37.5℃を越えた世界に見える数多の悲報と、私たち日本社会が内包する家族崩壊の一穴『37.5℃の涙』

工藤 啓2015年08月11日 印刷向け表示
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37.5℃の涙 1 (フラワーコミックス)
作者:椎名 チカ
出版社:小学館
発売日:2014-03-26
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保育園に子どもを預けたくても預けられない。筆者も第二子の入園に際して市役所より「保育園入園不承諾」という見たこともなく、見たくもない手紙が届いたことがある。子どもを保育園に預けられないリスクがあることは倍率的にわかっていたが、それでも目の前が真っ暗になった。「どうする?」「二人とも仕事があるけれど辞めないといけないのか?」「曜日や週で担当を分けて子どもを見るのか?」など、半ばパニックに陥った。祈るように申し込んだ二次募集で何とか入園が「承諾」されたが、釈然としない気持ちと、どこかで“入れていただいた”ありがたさが心の中で混ざり合う奇妙な心境であった。

37.5℃を越えた世界

37.5℃は筆者にとっては大した熱ではない。平熱と37.5℃を越えた世界は大きな障壁もなくつながっている。しかし、子どもの熱が37.5℃を越えると世界は一遍する。登園前であれば、その日は保育園を休ませなければならない。また、朝から絶好調で登園しても、37.5℃を越えた時点で、携帯電話が鳴る。即座に保育園に迎えに行かなければならない。

椎名チカ『37.5℃の涙』1巻

子どもの体温が37.5℃を越えることは心身リスクが高まるが、親にとっても大きな負担がのしかかる。子どもの急な発熱により出社ができなくなり、登園中であれば職場をすぐに離れなければならない。「いまはどうしても抜けられないから後で」ということにはならない。

一回や二回であれば職場も理解を示し、同僚も笑顔でサポートしてくれるかもしれない。しかし、この漫画でも描かれているように、すべての職場が“社員の子どもの状態”に寛容なわけではない。当人に聞こえるか聞こえないかの声量で、「子どものことだからって何度も突然休まれたらこっちがたまらない」などと話しているかもしれない。

祖父母のサポートや、両親どちらかが休める環境であればまだマシだろう。当漫画ではシングルペアレントの家庭も描かれているが、子どもの発熱で休めるのは自分だけ。何度も休めば職場では肩身が狭く、キャリアの疎外要因になるかもしれない。職場の理解があっても、収入減少につながり生活が苦しくなるかもしれない。

椎名チカ『37.5℃の涙』1巻

複数の子どもがいれば、一人は元気だが、もう一人は病気と対応が難しく、病気をうつしあえば、37.5℃を越えた世界が常態化するリスクがある。自らの罹患リスクも高まる。筆者も半年ほど前、インフルエンザが家族を襲い、自らも罹患した(「育児で詰んだ話。」)。37.5℃を越えた世界は、短期的にも長期的にも家族が崩壊しかねないラインだ。また、今月には双子が生まれてくる予定であり、乳幼児4名になることから「保育園」と「病児保育」については頭を痛めている。この漫画でもそのような「悲報」が数多描き出されている。

『37.5℃の涙』は、発熱により子どもを保育園に預けられない家庭に、病児保育・リトルスノー社が保育士を派遣する。新人保育士の杉崎桃子のドタバタと奮闘、人間的成長を描いている。他方、私たちの社会が、人口減少に対する少子化対策の緊急性が叫ばれる社会が、子育て家庭の抱えるさまざまな諸問題をも浮き彫りにしていく。

子育てをする親も人間である。子どもたちもまた人間である。そして、主人公の杉崎桃子と彼女の同僚や上司もまた人間であり、『37.5℃の涙』は、病児保育を舞台としながらも、それぞれのキャラクターの人生や人情の機微に、多面的に触れていく。それがゆえに、さっと読めば子育て家族の問題がさっと解決される“いい話”になってしまう。しかし、生まれた家庭や、置かれた状況を個人や家族、地域や(偶然にも恵まれたすばらしい)人間関係での解決を求めれば、強い自己(家庭)責任論を許すことになってしまう。

もし、近くにリトルスノー社がなかったら。杉崎桃子のような保育士に出会えなかったら。民間の病児保育を利用できる経済的余裕がなかったとしたら。少子化対策としての、出産・育児のしやすい地域や社会を作ります、といった漠然と耳に優しい言葉より、『37.5℃の涙』で取り上げられている家庭/家族が、社会に包摂されていることを実感し、子どもたちが健やかに育まれ、社会が前進していくための具体的な取り組みがなされることを願う。 

椎名チカ『37.5℃の涙』1巻

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