『マシュマロ・テスト』誘惑をうまくやり過ごすために

峰尾 健一2015年05月29日 印刷向け表示
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マシュマロ・テスト:成功する子・しない子
作者:ウォルター・ ミシェル 翻訳:柴田 裕之
出版社:早川書房
発売日:2015-05-22
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保育園くらいの子どもが、1個のマシュマロと2個のマシュマロがそれぞれ置かれたテーブルに着く。脇の卓上ベルを鳴らして研究者を呼び出せば、すぐに1個のマシュマロを食べられる。しかし、席に着いて研究者が戻るまで待つことができれば、2個のマシュマロにありつける。

今すぐに報酬を得る方を選ぶか、少し我慢してより多くの報酬を得る方を選ぶか。欲求の先延ばしに関する有名な実験である。「マシュマロ・テスト」という名前が付いていることは知らなかった。ただ実際は他にもクッキーやプレッツェルなど好きなお菓子から自由に選べたらしく、名前もマスコミによって付けられたものだそうだ。

4歳や5歳頃の未就学児たちを対象に行われたマシュマロ・テストは、その結果から被験者たちの将来について多くのことを予測し、注目を浴びた。長い時間欲求を先延ばしにできた子どもは、時間が短かった子どもに比べ、気が散りにくく、取り乱さず、大学適性試験(SAT)の点数も高かった。また、より大人になってからも、肥満指数が低く、自尊心が強く、目標を効果的に追求し、欲求不満やストレスにうまく対処できた。

広く知られるこれらの研究結果は、1968年に初めて行われたマシュマロ・テストの被験者であるスタンフォード大学ビング保育園の園児たちへの、その後数十年にわたる追跡調査によって判明したものだ。著者のミシェル氏はマシュマロ・テストの考案者で、ビング保育園での初実験から現在に至るまで自制に関する研究の最前線で活躍してきた人物である。

自制についての研究は近年になって急速に進歩してきているという。著者によれば21世紀の最初の10年間だけで、この分野の科学的出版物の数は5倍に増えたらしい。背景にあるのは、2000年代に入ってからの機能的磁気共鳴画像法(fMRI)の普及だ。これにより、誘惑に対する脳の活動の仕方が解明されるようになった。本書でも欲求に情動的に反応する「大脳辺縁系」と、感情を冷静に制御する「前頭前皮質」の働きの違いを示しながら、脳の活動メカニズムにまで踏み込んだ解説がなされる。

欲求を先延ばしにするコツも随所に散りばめられている。特に中核戦略として語られるのは、「今」を「冷却」し、「あとで」を「加熱」するというやり方だ。現在の欲求を小さく考え、将来の利益を大きく見積もるという当たり前といえば当たり前な戦略だが、その影響を示唆する実験が紹介されている。

それは、大学生に自分の実年齢のアバター(デジタル画像)と、老後の姿を再現したアバターのどちらかを見せつつ、受け取った架空の給料の何%を退職年金用の口座に回すか決めさせるというものだ。結果を言うと、将来の自分の画像を目にした人の方が、現在の自分の画像を目にした人よりも30%多く老後の資金に回す選択をしたという。

他にも、誘惑にやられやすい自分だけの「ホットスポット」はどんな時なのか自覚し、どうやって気をそらすか前もって準備しておいたり、「壁に止まったハエになったつもりで」冷静さを失いそうな自分を俯瞰したりといった様々な方法が、具体的事例を引用しながら語られる。正直、紹介される数々のテクニックや心構えはそれほど真新しい訳ではない。だが、豊富な研究事例を元に、人間の精神構造を踏まえながら効果的な自制のあり方を示していく本書のアプローチからは、ただの精神論とは一線を画す説得力が感じられる。

そして、本書の一番の素晴らしさは「自制」という言葉のイメージを変えてくれるところにある。そもそもこの本を読むまでは、自制とは歯を食いしばって誘惑に抗おうとする、苦しいものだと思っていた。また、自制心は生まれつき備わっている才能のようなものだとも思っていた。そんな凝り固まったイメージは、読んでいくうちに自然と解きほぐされていく。本書で書かれる自制はとてもしたたかだ。後天的に身につけられるスキルだということも力説される。誘惑には、気分に左右されやすい「意思の力」ではなく、細かなテクニックの積み重ねと考え方次第で建設的な対応ができることを本書は教えてくれるのだ。

加えて最後に、著者の人となりについても触れておきたい。簡単に言えば、誘惑に悩まされる人の気持ちが分かる(分かりすぎる?)人物なのだ。自制心を身につけるなんてことは前々から諦めていたのに、研究に裏打ちされた説得力と著者への親近感によって、こんな自分でもやれるかもと思わずやる気にさせられてしまう。

たとえば、著者は元々ヘビースモーカーだったと告白している。「ある朝、シャワーを浴びているときに、自分が火のついたパイプをまだ口にくわえていることに気づいた」経験もあるというから相当である。その後、地道な努力でタバコを克服したというのがさらにすごい。研究を50年近くも続けてきたのも、まさに「自分ごと」だったからだろう。誘惑を我慢し続ける人生もまた悲惨だと何度も強調しているように、自制の能力は幸せに生きるための手段に過ぎないという考えが文章から伝わってきて、まったく共感してしまった。

時間や場所を問わずあらゆる誘惑が襲いかかってくる今、いけないと分かりつつも「ついつい」手が出てしまう場面は増えるばかりである。本書は興味深い研究について読むだけでも十分楽しめるが、使い方次第では誘惑とうまくやっていくためのバイブルにもなるだろう。定期的に読み返して気力を保ち、欲望をコントロールしようと練習を積めば、日々の「またやっちゃった」を少しずつ減らしていけるかもしれない。

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