『カワサキ・キッド』 東山紀之の「少年」以前と少年以後

麻木 久仁子2015年08月24日 印刷向け表示
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カワサキ・キッド (朝日文庫)
作者:東山紀之
出版社:朝日新聞出版
発売日:2015-08-07
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本書は「週刊朝日」2009年1月2・9日号から2010年4月16日号に連載されていた自伝的エッセイである。連載開始当初から「アイドルが赤裸々に思いを語る」と評判だった。当時どれどれと読んでみたら、あまりの面白さに驚いたのを覚えている。

バラエティ番組や情報番組などで何度か東山さんに会ったことはある。その印象はとにかくクール、パーフェクト、さわやか。立ち居振る舞いに一点の隙もない。さぞかし恵まれた人生を送ってきたのだろうとも思っていたが、その印象は良い意味で大きく裏切られた。一読して驚いた後は、もう続きが楽しみで楽しみで、このエッセイ読みたさに、毎週欠かさず週刊朝日を買うことになったのである。

2010年に書き下ろしの一章を追加した単行本が発行され、5年経って今回文庫化された。久しぶりに再読して、初読のときに感じた感動が褪せることなく再び沸き起こった。
「この本は、ほんとうに、いい本だなあ。」
何度本棚を整理しても、ずっと背表紙が見えるところに置いておきたい本だと、改めて感じたのだ。

光化学スモッグでかすんだ校庭、「ヨイトマケ」の歌に出てくるような工場現場、コリアン・タウン、川崎大師、コンビナート、操車場、ソープランド、競馬場…。

東京とさほど離れていないのに、そこには東京とはまるで違う光景が広がっていた。

記憶のなかの川崎は、高度経済成長の日本の表と裏が凝縮されたような場所だった。

母と妹と、狭いアパートでの3人のくらし。理容師として働く母の帰りを待ちながら、ガス釜で米を炊き、みそ汁を作る毎日。煮干しのはらわたと頭を取って、丁寧に出汁をとったみそ汁だ。幼い妹と寄り添う姿に、うまそうなみそ汁の匂いがしてくる。

近くに住む祖父の世話も著者の仕事だ。脳溢血でゾウガメのようにゆっくりとしか歩けない祖父の手を取り、銭湯で体を洗ってあげる。

その一方では飛び跳ねるのが大好きで、やたらと高いところへ登ってはジャンプ。またあるときは川崎大師の池に忍び込んで亀を獲り、住職にお尻をはたかれるワンパクぶりだ。

こうした暮らしの中で、東山少年は「人のリズム」を学ぶ。

じいちゃんのリズムは、いつもゆっくり、ゆっくりだった。最初はとまどうことも多かったが、自分のリズムを相手のそれに合わせると、年齢の違う人とも仲良くなれると、僕は漠然と気づいた。

いま思うと、役者にとっても、生きるうえでも、リズム感は何よりも大切なものだ。人は、心臓の鼓動ひとつとってもそれぞれ違う。

テンポの速い人が遅い人に合わせるのは寛容さを要するが、これが重要なのである。

じいちゃんのリズム。そこから僕は、大切なものを知った。

かつてある番組でインタビューしたときに、著者があたかも水がさらさらと流れるがごとき風情だったのを育ちのよさと思ったものだが、まさに「人のリズム」に耳を傾ける著者の信条がその空気を作っていたのだと得心がいった。きっと、こちらのリズムを聴いてくれていたのだ。

自分を育て、形作ったものは何なのだろう。
原風景をもとめて著者は故郷を訪ねる。40代になってようやく再訪した、近くて遠い故郷だ。
蘇るのは、母の帰りを待つ幼い兄妹に腹一杯の豚足とトックを食べさせてくれたコリアン・タウンの一家との思い出である。家族のようにかわいがってくれた人々だ。幼い当時、在日の人々の置かれた状況も知らず、ただひたすらかわいがってもらったことを大切な記憶とする著者の胸に満ちるのは、感謝の気持ちだ。ともに貧しく、助けあって生きてきた記憶をたどりながら、かつてカワサキで生活を共にした人々が幸せであってほしいと思いを馳せる著者の姿が胸を打つ。

NHK大河ドラマ「琉球の風」に出演したときの思いが語られている章もすばらしい。
撮影隊を大歓迎してくれ、精一杯歓待してくれる沖縄の人々とのふれあいの中で、優しさの裏にある沖縄の底知れない悲しみを思う。現地入りするにあたり沖縄の歴史を学び、琉球三線と琉球舞踊を習った著者は、独立国家だった沖縄の、日本とも中国とも違う文化を全力で感じようとしている。

残念ながらドラマの視聴率は、大河ドラマとしては芳しくなかった。が、俳優として人間として、役割を全うした著者は言う。

僕はドラマのもつ意味も考えた。知られざる歴史や世の中に問いかける内容を提示するのもドラマの役目だと思う。

沖縄の人の心に残るドラマに出られたことをいまも誇りに思っている。

こうしてひとつひとつ、仕事を積み重ねる著者は、数多くの名優たちとの出会いに恵まれている。登場する名は、著者との終生変わらぬ交流が有名な森光子はじめ、森繁久彌、藤田まこと、松方弘樹、萬屋錦之介、若山富三郎などなど錚々たるものだ。みな、いつのまにか著者に惹きつけられて、教えよう伝えようとする。それぞれに個性的な向き合い方であり、これまた名優たちの声が聞こえてきそうで、読んでいて楽しい。なかでも山岡久乃のエピソードが面白い。

森光子主演の舞台「御いのち」の出演が決まった時、「森さんに恥をかかせるわけには生きません。これから私があなたを鍛えます」と山岡さんが、自宅のマンションまでマンツーマンのレッスンに来てくれたというのである。「いまどきの若者」の「しゃべり方」や「立ち居ふるまい」では、天下の森光子の舞台には上げられないとばかりに、厳しいレッスンが週に三日、一ヶ月続いたそうだ。繰り返し繰り返しせりふを読み比べ、稽古が終わればさっと帰っていく。山岡さんも凄いが、「日本の母」と呼ばれた大ベテラン女優にそこまでしようと思わせた著者こそ凄い!

著者は40代を迎えたころから自分が生きてきた意味をしばしば考えるようになったのだそうだ。過去の記憶をたぐりよせ、自らの原点を見つめたくなったのは、「自分に正直に生きたいという気持ちの表れから」だという。若い時代をがむしゃらに駆け抜けて、気づいてみればいつのまにか「老い」も感じる歳になったとき、若いときとは違う地平でまたあらためてスタートラインに立ちたい、と思う気持ちには共感する。本書のいくつものエピソードを読んでいると「まだまだ歩んでいかなくては」という思いが湧くのである。

ところでこの文庫版では、「五年後に思う」というタイトルのあとがきが加筆された。
すでに連載や単行本を読んだ方にも、このあとがきはぜひ読んでほしい。
多くの人々の心に響く一文だと思う。

ヒガシも40代後半!「少年隊」の「カワサキ・キッド」と同世代の方々にはとくにおすすめである。振り返った記憶を、未来への力に出来る!そんな気にさせてくれる一冊だ。

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