『沈黙の山嶺 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト』 訳者あとがき

白水社2015年07月04日 印刷向け表示
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沈黙の山嶺(上) 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト
作者:ウェイド・デイヴィス 翻訳:秋元 由紀
出版社:白水社
発売日:2015-05-26
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本書はWade Davis, Into the Silence: The Great War, Mallory, and the Conquest of Everest (Knopf, 2011)の全訳である。原書は優れたノンフィクションに与えられるサミュエル・ジョンソン賞を受賞した。2011年12月、ニューヨークのリゾーリ書店に入った途端、刊行直後のこの本が平積みにされているのに気づき、迷わず買ったのを覚えている。エヴェレストものでこれほどの情報があり、著者の熱意がここまで伝わってくる本はそうない。日本語版をこうして世に出すことができ、感無量である。

著者のウェイド・デイヴィスはカナダ出身の人類学者である。『蛇と虹ーーゾンビの謎に挑む』(田中昌太郎訳、草思社、1988年)や、アマゾン熱帯雨林の探検記 One River (Simon and Schuster,1996) など、文化や言語の多様性を題材に20冊近くの著書を発表する一方、写真集や映像作品の制作にもかかわる。現在はブリティッシュ・コロンビア大学で教鞭を執るが、本書執筆中を含めて2013年までナショナルジオグラフィック協会所属の探検家(Explorer-in-Residence)だった。母国の新聞はときに彼を「カナダのインディアナ・ジョーンズ」と呼ぶ。

今日、世界中から挑戦者を集めるエヴェレストだが、アルプスの最高峰モンブランの初登頂が1786年であるのに対し、当時はピークとして知られていた山が世界最高峰であると判明したのは1850年代のことだった。登頂を目的とする遠征が初めて行なわれたのはさらに遅く、第一次世界大戦後の1920年代に入ってからだ。本書は、1921年から24年の間に3回にわたってイギリスがチベット側から行なった世界初のエヴェレスト遠征を描いたノンフィクションである。

1921年、偵察中のマロリーがかろうじて撮影に成功した一枚。Wikimedia Commons

イギリス人が初めてエヴェレストに近づいた1921年には、登頂ルートはおろか、山の位置も形も正確にはわかっていなかった。現地の言葉でエヴェレストを意味するはずの「チョモルンマ」に行きたいと言って現地民に案内させても東にそびえる別の高峰マカルーの麓に行き着いてしまい、21年隊は現代のエヴェレスト登山隊が当然のように通る東ロンブク氷河を見つけ、北東稜につながるノース・コルに達するまでに何週間も費やす。頂上への道筋が見えたところでまだ先は長い。どんな難所が待ち構えているのかも、酸素の少ない高所で人間の体がどうなるかも当時は誰も知らなかった。効果的な高所順応の方法も確立しておらず、気象情報も少ない。もちろん装備も不十分だった。隊員たちは単に高い山に登りに行ったのではない。命を懸けて前人未到の世界、未知の境地に踏み込んでいったのである。

1921年の遠征隊、前列左がジョージ・マロリー。Wikimedia Commons

一連の遠征は二人の隊員の遭難で幕を閉じる。遠征隊の花形でどんな岩でもするすると登れるジョージ・マロリーと、スポーツ万能で機械に強いオクスフォードの学生サンディ・アーヴィンが、1924年6月8日、頂上まであと少しのところを登っているのを目撃されたのを最後に行方不明となったのだ。その後イギリスは33年まで遠征を行なわない。

マロリーとアーヴィンは遭難前に登頂したのだろうか? エヴェレストについては、1953年にエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイが南東稜から頂上に達したのが初登頂とされている。だがもしマロリーたちが頂上に達していたなら初登頂は30年も前だったことになる。最後に目撃されたとき、二人は頂上ピラミッドに近いところを上に向かっていた。遭難の直後に生まれたこの問いはやがて登山史上最大の謎の一つとなり、さまざまな説や憶測が飛び交うようになる。しかし手がかりは少なく、1999年に北東稜の下、北壁の斜面でマロリーの遺体が発見されても二人の足取りを断定するような証拠は得られなかった。むしろ年月を経て伝説上の人物になっていたマロリーの遺体が見つかったことでかえって想像をかき立てられ、多くの人がマロリーたちの謎を解き明かそうと躍起になっている。

そうした考察は、二人が携行していた補給酸素の残量やアーヴィンのピッケルが見つかった場所、当日の日照時間、二人の服装や推測される体調などからそれぞれの結論を導く。ちなみに、マロリーの遺体とともに彼がポケットなどに入れて身につけていたこまごまとした物も見つかったが、持っていたはずのカメラはどこにもなかった。いつの日かカメラが見つかり、中のフィルムに頂上の映像があればマロリーの登頂が証明される。主人公がこのカメラを買うところから始まるのが、夢枕獏氏による小説『神々の山嶺』である。

本書ももちろんこの謎に触れ、マロリーとアーヴィンを見舞った出来事に思いを巡らすためのヒントをくれる。しかし本書の最大の特色は、物理的な証拠を検証するのにとどまらず、彼ら二人、とくにマロリーを上へ上へと登らせた原因を深く探っている点である。著者は、マロリーを含む1920年代の遠征隊隊員が大英帝国の人員であり、第一次世界大戦帰りが大多数であったことに着目した。そして隊員たちそれぞれがチベットに行くまでにどんな修羅場をくぐり抜け、その結果どのような死生観を抱いていたか、そしてどれほどの圧力と期待を背負ってエヴェレストに挑んでいたのかを克明に描き出した。著者が10年かけて未発表の手紙や日記など膨大な資料を渉猟し、隊員の子孫を訪ね、エヴェレスト山麓にも足を運びながら書いた本書には、ページをめくるたびに登場人物たちが生き生きと動き出すような躍動感がある。

1922年の遠征隊。ベースキャンプにて。前列左がジョージ・マロリー。Wikimedia Commons

今日エヴェレストに登ろうとする人の多くは個人としてのさまざまな思いや願いを抱いて世界最高峰の登頂をめざす。しかしマロリーたちは国のために選ばれた精鋭部隊だった。第一次世界大戦で甚大な被害を出し、経済面でも痛手を負ったイギリスは、地球上でもっとも高い地点にいちはやく到達して帝国としての威信を世界に示そうとしたのである。マロリーら登攀班員は当然、自分こそがなるべく上まで登りたいと思っていたかもしれない。だが遠征はあくまで国の事業だった。政府が外交上の駆け引きをしてチベットへの入国許可を取りつけ、隊長は軍人、隊員もイギリス人に限る。支援拠点を作り、補給線を少しずつ延ばして寒さや風、雪崩の危険などと戦いながら前進し、最終目標である頂上に十分近づいたら突撃する。三度の遠征で軍事用語が使われたのは、隊員がエヴェレストを抽象的に敵ととらえていたからではない。イギリスは具体的にエヴェレストに攻勢をかけたのだ。ノース・コル直下でマロリーら隊員が互いに読み聞かせたのが戦争中に国民を鼓舞するために編集された詩集だったのも偶然ではないだろう。

隊員の多くは、チベットに向けて出発した時点ですでに「国のために命を懸ける」のを経験ずみだった。三度の遠征に参加した26人中20人が兵士や軍医として第一次世界大戦の激戦地にいた。何エーカーもの面積に負傷兵が並べられたところを歩いて、手術で命が助かりそうな者を選ばなければならなかったサマヴェル。自分が大切に育て戦争に送り出した若者たちが連隊ごと壊滅するのを目の当たりにし、一生立ち直ることができなかったウェイクフィールド。敵の対壕を埋めるよう命じられ、激しい銃撃戦の混乱の中で敵だけでなく味方の兵士まで生き埋めにしたかもしれないことを悟っていたウィーラー。突然の砲撃を受け、ついさっきまで一緒に歩いていた二人の兵が骨と血の塊と化してしまったのに救護所まで運ぶと言って聞かなかったマロリー。常に自分の死を覚悟し、何百人もの死を目撃し、粉砕された遺体に遭遇しているうちに死はあまりにありふれたものになっていった。「失われた世代」の彼らには、命があることよりも生きているその瞬間のほうが貴重になった。

そんな隊員たちも、エヴェレストへの途上では畑仕事をする男の口笛にストラヴィンスキーの『春の祭典』を聴き、峠で見つけたきれいな花を摘んで上着のボタン穴に挿す。戦争で地獄を見てきた彼らにとって、地図のない異国の地を通って世界最高峰に挑む大冒険は純粋に楽しかっただろう。同時に、遠征では自分たちが生と死の境にある「もろい垣根」のこちら側にいることをあらためて思い知らされる瞬間も多々あった。マロリーとアーヴィンの遭難ばかりが注目されるが、三度の遠征では、エヴェレスト到達を夢見るあまり文字どおり身体をすり減らす実験を重ねた結果、チベットに入ってまもなく力尽きてしまったケラスに加え、雪崩や病気が原因でポーターも10人亡くなっている。

戦争を通じて死生観が変わったからといって隊員たちが安全を軽視して無謀な登り方をしたわけではない。事実、マロリーを含めてエヴェレスト北壁の上部に達した複数の隊員がもっと上まで行きたい気持ちを抑えて引き返している。しかし死の代償がエヴェレストの頂上だったらどうだろう? ついに稜線に出てエヴェレストの頂上に近づいた運命のあの日、マロリーはもう何にも止められず前進を続け、夢にまで見た頂上に達したのだろうか? 本書は、これまでのどんな本も入り込むことができなかった次元で読者をエヴェレストの北壁に、そしてマロリーに近づかせてくれる。

2015年4月 秋元 由紀

秋元 由紀 米国弁護士。学部時代に真田濠で岩登りの手ほどきを受け、北はサシルイ岳から南は宮之浦岳までを歩く。米国で弁護士資格を取得後、開発援助や環境問題に関する非政府団体でスタッフを務めるかたわら、主にヒマラヤの登山記を収集。宝物はEric Shipton,The Mount Everest Reconnaissance Expedition1951の初版本。著書にOppotunities and Pitfalls:Preparing for Burma's Economic Transition(Open Society Institute,2006)、訳書にタンミンウー『ビルマ・ハイウェイ』(第26回アジア・太平洋賞特別賞受賞)、ベネディクト・ロジャーズ『ビルマの独裁者 タンシュエ』(以上、白水社)がある。 
沈黙の山嶺(下) 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト
作者:ウェイド・デイヴィス 翻訳:秋元 由紀
出版社:白水社
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