人類の叡智は無限である(ような気がする)『狂気の科学』

仲野 徹2015年07月14日 印刷向け表示
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狂気の科学―真面目な科学者たちの奇態な実験
作者:レト・U. シュナイダー 翻訳:宮下 悦子
出版社:東京化学同人
発売日:2015-05-14
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この本、一度は書店でやりすごした。タイトルも装丁も地味。目次を見たら、脈絡のないトピックスが、年代順に並べてある。ぱらぱらっとめくったが、なんとなく読みにくそうな気がしたので、パス。

しかし、次に書店に行ったとき、また、この本が呼ぶのである。一度捨てた本に呼びかけられることはめったにない。そこまで迫ってくるのならと、ちょと目を通したら、むちゃくちゃおもろい。こういう本では、たいてい、つまらんテーマがいくつかまぎれこんでいるものだが、総数91のトピックスはすべておもろかった。著者のシュナイダーさん、よほど膨大なストックがあって、そこから厳選したのだろう。

タイトルは「科学」となっているが、内容はかなり限定されていて、ほとんどが心理学と医学、すなわちヒトを対象にした研究である。『奇態な実験』というサブタイトルがついているけれど、パブロフの犬やピロリ菌の発見など、歴史的に極めて有用かつ重要な研究もたくさん紹介されている。

昔は、研究倫理に対する考え方がゆるかったので、今ではとてもじゃないができそうにない研究も満載だ。たとえば、人間を、90時間まったく眠らせないとどうなるか実験。拷問である。その時間というのがどこから割り出されたかというと、犬の不眠実験で96時間眠らせなかったて死んだから、というのがすごすぎる。今なら、犬の実験でさえ研究倫理にひっかかるところだ。

ボランティアを募って、看守役と囚人役を割り当てた『監獄実験』もかなりのものだ。そんなおままごとのような、という気がするのだが、数日の間に、すっかり看守と囚人が板についてしまい、おそろしいことに看守(役)による虐待が始まった。さらに、なんと研究責任者の教授までもが正常な判断力を失っていく。人間というのは環境にそこまで染まりやすいのかと慄然としてしまう。

アイヒマン実験』として有名な、同じように人間の潜在的な残酷さを示す、スタンレー・ミルグラムの『服従実験』も取り上げられている。ほとんどの人は、命令されれば、信じられない残虐な行動をとってしまう、ということを示した実験だ。この研究も、倫理的な問題が指摘されていて、今なら不可能だろう。

かねてから、ミルグラムという人の独創性は突出したものだと思っていた。はからずも、この本はそのことを証明してくれた。なんと、ミルグラムだけが、複数、三つもの研究が、取り上げられているのである。ぶっちぎりだ。二つ目の研究は、宛先を書いて切手を貼った封筒を道に落とす研究。

何のことかわからないかもしれないが、たとえば、宛先に、それぞれ対立する二人の政治家の団体名を書いた封筒を落としておく。そうすると、拾った人は、支持する政治家であれば投函する可能性が高くなる、という研究である。なんでもない着想だけれど、簡便な世論調査に用いることができるらしい。

もうひとつは、まったく見知らぬ人に、何人の知り合いを介してつながっているか、を調べた研究。平均5.5人を介して、ということから、『スモールワールド現象』としてよく知られている。しかし、最初の論文はちょっとした「ごまかし」があって、正しくは、つながっている場合は5.5人であって、多くの場合は途中で途切れてしまっていたのである。

この本の面白いところは、単なる紹介でおわらず、その後の研究の展開までが注釈されているところだ。社会的に大きな影響をおよぼしたサブリミナル効果の研究も、もともとの論文がねつ造であったことなどの後日談も含めてていねいに解説されている。

ムシ研究系にも捨てがたいものがある。ネコのミミダニが人にも寄生するかどうかの実験。これは倫理的な問題はない。自分の耳を使ったのだから。『三週目までに、外耳道はダニの残骸で埋まり、左耳は聞こえなくなった。』らしい。こわい…。この獣医さんのえらいのは、一回だけでは不備かもしれないと、次は反対側の耳で実験を繰り返した。どこまで真面目なんだ。

二回目は、意外なことに、一回目に比較すると、途中からダニの活動が明らかに低下した。この理由を確かめるため、さらにもう一度チャレンジしたというのだから恐れ入る。そうすると、さらに症状が緩和したことから、ダニを耳に感染させると免疫が獲得されるのであろうと結論づけている。この研究はイグノーベル賞に輝いているらしいが、当然の受賞だ。

ユニークさでいえば、クモにいろいろなドラッグを投与して、どんな巣を作るかという実験。結果、でたらめな巣はカフェイン、最も美しい巣はマリファナ、完璧に整った規則正しい巣はLSDを投与した時のものであった。苦労して、クモを使ってドラッグの悪影響を調べようとしたのだが、このようにLSDが完璧でカフェインはだめ、と、結果は予想を裏切るものだった。まぁ、残念というかなんというか、発想が間違えてますわな。

こういった本を紹介するのは意外と難しい。結局のところ、面白いトピックスをいくつか紹介するしかないのであるが、どの話がツボにはまるかには個人差がある。自分が面白いと思ってもレビューを読んでくださる人がそう思ってくれるとは限らないし、逆もある。しかし、『世界笑いのツボ探し』によると、言葉の壁を越えて受けるのは下ネタだそうだ。ということで、以下に紹介する性行為をめぐる三つの研究は、私が興味あるわけではなく、おそらく、多くの人にうけるだろうという理由で紹介するものであることを、まず、声を大にしてお断りしておきたい。

ひとつは、性行為中の心拍数を調べた1920年代の研究。どんな状況でも計測できる装置を開発したので、使ってみたくなったらしい。他にもっと適切な用途があるだろうに。おつぎは『性行為の間に起こる陰毛の移行頻度』。性行為によって、陰毛が抜けて、相手の陰毛に紛れて残るかどうか、っちゅう研究である。なんでも、性犯罪において、犯人の陰毛が残されていれば捜査の手がかりになるのではないか、という発想でおこなわれたとか。結果は、あまりたくさんの陰毛が移行しないので、ダメ。これって、やらんでもわかるやろ…

最後はとっておき。BMJ(ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル)といえば、その歴史を1840年にまでさかのぼることができる堂々たる老舗医学雑誌だ。その雑誌に、性行為中のMRI画像というのが報告されている。この雑誌は、クリスマスには、特別しゃれの効いた論文を掲載することが通例になっているが、いやはや。

ほほぉ、こういうふうになっているのか、というのはさておくとして、被験者がえらい。MRI検査を受けられた方にはわかるだろうが、直径50センチほどのチューブ状のところに入らなければならない。さらに、防音のヘッドホンをつけても、ガンガンとうるさいような環境である。そんなところでコトにおよぶことができるのがえらい。って、我ながら何を感心してるんや。

論文が発表されたのが1998年。そのころってバイアグラがあったかなぁと思いながら読んでいると、この研究には有用であったと書いてある。そんなことまでちゃんと教えてくれる。そう、この本の著者の解説はとても親切なのだ。しかし、被験者もすごいが、こんなことをしらべて学術誌に報告する医学者がいるのもすごい。あらためて、人類の叡智というのは無限ではあるまいかと感動した次第である。 

服従実験とは何だったのか―スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産
作者:トーマス・ブラス 翻訳:藍澤 美紀
出版社:誠信書房
発売日:2008-02-05
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天才、スタンレー・ミルグラムの伝記。
 

服従の心理 (河出文庫)
作者:スタンレー ミルグラム 翻訳:山形 浩生
出版社:河出書房新社
発売日:2012-01-07
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 『アイヒマン実験』の詳細はこの本に。
 

世にも奇妙な人体実験の歴史
作者:トレヴァー・ノートン 翻訳:赤根 洋子
出版社:文藝春秋
発売日:2012-07-06
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 人体実験といえば、この本もお忘れなく。解説は私めが書いておりまして、朝日新聞の書評で出久根達郎さんに「仲野徹の解説も要領よく秀逸である。」とお褒めいただいたのが自慢。

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