”にマラリアを感染させるということだけだ。それでは、誰が、どうやって蚊(それもハマダラカ)が“ヒト”にマラリアを感染さえることを証明したのか。その発見物語は、科学者たちの嫉妬、名誉欲、成果を急いだための盲信など、人間の本性をあぶり出すものとなっている。

著者は、マラリアが大衆の意識から完全に消え去り、西洋にはマラリアが撲滅されたと考えている人までいる現状を危惧している。50万年間の闘いを振り返れば、マラリアの撲滅がいかに困難なものであるかが痛感される。目標の実現には技術革新に加えて、人びとの意識改革も必要だ。どれだけ優れたワクチンも、マラリアに苦しむ人たちに届かなければ、現地の人びとに使用されなければ効果を発揮できはしないのである。50万年の因縁に決着を着けるために、人類は著者の警告に耳を傾けなければならない。時間がいつも我々に味方するとは限らないのだ。

私たちが議論し、論争し、また、対マラリア対策の実績を気まぐれに誇示するあいだにも、この原虫は私たちに対する病原性に磨きをかけている。(中略)この原虫が人間を襲うための進化は常に前向きで、秩序だっており、徹底しているのだ。


エイズの起源
作者:ジャック・ペパン 翻訳:山本 太郎
出版社:みすず書房
発売日:2013-07-06
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 20世紀の人類を襲った災厄であるエイズはいつ、どのように発生したのか。多くの科学的データを交えながら、その起源の物語をスリリングに語っていく一冊。エイズの真の姿が明らかになる。レビューはこちら

ホット・ゾーン――「エボラ出血熱」制圧に命を懸けた人々
作者:リチャード・プレストン 翻訳:高見浩
出版社:飛鳥新社
発売日:2014-09-25
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2014年の西アフリカにおけるアウトブレイクで再び世間の注目を集めることとなったエボラウイルス。その恐るべきエボラウイルス発見、そして知られざるアメリカでの命がけの攻防を描き出す一冊。レビューはこちら。著者に追記はこちら

完治――HIVに勝利した二人のベルリン患者の物語
作者:ナターリア・ホルト 翻訳:矢野 真千子
出版社:岩波書店
発売日:2015-02-27
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”不治の病”と考えられていたHIVを克服した患者がいる。完治した二人の患者を中心に展開していく。仲野徹のレビュー。青木薫のサイエンス通信

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