『日本とイスラームが出会うとき』新たな角度から見る、日本とイスラーム

峰尾 健一2015年07月29日 印刷向け表示
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日本とイスラームが出会うとき
作者:小村 明子
出版社:現代書館
発売日:2015-06-10
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イスラーム関連の話題はいたるところで出てくるが、「日本における」と切り口を限ればその数はぐっと絞られるように思う。国際情勢的に仕方がないということもあるが、メディアでも伝えられるのはほとんどが「異国の存在」としての話で、隣人としての姿に目が向けられることは稀だと感じる。

それがさらに「日本人の」イスラーム事情となれば、ますます目にする機会は少なくなる。推定16億人といわれる世界のムスリム人口のうち、日本にいるのは外国人を含め約10万人に過ぎない。さらに日本人ムスリムに限定すれば、その数は1万人程度にまで減少する。

「日本のイスラームについての初の本格的研究」と帯に書かれた本書は、そうした数少ない視点に切り込んだ一冊だ。日本のイスラーム文化の歴史を丁寧にたどるだけでなく、日本人ムスリムへの聞き取り調査から読み取れる日々の生活や、抱えている問題にまで踏み込んで書かれているため、従来とはまた違った角度からイスラームを見ることができるだろう。装幀からは地味で堅めな印象を受けたが、文章は思いのほか平易でわかりやすく、事前知識がほとんどなくても問題なく読むことができた。

日本とイスラームが本格的に邂逅してからは120年以上の月日が流れている。その歴史には、戦前と終戦以降で大きな違いがあるそうだ。

戦前の日本でイスラームへの関心が高まった背景には、当時の国策が強く関係している。植民地化を狙う地域の情報収集や占領地の住民の民心把握を目的として、イスラームが研究対象とされていたのだ。日露戦争の頃から満州など中国におけるイスラームが研究され始め、ムスリムへ改宗した日本人によるマッカ(メッカ)巡礼は、各国情勢を調査する口実にもなっていたという。巡礼にかかる費用も自己負担ではなかったそうだ。

1930年代後半には日本国内に向けてイスラームを広める活動が活発になり、日本政府やその関係団体による宣伝活動が行われるようになった。1939年に東京・上野と大阪・日本橋の松坂屋で行われた「回教圏展覧会」のように、イスラーム文化を紹介する展覧会や座談会が開催されていたという。これも背景には、植民地支配の正当化と政財界に対するアピールという明確な意図がある。あくまで政府や軍によって戦略的に広まったというのが、戦前のイスラーム普及の特徴だ。

終戦後、状況は一変する。それまで財政的にも物質的にも普及を支援してきた日本政府や軍部、右翼団体等がGHQによって解体され、日本人や外国人問わずムスリムたちは自力で布教活動をしなければならなくなったのだ。こうして新たに信者によるイスラーム復興の運動が始まり、「日本ムスリム協会」の立ち上げといった基盤作りや、より正しいイスラームを学ぶための外国人ムスリムとの交流など、地道ながら主体的な活動が展開されるようになった。

その後は、1980年代後半からのバブルで外国人労働者が大量流入し、それまで約3万人程度だった日本のムスリム人口は、イラン・パキスタン・バングラデシュなどからの来日者によって一気に10万人に達した。彼らとの結婚をきっかけに女性の日本人ムスリムも増加し、この時代の変化が現在に至るまで日本のイスラーム社会に大きな影響を及ぼしているという。

こうした知られざる歴史を読むだけでも本書は興味深い。だが、同じ日本社会で生きる日本人ムスリムたちの生の声を知ると、日本イスラーム史はこれまでも、そして今現在も、葛藤の連続なのだということがわかる。

話を聞く中で見えてきたのは、「日本社会」と「イスラームの慣習」との間で揺れる日本人ムスリムたちの姿だった。1日5回の礼拝や女性のスカーフ着用など、社会生活の中で人目につきやすい慣習を徹底しながらも宗教的にはかなりのマイノリティとなる日本で「日本人として」生きることの裏には、非ムスリムの目線からは気がつかないような苦労がある。

外国人ムスリムであれば、一般の日本人から「あの人は外国人だから、仕方がない」と思われるだけだが、日本人ムスリムの場合はそうはいかない。外見も内実も日本人であるにもかかわらず、ムスリムとしてもふるまう「同胞」に対して、一般の日本人は「なぜ、日本人なのにそんなことをするのか」といぶかる。

もし礼拝のために、仕事中に席を外す同僚がいたら。もし豚肉を避けるため、給食の代わりに弁当を食べるクラスメイトがいたら。経験がないので想像にすぎないが、「いぶかる」とまではいかなくても、やはり慣れるまでは戸惑いを感じるだろうと正直思う。

公の場ではスカーフを取るなど適合しようとする日本人ムスリムも少なくない。だがそれがまた別の問題につながってしまう。

宗教的少数派が帰属する社会から逸脱しないためには、当事者が多数派の宗教文化に同化するしかない。しかし、イスラームのように日常生活に対して規定がある宗教は、こうした同化を容認しない。現在の日本のムスリム、とりわけ20、30代の若いムスリムの多くは厳格にイスラームの教義を守ることが当然のようになっている。かつ彼らのような厳格なムスリムたちはムスリム・コミュニティでの発言力が強いので、現代の日本社会に見合うようにイスラームの教義を変えることは彼らにとって許されるものではない。

「日本人」と「ムスリム」という本来対比できない概念のあいだで、二者択一を迫られるような状況が日本社会では少なくない。他のイスラーム少数派国に関する詳しい話は書かれていないが、著者も触れているように、特定の宗教を信仰したり団体に帰属したりすることが少ない、現代日本の宗教観による影響は小さくないだろう。

さらに指摘されるのが、仮にイスラームの慣習が理解されたとしても、それは「異文化」としての理解にとどまってしまいやすいということだ。「スカーフを着用している日本人女性ムスリムは最初に外国人として判断される傾向にある」という部分にはハッとさせられた。「宗教」を「異文化」に反射的に結び付けて理解しがちな日本人の感覚がにズバリ言い当てられたようで、他人事とは思えない。

思えば、「異文化」とは便利な理解の仕方だ。すんなりとは受容できないことに対して、それ以上踏み込んで考える手間が省かれる、という意味では。だがもし「同胞」の中に「異文化」を見出すことがあれば、その理解は戸惑いを生む原因にもなる。

本書は日本のムスリム向けに書かれた提言も多いが、非ムスリムにこそ読まれるべきだと思う。普段目にする情報とはまた違った視点からイスラームがとらえられて、日本との思わぬつながりも見えてくる。

そして何よりも、日本のイスラーム社会が抱える問題を追うほどに、様々な角度から見た「日本」が浮かび上がってくるのが面白い。「宗教」と「異文化」の混同など、本書を読むまでまったく意識してこなかったことがいくつもある。まずは本書を、「イスラームの本」と安易に括らないところから気をつけたい。

日本の中でイスラム教を信じる
作者:佐藤 兼永
出版社:文藝春秋
発売日:2015-07-09
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10年以上にわたる日本のイスラム教徒への取材がまとめられた本。国籍、出身地、年齢、性別などによってイスラム教との付き合い方も千差万別だということがわかる。『日本とイスラーム~』とはまた違ったテイストの本なので、あわせて読むと面白い。

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