”我は死なり 世界の破壊者なり”
 『原子爆弾 1938~1950年』 いかに物理学者たちは、世界を残虐と恐怖へ導いていったか?

仲野 徹2015年04月14日 印刷向け表示
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原子爆弾1938~1950年――いかに物理学者たちは、世界を残虐と恐怖へ導いていったか?
作者:ジム・バゴット 翻訳:青柳 伸子
出版社:作品社
発売日:2015-03-21
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If politics is the art of the possible,
           research is surely the art of the soluble.

 

政治を可能性追求のアートとするならば、
       研究は間違いなく問題解決を追求するアートである。

免疫学でノーベル賞を受賞したピーター・メダワー卿の言葉だ。この本は、原子爆弾の開発において、この言葉が現実化した過程を描いたものである。

こんな本は読んだことがない。あたりまえかもしれない。あるひとつのことをめぐって、これだけいろいろなことが錯綜した物語はほとんど存在しないのだから。核分裂現象の発見から、原子爆弾の開発、その使用、そして、冷戦下における抑止力。その巻、600ページを超え、登場人物のリストは250人を数える。Amazonから届いた時、これは「永久つんどく」かと思った。しかし、読み始めると、やめられなかった。読み終わってみると、すこしも長くなかった。

原子爆弾の原理、マンハッタン計画、ソ連のスパイ、第二次世界大戦の進捗、広島・長崎の被爆、大国の思惑などなど。むしろこれだけの話がよく一冊におさまったものだ。これまでに、何冊か原子爆弾についての本を読んだことはある。しかし、最近のドイツやソ連の秘密文書の公開も取り込んで書かれたこの本からみれば、どれもが、その一面を描いたものにすぎない。誰彼なく、むちゃくちゃおもしろいですよと勧めたくなる、HONZ魂を揺さぶられる本だ。しかし、内容がすごすぎて、レビューをどう書けばいいのかよくわからない。

物語は、1938年、オットー・ハーンが核分裂反応を発見したことに始まる。その研究成果に基づいた思考実験から、核分裂を利用した原子爆弾の論理的可能性が明らかになる。時は第二次世界大戦前夜、ナチスがヨーロッパの脅威となっていたころだ。まったく予想外の発見からスクラッチでのスタートであったため、当然、ドイツが先に新型爆弾の開発に成功する可能性もある。それだけは何としても避けたい連合国側。

最終的には、マンハッタン計画によりアメリカが原子爆弾の作成に成功する。完成の見込みがついたのは、ドイツの敗北がほぼ確定した段階であったから、当初の目的からいえば、ナチスの全面降伏をうけて、開発を中止してもよかったはずだ。しかし、アメリカの思惑がそれを妨げる。終戦後、ソ連に対して抑止力として原子爆弾をちらつかせるため、そして、本土上陸作戦をとらずに日本を降伏させるため。そして、広島・長崎に投下され、終戦。

ソ連はスパイを通じて原爆開発の情報を探る。その情報により、大戦後、アメリカの予想よりもはるかに早い時期に原爆を完成させる。次に待ち受けていたのは、より強力な水爆の開発、ベルリン封鎖やキューバ危機における核兵器使用の危機。どれだけダイナミックなストーリーか。

英米が、ドイツにおける核兵器開発をそれほど恐れたのには理由がある。ひとつは、ヒトラーが手に入れれば、躊躇なくそのような強力な破壊兵器を使用するだろうということ。もうひとつは、不確定性原理で知られるドイツの理論物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクの存在。ニールス・ボーアは、本人との会話から、『ハイゼンベルクは、ヒトラーの兵器庫に原子爆弾を届けるために邁進している。』と確信する。

理論物理学の世界に文字通り君臨していたボーアの判断は、連合国側に大きな影響を与えた。しかし、実際には、ハイゼンベルクは、核兵器の開発は極めて困難であり、本格的に着手するつもりはなかった。ユダヤ人でありながらナチスに協力したハイゼンベルクは『戦争を物理学に利用する』ことしか頭になかったのである。

後年、アメリカが原子爆弾を開発して実際に使用したことを知ったハイゼンベルクは驚愕する。見積もりが甘かったのだ。しかし、そうとは語らない。ドイツの理論物理学者たちは、良心にしたがったがために核兵器の開発には着手しなかったのだと述懐する。結局のところ、見通しが甘かっただけなのか、良心にしたがったのか、わからないままである。記憶あるいは記録というのはそういったものだろう。

連合国側の最重要な物理学者は、アメリカの原子爆弾開発計画であるマンハッタン計画を率いたロバート・オッペンハイマーだろう。しかし、レオ・シラードも忘れてはならない。シラードはナチスに恨みを抱くユダヤ系ハンガリー人だ。ナチスが原爆を開発したらとんでもないことになると、アインシュタインとともに、1939年、合衆国大統領ローズベルトに原爆開発を進言した。この行動はローズベルトを大きく動かした。

多くの人に一目で嫌われるという「特技」を持っていたようなシラードだが、他の科学者と同じく、アメリカが実際に原爆を使用すれば、ソ連との軍拡競争に歯止めがかからなくなることは強く危惧していた。ナチスの敗北が決定的になり、原爆の完成を間近に控えた1945年の3月、今度は原爆の使用を思いとどまるようローズベルトに書簡を送る。

第二次世界大戦では、ソ連は英国や合衆国の仲間であった。原爆開発をソ連に知らせるかどうかが問題となった。ローズベルトは、スターリンは信頼に足る男なので伝えてもいいと判断する。それに対して、チャーチルは、大戦後の世界秩序のこと、そして、何よりも英国の国益をにらんで猛反対する。結果として原爆開発の情報はソ連に対して秘匿されることになる。

シラードの進言がローズベルトによって受け入れられていたら、広島・長崎への原爆投下はなかったかもしれない。自らが原爆の開発にゴーサインを出したローズベルトであったから、その可能性もあっただろう。しかし、残念ながら、進言が届く前、脳卒中によってローズベルトは急死する。次の大統領トルーマンは、連合国司令長官アイゼンハワーの反対をおさえて、原爆投下を決定した。

クラウス・フックスも大きな役割を果たした物理学者だ。ただし、科学者としてではなく、ソ連のスパイとして。マンハッタン計画の拠点、ロスアラモス研究所には、三人のソ連スパイがいて、かなり正確な情報が伝えられていたが、ソ連はいくつかの理由で本格的な原爆開発に着手していなかった。しかし、広島への原爆投下を知ったスターリンは、開発しなかった咎で物理学者を強く叱責し、「追いつけ、追い越せ」と原爆の開発に全力を注ぐ。

ソ連は、日本の全面降伏をうけて、北海道への進駐計画を進めようとする。もしそれが実行されていれば、日本という国はどうなっていただろうか。それをスターリンに思いとどまらせたのは、米国のみが所有するであろう核兵器の存在であった。

ごく少しを紹介しただけでも、いかに内容が多岐にわたり、おどろくほど面白いことがわかるだろう。ジェットコースター、それも、急降下あり、回転あり、大きな旋回あり、トンネルあり、スプラッシュあり、後ろ向き走行あり、と、いろいろなスリルを味わえる、信じられないくらい長いジェットコースターのようだ。本屋でこの本を手にとっても、読み切れるかと尻込みしてしまうかもしれない。しかし、勇気をもって、このジェットコースターを楽しんでもらいたい。

今回のレビュータイトルに使った『我は死なり 世界の破壊者なり』は、オッペンハイマーが、ニューメキシコでの原爆実験、トリニティー実験において、人類初の核実験の閃光を見ながらつぶやいた言葉である。この本は、歴史に翻弄された各国の物理学者たちの苦悩に満ちている。
 

原爆を盗め!: 史上最も恐ろしい爆弾はこうしてつくられた
作者:スティーヴ シャンキン 翻訳:梶山 あゆみ
出版社:紀伊國屋書店
発売日:2015-02-28
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マンハッタン計画やノルウェーの重水素工場をめぐるスパイ活動や破壊行動がスリリングに描かれている。(らしい。すみません、読んでません…。)もちろん、それらの内容は今回のレビュー本にもきちんと紹介されています。村上浩のレビューはこちら
 

モンサント――世界の農業を支配する遺伝子組み換え企業
作者:マリー=モニク・ロバン 翻訳:上尾 真道
出版社:作品社
発売日:2015-01-17
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個人的印象ですが、作品社さんがこのところとばしてます。 今年になって、作品社のぶ厚い本を読んだのは、すでに二冊目でありまして、一冊目がこの本。遺伝子組み換え作物そのものの安全性に対する考えは変わらなかったけれど、モンサント社の歴史を通して見ると、遺伝子組み換え作物というシステムに対する考えはずいぶんと変わりました。この本、日本ではあまり話題になっていないのが不思議。それくらいモンサントの影響力が大きいのかと疑ったりしています。わたしにとっては目から鱗の一冊でした。 

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nejisiki19682015.4.14 12:05

>ユダヤ人でありながらナチスに協力したハイゼンベルク これは違うでしょう。ハイゼンベルクはユダヤ人科学者を擁護したためにナチから「白いユダヤ人」と皮肉られましたが、ユダヤ人ではありません。下記のリンク先を参照して下さい。 http://www.physics.ucla.edu/~moszkows/np30/heisjp.htm

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